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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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星形城郭のある都市

2017-12-05 20:44:42 | クイズ番組

昨日の続き。

函館と姉妹都市提携を結んでいるカナダのハリファックス市は、五稜郭に似た「ハリファックス砦」という星形城郭で知られる町で、それが縁で姉妹都市となった経緯があります。

これに関しては、同じような城郭を持つ都市が一堂に会して、1997年に、「世界星形城郭サミット」なる国際会議が開催されたことがありました。
参加都市はこちらでしたが、これに含まれていない都市で、同じような城郭を有する都市があったことを、つい先日思い出しました。


アメリカ・メリーランド州ボルチモア:フォート・マクヘンリーナショナルモニュメント


アメリカ合衆国の首都ワシントンD.Cから車で約一時間ほどのところにある東海岸の都市ボルチモア。
野球に詳しい方であれば、メジャーリーグのオリオールズの本拠地であることを思い浮かべる方も多いかと思いますが、ここは、アメリカの歴史を語る上では欠かせない場所の一つとなっています。

「米英戦争」と聞いても、世界史に詳しい方でなければなかなかピンと来ないかもしれませんが、1812年6月から1815年2月までの間、イギリス、その植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだ部族とアメリカ合衆国との間で繰り広げられた戦争がありました。

1814年9月12日から15日にかけて、このボルチモアにおいて、イギリス軍陸海協働軍とアメリカ軍との間で激しい戦闘が繰り広げられました。
この時、この「フォートマクヘンリー砦」は、実に二十五時間に亘ってイギリス海軍の艦砲射撃を受け続けますが、アメリカ兵士達は、どんなに攻撃を浴びても落ちることなく翻り続けている星条旗に勇気づけられて耐え抜き、ついにはイギリス軍が諦めて沖に撤退し、この戦争が終結に向かう転機となりました。
この出来事に心を動かされた弁護士のフランシス・スコット・キーは、『マックヘンリー砦の防衛』という詩を書き記しましたが、これが後にアメリカの国歌『星条旗』となりました。
つまりここは、アメリカ国家生誕の地というわけなのです。

とまあ、世界史に疎い私が、各種関連サイトから得た断片的な情報を繋ぎ合わせて無理なく書けるのはせいぜいこのくらいですが、では何ゆえ、ボルチモアにこの砦があることを思い出したかというと・・・、





ここは、1989年に放送された「第13回アメリカ横断ウルトラクイズ」の準決勝の舞台となった場所。
ここでの戦いは、ウルトラクイズのみならず日本のクイズ史に残ると言っても過言ではない大激戦となり、三十年近く経った今でも伝説として語り継がれていますが、先日久しぶり(でもないのかな)にその映像を見て、「そうか、ここにも星形城郭があったのか!」ということに思い至ったというわけでした。
行ってみたいものですなあ・・・。

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記憶が蘇る

2017-08-27 20:59:34 | クイズ番組

今年の「24時間テレビ」。例年同様楽しませていただいたけど、一番良かったのは、日本テレビの「歴代朝の顔大集合」の企画。
何といっても、久しぶりに、「トメさん」こと福留功男さんの元気なお姿を拝見することができ、「ズームイン!!朝!」もさることながら、「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「高校生クイズ」に夢中になっていた頃の記憶を蘇らせることができたのは、観ていて本当に嬉しかった。
高校1年生の時の「高校生クイズ」北海道予選で、私達のすぐ側にいた他校のチームが、壇上の福留さんに向かって、「いいぞ、トメェェ~!」と叫んだところ、福留さんは声のする方向をギロッと睨んで「トメと呼ぶな、福留と呼べ!」と一喝したということがあったのだが、今回のこの企画は、大変失礼ながら、そんな風に福留さんにエールを送ってしまいたくなるくらい、素晴らしい企画だったと思う。





三年間ずっと予選敗退だったけど、私にとっては一生の思い出であり、このカードも宝物。
最近はお見かけする機会が少なくなり寂しいと思っていたけれど、まだまだお元気で頑張っていただきたいと思います。

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二十九年前既に

2017-08-12 20:36:13 | クイズ番組

先般引退を表明された、将棋界のレジェンド、「ひふみん」こと加藤一二三九段。
人気の高まりによって、数々の逸話が紹介されているけれど、その中の一つに、対局中に、相手側に回って盤を眺めるというのがある。
これ、今般の「ひふみんフィーバー」で知ったという方も多いと思うのだが、実は今から二十九年前に、あるテレビ番組で紹介されていました。





1988年の、「第12回アメリカ横断ウルトラクイズ」。
その東京ドーム予選で、こんな問題が出題されていた。


「将棋の対局中、相手側に回って将棋盤を眺めるのは反則である。」

正解は言うに及ばず「×」なんだけど、写真の本に、この問題の解説として、こんなことが書かれていた。


「実際、加藤一二三九段は、相手側に回って盤を見ることがある。」


当時は「へぇ~」としか思わなかったけど、今般の「ひふみんフィーバー」を受けて、「ああ、これってあの時の!」と思ったクイズファンも多いかと思います。。
私もその一人なんだけど、第何回か忘れちゃってたので、夏休みに実家に帰って確認しました。

それともう一つ、久し振りにこの本を読んでいて、函館(箱館)と横浜に、興味深い共通項があることが分かりました。
これは、もう少し調べてから紹介します。

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そこまで激減していたとは・・・

2017-07-20 19:31:31 | クイズ番組

ちょっとショックな話。

今年の「高校生クイズ」北海道大会は、STVという、日テレ系ローカル局の本社と同じ建物の中にある「STVホール」というホールで開催されるらしい。

それの何がショックかって?
このホールは、テレビとかラジオの公開放送も行われる場所ではあるのだが、ホール自体はそれほど大きいものではなく、収容人数は、公式発表で468人とのこと。
つまり、そのホールに入りきるほどの人数しか集まらないほどに、参加者が減ってしまったということになるのだろうが、このことに関して、番組の公式HPを見ると、「各会場のキャパシティを超えるおそれが出た場合は、応募を締め切ることがあります。」なんて書かれてある。
こんなこと、私達の頃は考えられなかったので、ショックと言うか信じられないと言うか・・・。

私が出場したのは第9回~第11回(1989年~1991年)だけど、私が参加できるようになる前年の第8回大会には、実に2,411チーム、7,233人もの高校生が全道から集まっていた。
私が出場していた時は、第9回が5,000人台で、第10回と第11回は4,000人台だったと記憶している(初めて北海道から優勝校が出た第10回は、1,440チーム4,320人だったのを覚えているが、後の二回は正確な人数は忘れてしまった)が、それでも、会場となった札幌の野幌森林公園や前田森林公園に集まった高校生の熱気は物凄く、その雰囲気たるや、集まった高校生の数が1万人にも2万人にも見えてしまうほどのものがあったと言っても過言ではなかったと思う。
いつからか、1チームの人数が3人から2人に減ってしまったそうなので、単純に総参加者数だけでどうこうは言えないのかもしれないけど、それにしたって、私達の頃からすれば信じられないような激減であることに変わりはないので、やっぱり寂しいと思う。

公式HPを見ると、関東大会の開催会場も、蒲田にある「片柳アリーナ」という場所になっていた。
ここは収容人数4,000人程度だそうだけど、私達の頃は、西武球場(当時。現「メットライフドーム」)に、それこそ何万人という高校生が集まっていたことを考えると・・・ね。

それでも、今回「おぉ!」と思うのは、九州南部ブロック(私達の頃は、九州7県は一つのブロックだった)の会場が、熊本城二の丸広場になっていること。
ここに集まる高校生の熱気が熊本の復興を後押しし、ここを勝ち抜いて全国大会に出場した高校生が、その思いを背負って全国の強豪と対決するという展開は、夢と希望があって面白そうだ。

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一応筆記は通った

2017-07-18 19:41:41 | クイズ番組

アタック25の予選は倍率150倍 出演決定までのプロセス


今だから言える話・・・というわけでもないのだけど、実は一度だけ、アタック25の筆記試験を通ったことがある。

高校生の頃、「高校生クイズ」のためにクイズの勉強をしていて、「高校生クイズ」はもとより、「アメリカ横断ウルトラクイズ」など、クイズ番組の本も沢山買って読んでいたこともあり、大学生になったばかりの92年春、力試し程度に予選を受けに行った。
詳しくは忘れたけど、筆記試験は20問中15問程度で正解で通過というルールだったと記憶しており、運よく知っている問題が出てくれたこともあり、通過することができた。
しかし、結果的に番組に出演することはできなかった。筆記の後に面接があったので、そこを通過することができなかったということなのだろう。(はっきり「落選」と言われた記憶はないので。)
正直、面接が終わって帰宅する時、「あ、多分駄目だな」と思ったのを覚えている。理由は、これもはっきり忘れたけど、集団で受けた面接で同じグループだった人の中に、キャラ的に目立っていた人がいて、「あ、キャラ重視の面接であれば、きっとこの人(が選ばれる)だろうな」ということだった。
(もっとも、その人の顔も名前もその時限りで忘れてしまったので、実際にその人が出場できたのかどうかはわからない。)

当時は、これでも真剣に考えていて、アタック25が上手く行ったら、当時各局で放送されていたクイズスペシャル(フジテレビの「FNS1億2千万人のクイズ王決定戦」や、TBSの「ギミア・ぶれいく」で放送されていた「史上最強のクイズ王決定戦」など)にもチャレンジしてみようなどと身の程知らずなことを考えていた。
結果的に、それは夢見るだけで終わってしまったが、それでも、当時クイズ番組に夢中になっていて、番組のビデオや本で勉強したり、自分で問題を作ったりしていたことは、よい経験だったと思っている。
一例を挙げると、「はこだて検定」で、パッと見答えがわからなくても、四つの選択肢の中で、明らかに異質と思われるものを排除して考えたり、逆に、「これが正解じゃなかったら問題にする意味がないだろう」と思えるものを見つけたりして正解に辿り着いたというのが何問かあったのだが、これは、クイズの勉強で、択一式問題や○×問題を解く際のテクニックとして意識していたことが活かせているのかなと思う。
もっとも、思い浮かぶのはこれぐらいで他には何もないのだが、仕事でもプライベートでも、日常の様々な場面において、考えて答えを出すということの鍛錬として、クイズの勉強というのは大変効果的ではないのかなと最近思い始めてきた。
なので、あの頃と同じ気持ちでというのは難しいと思うけど、あの頃の気持ちを思い出してということはできると思うので、今後に活かして行けるよう頑張っていきたいと思う。
当時見ていた数々の番組で一番夢中になっていたのは、何と言っても「アメリカ横断ウルトラクイズ」だったのだけど、実家に帰れば、第1回から第16回までの本全巻が揃っているので、たまにこれを読み返して勉強し直すところから始めてみようかな。

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