平日は時間がなくて普通の記事にせざるを得なかったけど、この土日で、愛媛冒険記を完結させます。
残り三本です。
今回は、松山城、大洲城に続き、宇和島にも城があるので、行ってみました。
ここが、その入口。
門をくぐると、いきなり急な石段が待っていました。
この先、こんなのが続くかと思うと、ちょっと怖いような・・・。
お?天守までのルートは二通りある?
さあどっちを選ぶ?
運命の分かれ道だよこれは。
かたやこんな感じ。
坂道だけど、児童公園経由というだけあって、割と平坦な感じ。
で、もう一方はこんな感じ。
さあどっちを取る?
ま、なんだかんだでこっちを選びました。
この日の宇和島は、気温26度で半袖着用だったけど、ばてるほどの暑さではなかったので、急な階段を登りながら天守を目指すことにしました。
途中には、このような古井戸が。
さっきのルートに「井戸丸跡経由」とあったのはこのことです。
かくして到着。
宇和島城は、慶長6年(1601年)、藤堂高虎によって築城され、天守も同時期に造られたとされている。
後に高虎は今治に転封されるが、奥州仙台藩主であった、かの伊達政宗の長子秀宗が10万石を賜り、元和元年(1615年)に入城し、2代宗利の時に、天守以下城郭の大修理を行って、寛文11年(1671年)に完成。
その後も、戦乱や天災等による損傷を受けることなく、当時の姿が現在に残されている。
写真撮影OKなので、最上部で一枚。
少しもやってるけど、最上部からの眺望。
別に疲れてたわけじゃないけど、こういう眺望を観てると、何とも言えない穏やかな気持になります。
残り三本です。
今回は、松山城、大洲城に続き、宇和島にも城があるので、行ってみました。
ここが、その入口。
門をくぐると、いきなり急な石段が待っていました。
この先、こんなのが続くかと思うと、ちょっと怖いような・・・。
お?天守までのルートは二通りある?
さあどっちを選ぶ?
運命の分かれ道だよこれは。
かたやこんな感じ。
坂道だけど、児童公園経由というだけあって、割と平坦な感じ。
で、もう一方はこんな感じ。
さあどっちを取る?
ま、なんだかんだでこっちを選びました。
この日の宇和島は、気温26度で半袖着用だったけど、ばてるほどの暑さではなかったので、急な階段を登りながら天守を目指すことにしました。
途中には、このような古井戸が。
さっきのルートに「井戸丸跡経由」とあったのはこのことです。
かくして到着。
宇和島城は、慶長6年(1601年)、藤堂高虎によって築城され、天守も同時期に造られたとされている。
後に高虎は今治に転封されるが、奥州仙台藩主であった、かの伊達政宗の長子秀宗が10万石を賜り、元和元年(1615年)に入城し、2代宗利の時に、天守以下城郭の大修理を行って、寛文11年(1671年)に完成。
その後も、戦乱や天災等による損傷を受けることなく、当時の姿が現在に残されている。
写真撮影OKなので、最上部で一枚。
少しもやってるけど、最上部からの眺望。
別に疲れてたわけじゃないけど、こういう眺望を観てると、何とも言えない穏やかな気持になります。