写真の場所は、一番上の地図で示した場所。
ここから、南西方面へ向けて「273」という数字のある斜めの通りが通っています。
「273」というのは道道の番号ですが、札幌市中心部の道路というと、開拓使によって規則的に整備された、所謂「碁盤の目」状になっているというイメージが強いようですが、そんな中にあって、斜めに貫かれた道路があるというのは、何だか異質とさえ思ってしまいます
しばらく歩くと、「元村」という表示がありました。
先日「大覚寺」を紹介したときに触れましたが、「元村」とは、「大友亀太郎」が作った「御手作場(規範農場)」が「札幌元村」と称されたことに端を発するこの周辺の地名で、その「元村」から札幌市中心部へ通じていた道路は、「元村街道」として整備されました。
その「元村街道」の現在を歩いてみたいと思います。
少し歩いて行くと、このような名前の碑が。
この地には、「橘仁」という人物が定住し、林檎の苗木を植樹したことに端を発する「橘林檎園」があり、そこで栽培された林檎は、全国的な博覧会で優等賞を受け、当時の宮内省にも献上されるなど、全国的に注目されていましたが、やがて病害が流行して、農作物の主流が玉ねぎになり、昭和5年(1930年)に林檎園は閉鎖されてしまいました。
この碑は、そんな林檎園の歴史を伝える目的で、仁氏の孫の「橘忍」氏によって建立されました。
その碑に刻まれている歌。
「一握の砂」というと、かの石川啄木の歌集ですが、そのとおり、これは実は啄木の歌。
「橘」という姓でピンと来られた方もいらっしゃるかもしれませんが、実はここは、啄木ゆかりの女性の一人で、「一握の砂」の中で、実に22にも及ぶ歌の題材となった、「橘智恵子」の生家なのです。
ななめ通りから少し入った目立たない場所にありますが、函館や釧路で啄木ゆかりの地を巡ってきた私にとっては、このような場所の存在は、衝撃且つ興味深いものがありました。
ななめ通りをズンズンと進んで行きますが、普通の住宅街で、特にこの辺には注目したくなるスポットはありません。
この「ななめ通り」ですが、元々は、この周辺を流れていた「伏籠(ふしこ)川」という川の堤防沿いにできた、けもの道が起源になっているようです。
やがて、五差路に到達しました。
ここまでのルートは、はこちら(↓)です
さあ、ここからどっちへ行ってみましょう。
「ななめ通り」だから、左斜め方向へ行ってみますか。
と、そこにある郵便局に、こんな表示が。
「ファイターズ通り」。その名のとおり、「北海道日本ハムファイターズ」を応援する町ということなのでしょうが・・・。
歩道には、こうしたデザインも描かれています。
今はシャッター街になっていますが、歴史がありそうなアパートの一階部分に、かつて多くの商店が軒を連ねていたことが窺えます。
シャッターの開いている場所があったので行ってみると、地域FMのスタジオでした。
番組の生放送中だったようです。
このときを思い出して、懐かしい気持ちになりながら見ていました。
何故「ファイターズ通り」という名前が付いたかというと、ファイターズが札幌に移転して数年後、近くに屋内練習場が開設されたことから、それを縁として、商店街一丸となって応援しようという思いから付けられた名称だそうです。
北広島に本拠地が移転すると、その屋内練習場はどうなってしまうのか、そしてこの通りの名称も・・・というのがちょっと気になるところですね。
(屋内練習場の紹介記事はこちら)