北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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歩道ブロック~その1~

2020-06-28 16:09:02 | 釧路&釧根地方

 

外出自粛要請は解除されたけど、天候のせいもあって、あまり遠出もできずモヤモヤした日々を送ってます。

そんなわけで、町ブラと言っても、住まいから徒歩圏内が中心になってしまうのだけど、以前からやろうと思っていたネタを二回に分けて紹介します。

まずは、「フィッシャーマンズワーフMOO」の前の通りからスタート。

 

 

何気なく歩いていると見過ごしてしまうけど、このエリアの歩道には、釧路の歴史をデザインしたブロックが設置されています。

ざーっと紹介していきましょう。

 

 

 

「川崎船」って何だろうと思って調べてみたところ、明治後半から大正にかけて、沖合底曳き漁業の主力として、釧路や厚岸で活躍した無動力船だそうで、福井県川崎村(現坂井市)で初めて造られたことに由来するそうです。

 

 

鮪(マグロ)漁が盛んだったころの様子ですね。

 

 

釧路港修築の経緯は、こちらを御覧ください。

 

 

 

 

改めて触れるまでもありませんが、石川啄木の来釧は、明治41年(1908年)1月21日です。

 

 

 

MOOの前を過ぎると、右に折れて、「釧路市国際観光交流センター」の前を通ります。

 

 

現在のMOOのある位置に魚河岸があり、漁業が隆盛を極めていた頃の様子でしょうかね・・・。

 

 

薄くなっちゃってますけど「自動車」です。

釧路にはいつ頃から自動車が走り始めたのかな・・・。

 

 

「釧路水産製造所」という施設。

どこにあったんだろう・・・、突き止めて、その跡地へ行ってみたいです!

 

 

更に進んで、釧路市役所と、釧路プリンスホテルの前の通りへ。

 

 

先程の啄木来釧とも関連のある「旧釧路停車場」。

それがあったのは、この辺りです。

 

 

郷土資料館とかでよく目にしますねこれは。

 

 

釧路警察署と、「釧路パレスボウル」の前の通りへ。

 

 

読みにくいけど、「ランプと笠つき電灯」です。

 

 

 

そして、「鉄道公園」こと「幸町公園」の前へ。

 

 

釧路における鉄道の歴史は、明治34年(1901年)に、釧路~白糠間が開業したことに始まります。

その後、同38年(1905年)に帯広まで結ばれ、同40年(1907年)には帯広~落合間が開業して旭川と結ばれることとなり、大正2年(1913年)には、下富良野~滝川間が開業して、札幌までの所要時間が大幅に短縮されることとなりました。

 

今回紹介したルートは、こちらです。

 


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