goo blog サービス終了のお知らせ 

北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

数寄屋橋の跡地

2019-06-10 18:54:24 | 道外旅行記

 

 

JR有楽町駅。

平成13年(2001年)12月に「東京国際フォーラム」に初めて行って以降、何だかんだで上京時に立ち寄ることが多い地域になっています。

 

 

有名な、フランク永井さんのヒット曲「有楽町で逢いましょう」の歌碑が建立されているのを見つけました。

 

 

古地図が看板として設置されていました。

「現在地」とある側にあるのは・・・。

 

 

 

 

「新数寄屋橋」という橋。

「数寄屋橋」という橋は、菊田一夫原作の「君の名は」で、主人公の恋人同士が初めて出会った場所として有名な場所ですが、元々は、寛永6年(1629年)に、江戸城の外濠に架けられた橋で、明治維新後に城門が撤去された後、昭和4年(1929年)に石造りのアーチ橋に架け替えられ、昭和33年(1958年)に首都高速道路の建設によって埋め立てられるまで存在していました。

 

 

 

 

北村西望(せいぼう)という、長崎の平和祈念像で知られる彫刻家の「燈臺(とうだい)」という彫像。

関東大震災から丸10年となる昭和8年(1933年)9月1日に建立され、震災の記憶を伝えるものとなっています。

 

 

近くにある「有楽町交番」。

持参していた古地図によると、かつての「数寄屋橋」があった頃、いやもっと以前から、現在と同じ地に交番的な施設が設置されていたようです。

 

 

 

「数寄屋橋公園」という公園が整備されていました。

 

 

 

菊田一夫氏の揮毫による石碑が設置されています。

 

 

「数寄屋橋」という橋の名前は、近くに住んでいた大名茶人で、かの織田信長の弟である「織田有楽斎(うらくさい)」が営んだ、数寄屋造の茶室に由来するとも言われています(諸説あるようです)。

で、「有楽町」という名前も、その「有楽斎」から付けられたとされているようですが、実際に有楽斎の茶室や屋敷が当地にあったことを示す歴史資料はなく、そもそも有楽斎は、江戸ではなく、大坂から京都を拠点としていたことも、この説に疑義が唱えられる理由の一つとなっているようです。

 

 

 

公園内には、岡本太郎さんの作品である「若い時計台」というモニュメントが設置されています。

昭和41年(1966年)制作、その二年後に設置されたもので、「八方に意欲をつきだし、情熱をほとばしらせて生きるべき人間本来の姿」を描いたとされています。

 

(この記事で紹介した場所はこちら。)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハート展 | トップ | 家電製品のリニューアル »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。