北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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胃袋の宣教師

2017-09-10 19:50:15 | 函館



元町地区にある「レイモンハウス元町店」。
ここは、カール・ワイデル・レイモンという人物が函館に残した大きな足跡を示す場所です。





カール・ワイデル・レイモンは、オーストリア・ハンガリー帝国ボヘミア地方カルルスバート(現チェコ)の生まれの人物。
ベルリンで食肉加工マイスターとして活躍していた彼は、ヨーロッパ各地、アメリカなどで加工技術や経営学を学ぶ中で日本に立ち寄って缶詰会社に勤務する過程で函館に赴任し、一旦ドイツへ戻ったのを経て1924年に函館に戻り、翌年駅前にハム店を開きました。
1938年には、戦火の拡大が予想される中、外国人であることを理由に工場や店舗を強制買収され、第二次世界大戦が勃発すると、資産の強制没収や仕事そのものの禁止、さらにはスパイの嫌疑をかけられ特高警察の監視下に置かれるなど苦難の日々を送りましたが、北海道庁へ畜産プランを提出し、北海道を畜産王国にしたいと奮闘した彼は、第二次大戦後も函館を拠点にハム・ソーセージの製造販売を続け、1983年に「株式会社函館カール・レイモン」を設立し、86年には勲五等双光旭日章を授章するほど、函館を拠点とする食文化の浸透・発展に貢献してきました。

ハム・ソーセージに必要な最小限の添加物以外は一切使用せず、ドイツ仕込みの伝統的な製法で作られた製品は、本場の味として人気が高まり、いつしかレイモンは、函館市民はもとより、全国のファンから「胃袋の宣教師」と呼ばれるようになりました。

最初の写真の建物は、かつての工場跡に建てられた記念館で、これが、「レイモンハウス元町」となって今も人気のスポットとなっています。
(詳しくはこちら





レイモンハウスの横にあるこの建物は、1930年に建築されたレイモンの居宅で、函館市の伝統的建造物に指定されています。


こうして函館の食文化の発展に大きな足跡を残したレイモンですが、もう一つの顔として、大変な動物好きでも知られていました。
1932年、大野町(現北斗市)にあった自社工場敷地内に小さな動物園を開設し、東京の上野動物園から譲り受けた動物も加わって、ライオンや熊、サルなどが子どもたちに大人気となりましたが、先述した1938年の工場や店舗の強制買収の際に動物園も閉鎖され、飼っていたライオン2頭が函館公園の動物園に寄付されることとなりました。
しかし、戦局が悪化する中で、えさの不足や危険防止のためとして発令された「戦時猛獣処分」により、レイモンが寄付したライオン2頭も毒殺処分されるという悲しい結末を迎えてしまいました・・・。








この碑は、函館公園の一角に設置されている「どうぶつ慰霊碑」。
戦時中に限らず、園内で亡くなった全ての動物を偲ぶものとして、1962年に設置されたものです。
(片隅にあることもあってか訪れる人の目に止まることも少ないようですが)
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