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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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室蘭に来る

2017-11-14 20:10:12 | その他テレビ全般
不覚にも知らなかったのだが、「ブラタモリ」が、先日の洞爺湖に続き、室蘭にも来ていたらしい
室蘭は、住んだことはないけれど、小学校の頃、従兄妹が住んでいた関係で毎年のように遊びに行っていたので、道内の中では興味深いというか思い入れが強い街の一つ。
今般の放送を機に、全国の視聴者の方達に関心を持っていただけたら、道民として嬉しい限りだと思います。

↑でリンクさせた番組の公式サイトによると、室蘭編は91本目の放送とのことだけど、記念すべき100本目はどこになるのだろう。
どこかタモリさんにとって特別な意味のある場所にでもなるのかな。


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五箇所目

2017-10-23 21:50:28 | その他テレビ全般
11月4日の「ブラタモリ」は、またまた北海道、洞爺湖編だそうです。
一昨日のエンディングの時、思わず「おおっ!?」っと声を出してしまいました。(隣の部屋に聞こえたかも・・・)

北海道は昨年の知床編以来五箇所目(函館札幌小樽知床)。
個人的に、次回北海道編があるとしたら、アイヌ民族ゆかりの地をブラブラして、民族の北海道史における位置づけや、あるいは民族そのものの歴史などに触れてほしいと思っていたのだけど、なるほど洞爺湖という選択肢もあったか。
一週休みだけど、楽しみにしていよう。

そうだ、書籍版の第9巻まだ買ってなかった。買わなきゃ。
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名前を間違えないこと

2017-10-19 20:46:01 | その他テレビ全般
NHK木曜夜の「人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!」を興味深く観ている。
今日の放送では、紛らわしい感じである「萩」と「荻」の違いについて、日本人の約8割が「萩原」と「荻原」を間違えて覚えているという驚きのデータが触れられ、間違い防止の策として、語呂合わせで覚えるとよいということが紹介されていた。
なるほど面白い覚え方だなとは思ったが、観ていて、一度間違えるだけならまだしも、二度三度と間違える人も多いというのは、ちょっと情けないなと思った。

私が社会人になって最初の上司は、人様との接し方についてことのほか厳しい方で、私も「何を間違えても、相手の名前だけは絶対に間違えてはいけない」と言われたことがある。
また、何の本だったかは忘れたが、「人の名前を間違えるということは、その人の存在価値を認めていないに等しい」ということを読んだ記憶もある。
前者はともかく、後者はさすがにちょっと極端ではという見方もあるかもしれないが、私自身、人様と接する仕事をしている関係上、せめてそのくらいの気持ちで臨まねばなるまいということは常に意識している。

以前実際にあった話として、仕事で関係される方で、女性芸能人さんと名前の字が全く同じなんだけど、下の名前の読み方が違うという方がいた。
(個人情報なのでお名前は書かないけど、芸能人さんは音読みで、その方は訓読みという違い)
これはさすがに私も間違えてしまい、その方も、「(間違われることに)もう慣れた」という趣旨のことを口にされていたのだが、今から思えば、この出来事が、「人の名前は絶対に間違えないようにしよう。万一間違えてしまっても、同じ間違いを繰り返さないよう努めよう」という思いを強くした瞬間だった。

音読みと訓読みの違いだけでなく、他によくある例として、読み方が濁るか濁らないかということもある。
例えば、これはお名前を出しちゃうけど、「日本人のおなまえっ!」で古舘伊知郎さんと一緒に司会を勤められている赤木野々花アナウンサー。
この方、つい「あかぎ」さんって読んじゃいそうだけど、「あかき」さんが正しいんですね。
同じような例は友人や職場関係でもあり、間違えてしまったことも一度や二度ではないのだけど、間違いだということがわかったら、その間違いを二度三度と繰り返してはいけないということは、今後とも肝に銘じ続けていきたいと思います。
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誰の目線?

2017-09-27 19:48:46 | その他テレビ全般
どっちが主人公だっけ?と思う作品ランキング(gooランキング)


半分以上が観たことのない作品ばかりだけど、私はずっと、「ドラえもん」の主人公はのび太であると思いながら観続けてきた。

理由は、「主人公は誰か?」という問題は、その物語が誰の目線で描かれているかに注目すべきだと考えているからであるが、もう一つ言うと、「主人公」=「主役」では必ずしもないとも思っていた。

この考えを当てはめると、「ドラえもん」の場合、「主役」は、作品名にもなっているドラえもん自身でよいと思うが、ドラえもんは、のび太の暗い未来を危惧して、それを良い方向に持って行くためにやってきたロボットであり、それが作品のコンセプトである以上、一つ一つのストーリーがのび太の目線で描かれるのは自然なことで、ドラえもんの役どころというのは、主題歌のフレーズにもなっている「こんなこといいな できたらいいな」というのび太の願望を実現するための存在と言えると私は考えている。
この点に関しては意見は様々かと思うので、そんなことないだろうと考える人がいても別に反論するつもりはないが、私が、長年先のような考えで観続けてきたのは事実なので、その考えは今後とも変わることはないと思う。というか、変えてしまったら、作品自体を楽しめなくなってしまうと思うし。

ランキングには入っていないけど、同じような考え方で、そのとおりだなあと思った作品に、「ウルトラセブン」がある。
二十年くらい前の話だが、あるウルトラ関連の書籍の中で、収録されているコラムの執筆者が、「『ウルトラセブン』の主人公はモロボシ・ダンではない。ウルトラ警備隊である。」と書かれていたのを読んで、確かにそのとおりだと思った。

こちらも、ドラえもんと同じで、「主役」は、ダン=セブンでよいかと思うが、一つ一つのストーリーは、その時々で中心となっている隊員だったり、あるいは警備隊全員の目線で描かれているように私には思える。
例えば、フルハシ隊員の乗るウルトラホーク3号が、カナン星人の策略によりコントロールを狂わされ、旅客機と正面衝突する危機に見舞われる、第24話「北へ還れ」は、完全にフルハシの目線で描かれていて、ダン=セブンは、そんなフルハシを救うための役どころでしかないのがわかるし、フルハシだけでなく、キリヤマ隊長、ソガ、アマギ、アンヌが中心のエピソードでも同じことが言えると思う。

また、第47話「あなたはだあれ」に登場する中年サラリーマンのように、ゲストが物語の中心と言っても過言ではない回もあるが、ゲストの目線も大事にしつつ、その危機を救うために活躍するウルトラ警備隊(この回の場合、正確にはフルハシとダンの二人)の目線で物語が描かれていることが、やはり観ていてよくわかる気がする。
そのように、隊員(登場人物)一人一人のキャラクターをしっかりと確立し、その時々において中心となる者の目線で描くという基本がぶれていなかったことも、「ウルトラセブン」が、シリーズ最高傑作と言われ、間もなく放送開始五十年を迎えるという今になっても根強い人気を保ち続けている理由だと、私は思う。

セブン関連の方が長くなっちゃったけど、私はこれからも、「主人公=物語が誰の目線で描かれているか」という視点から様々な作品を観続けていきたいと思います。
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今更の話

2017-09-08 20:19:44 | その他テレビ全般
今更ながら知ったこと。

「ぴったんこカン・カン」(TBS)のナレーションって、私達の世代では「ヤッターマン」のドクロベエなどでおなじみの滝口順平さんなのかなと思いながら見ていたのだけど、調べてみたら、滝口さんは2011年に亡くなられていて、現在担当されている古賀慶太さんという方は、元々滝口さんの声真似をされていた方なんだそうな。
滝口さんが亡くなられていたこと、そして「ぴったんこ~」のナレーションをされていて、亡くなられた後に現在の古賀さんに引き継がれていたということ自体、失礼ながら存じ上げていませんでした・・・。
でも、事実を知ったうえで改めてナレーションを聴いてみると、本当に滝口さんにそっくりだなと思います。
大変今更ですが、滝口さんのご冥福をお祈り致します。


もう一つ、これも今更ながらの疑問。

「ウルトラマン」の主題歌の1番の歌詞「光の国からぼくらのために きたぞわれらのウルトラマン」というフレーズについて、「ぼくら」と「われら」という二つの一人称複数形が登場するが、どちらかに統一せず、あえて二つにしたのには、ひょっとすると何か深い意味があるのかなと、先日久しぶりにDVDを観ていて思った。
ウルトラマンが守るのは、言うに及ばず地球の平和。その地球は、子供たちだけでなく、これまた言うに及ばず、住んでいる全ての人、動物たちのもの。
そう考えると、どちらかに統一するとすれば「われら」の方が適切なのかもしれないが、ウルトラマンは子供たちのヒーローだから、子供たちに夢を与えるフレーズとして、あえて「ぼくら」を盛り込んだということなのかな。
じっくり考えると大変奥が深そうだけど、子供目線で考えれば、確かに「われら」よりも「ぼくら」の方が夢があっていいかもしれませんね。
(そういえば、「ウルトラマンエース」の主題歌の3番にも「ぼくらの町に 魔の手が伸びて~」というフレーズがあったな)
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