北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

レンガ工場跡地

2022-07-03 16:30:39 | 札幌

昨日の続き。

JR白石駅構内に掲示されている歴史資料で、ここ白石地区が、北海道のレンガ製造の先駆けとなった場所であることについて触れていましたが、その工場があったという場所を散策してきました。

 

 

白石駅から徒歩10分ほどの所にあるのがこの看板。

看板にも書かれていますが、白石におけるレンガ製造の始まりは、明治15年(1882年)に、「駒沢小平」という人物が、レンガに適した褐色の粘土を発見したことに由来するとされており、翌年には、「遠藤清五郎」という人物が「遠藤煉瓦製造場」を設立し、実に2万個ものレンガを製造したとされています。

そして、その歴史に大きな足跡を残しているのが、東京出身の「鈴木佐兵衛」という人物が設立した「鈴木レンガ工場」こと「鈴木煉瓦製造場」で、主に鉄道用レンガの製造に当たっていました。

その後、同じ白石村内や隣接する月寒村にも分工場が設置されましたが、大正11年(1922年)、現在の江別市野幌地区に「北海道炭礦鉄道」の大煉瓦場が設置されたことや、セメントの普及によるレンガの需要減になどに伴い、閉鎖となりました。

 

 

この看板があるのは、こちらのビルの敷地の一角です。

 

 

「平和通」という、その名のとおり、地域住民の平和を願って付けられたとされている地名です。

 

 

 

先ほどの看板の場所から少し歩いた所に、今度はこんな看板を見つけました。

同じく「鈴木煉瓦工場」とありますね・・・。

 

 

場所は、国道12号に面した駐車場の前です。

 

 

 

その近くにある「あかね公園」という公園。

先程、同じ白石村内に、「鈴木煉瓦製造場」の分工場が設置されたと書きまして、それがあったのがこの場所とされているようなのですが、実は、どちらが本工場でどちらが分工場だったのかについては見解が分かれているようで、この公園がある本通地区の有力者であった「長浜万蔵」という人物(こちら)は、白石駅前にあったのは分工場で、本工場があったのは、この「本通南9丁目」だったと証言していた記録があるそうです。

 

 

 

現在は御覧のとおり、どこにでもあるごく普通の憩いの場で、公園内には、ここが煉瓦製造場の跡地であることを示すものは、特に見受けられません。

最初に掲載した看板は、白石区役所が設置している公的なものなのですが、果たしてどちらが本工場だったのでしょうね。

私が何冊か持っている歴史散歩系の本の中には、こちらの本通が本工場であることを前提に書かれ、平和通のことについては一言も触れられていないものまであります。

これは、HBC「今日ドキッ!」の「もんすけ調査隊」向けの検証テーマかも。

 

 

 

園内で「シェー」のポーズを取るパンダ。

この論争に決着がついたら、それこそ驚きで「シェー」ってなりそうですね。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 白石駅 | トップ | ソフトクリームの日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。