北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

逓送人殉職記念碑

2020-05-12 20:09:23 | 釧路&釧根地方

緊急事態宣言の延長を受けて、白老町に誕生した「民族共生象徴空間」愛称「ウポポイ」の開業が再延期となってしまいました。

残念だけど、安心して道内外からのお客さんを迎えることができるようになっていない現状を考えると、致し方のないことなのかなと思います。

 

ところで、釧路周辺のアイヌ民族関連施設というと、阿寒湖畔にある「アイヌコタン」が有名ですが、先日(と言っても一か月以上前ですが)北海道新聞に、内閣府からの「アイヌ政策推進交付金」の対象となる事業、施設の一覧というのが載っていました。

その中の一つをご紹介します。

 

 

またまた石碑ですが、これは一体何の碑でしょう・・・。

 

 

「逓送」ということは郵便関係ですかね・・・。

 

 

この日は、「吉良平治郎」という、アイヌ民族の人物を称えるものです。

明治19年(1886年)、現在の釧路市桂恋にあったコタンで生まれた平治郎は、大正11年(1922年)、昆布森地区の郵便局の臨時逓送人に採用され、釧路郵便局と昆布森郵便局の間の郵便物の逓送をすることとなりました。

採用から間もない同年1月19日の夜更け、釧路地方が暴風雪に見舞われる中、平治郎は、郵便を待っている人がいるからと、17kgもの郵便物を携えて、釧路郵便局から約16kmも離れた昆布森郵便局に出発しましたが、吹雪の中で力尽きて絶命してしまいました。

このとき平治郎は、着用していたマントで郵便物を包んで雪中に埋め、近くの集落を目標に歩き出したものの、集落間近のところで力尽きてしまいました。その遺体は郵便物から約100メートル離れたところで発見されたそうで、雪中から発見された郵便物は、無傷で発見されたそうです。

命を賭して職責を全うした平治郎の行いは日本全国に報道され、当時の逓信省も映画を製作するなど、その反響は大きいものがあり、後に、釧路町の小学校の副読本にも掲載されて、現在まで語り継がれています。

 

 

この碑は、釧路郵便局開局100周年を記念して、昭和49年(1974年)に現在地に設置され、今後、先述した「アイヌ政策推進交付金」により、釧路町は、この出来事のアニメ化に着手するのだそうです。

どんな内容になるのでしょう。観てみたいものですね。

 

 

碑の位置からは、晴れた日には綺麗な海が臨めます。

アニメ化され、知る人が増えたら、ここへ来る人も増えるかもしれませんね。

 

(「故吉良逓送人殉職記念碑」はこちら


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 魚河岸発祥の地 | トップ | 早く通常に戻って »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。