自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登半島地震 「上善水の如し」加賀の酒蔵が能登の応援酒

2024年03月08日 | ⇒ドキュメント回廊

  日本酒を評するときに、「上善水の如し」という言葉が使われる。理想とする酒は水のようにすっきりしていて飲みやすいという意味だ。きのう(7日)近所のスーパーに行くと、入り口に「酒蔵復興応援酒」という棚があった=写真・上=。石川県白山市の酒蔵が地震で倒壊した能登の酒蔵を応援するためにコラボレーションで造った酒を販売するコーナーだ。酒造メーカーはそれぞれつば競り合いを演じているとの印象があったので、コラボは意外だった。 

  白山市はいわゆる加賀であり、石川県民にとっては加賀の酒蔵が能登の酒蔵を応援して造った稀な酒だ。加賀の酒蔵は「車多酒造」、能登の酒蔵は珠洲市の「桜田酒造」と能登町の「数馬酒造」。3つの酒蔵の酒は金沢に住んでいてもなじみがあり、車多は『天狗舞』、桜田は『初桜』と『大慶』、数馬は『竹葉』のブランド酒で知られ、それぞれにファンが多い。個人的な趣向だが、冬の季節だと能登の酒はズワイガニのぴっちりと締まった身や味噌(内臓)にしっくりなじで実に相性がいい。

  応援酒の棚には車多酒造の添書が貼られていた。「能登半島地震で、桜田酒造は一瞬で全滅しました。蔵元杜氏の桜田博克氏は、一面に広がる瓦礫の中から一歩ずつ酒蔵の再興を目指しています。このお酒は、奇跡的に残った初桜本醸造と天狗舞をブレンドしたものです。利益は桜田酒造の復興資金となります。ぜひ、初桜を応援してください。なお、このお酒は桜田氏が味わいの監修を行いました。能登に想いをはせお楽しみください」(一部略)と。同様に竹葉の添書もある。(写真・下は、酒蔵が倒壊した珠洲市の桜田酒造=「令和6年能登半島地震 酒蔵支援プロジェクト」公式サイトより)

  その添書からは、同業他社ではあるものの、さらりと手を差し延べる気持ちが伝わってくる。そしてうれしいことに、その添書を読んだ買い物客が次々と初桜や竹葉を購入していたことだ。もちろん自身も買った。上善水の如く穏やかに気持ちが流れて消費者の心も癒やす。酒蔵の連携にそんなことを感じた。

⇒8日(金)午前・金沢の天気   くもり時々はれ 

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☆能登半島地震 工夫凝らした仮設住宅あれこれ

2024年03月07日 | ⇒ドキュメント回廊

  仮設住宅が各地で造られている。被害が大きかった輪島市、珠洲市、能登町、穴水町、七尾市、羽咋市、志賀町、そして液状化現象に見舞われた内灘町の7市町であわせて4600戸におよぶ。

     今月4日に輪島市の千枚田の被災状況を見に行くため国道249号を車で走っていると、目的地の手前付近で巨大な白いキノコのようなものが見えてきた=写真・上=。周囲には人の気配はなかった。おそらく災害支援ボランティアの宿泊施設で、作業のため出払っているのかもしれない、と勝手に想像した。後でネットで調べると、仮設住宅だった。「インスタントハウス」との名称で、名古屋工業大学の教授が考案した製品。防炎シートを空気で膨らませ、1棟あたり2時間で完成するという。   

  直径およそ5㍍、高さ4㍍ほどのいわゆる簡易住宅。中の広さは15平方㍍(4.5坪ほど)ほどで、5人から8人がカーペットを敷いて寝転がったりできるスペースになっている。中は断熱材が施してあり、寒さはしのげるようだ。住宅の中を見学できなかったが、それにしてもカタチが面白い。

  志賀町富来地区で設置されている仮設住宅は「トレーラーハウス」と呼ばれ、リゾート地の別荘のような外観が特徴=写真・中=。近くにはスーパ-マーケットや薬局などもあり、とても便利な場所だ。ネットで調べると、トレーラーハウスの高さは4㍍、幅11㍍、奥行き3.4㍍の1LDK。洋室やキッチン、浴室、トイレを備え、1戸当たり4人から6人が生活できるという。家賃は無料だが、電気・上下水道料金などは各自負担となる(志賀町役場公式サイト)。入居申請は227戸分あり、町役場としては全員が入居できるよう施工主の県庁と調整している。

  そして、完成したらぜひ見てみたい仮設住宅がある。このブログ(2月18日付)で取り上げた、世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏の設計した仮設住宅。珠洲市で着工している木造2階建てで、6棟で計90戸が建つ。小さな棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用する。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成し、これを組み合わせて6、9、12坪の住戸をつくる。内装は加工せずに木のぬくもりを生かすという。その設計構造をこの目で見てみたい。(※写真・下は、坂茂建築設計公式サイト「令和6年能登半島地震 被災地支援プロジェクト」より)

  これらのユニークな仮設住宅に入居できる条件は、住宅が全壊あるいは半壊以上でやむを得ず住宅を解体する人などに限られる。仮設住宅に入居してもホッとするのは束の間かもしれない。損壊した住宅の撤去と再構築、今後の人生や家族設計などさまざま難題に取り組むことになるのだろう。

⇒7日(木)午前・金沢の天気    くもり

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★能登半島地震 仮設住宅の設置で救われるのか「消滅集落」

2024年03月06日 | ⇒ドキュメント回廊

  奥能登の輪島市町野町の金蔵(かなくら)地区は田園と集落がまるで絵に描いたように広がる里山で知られる=写真=。2008年9月に第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、名古屋市)に出席した生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラ氏がこの地に立ち寄り、棚田で稲刈りをする人々の姿を見て、「日本の里山の精神がここに生きている」と述べた。金蔵の里山にクロサンショウウオなど貴重な生物が生息しており、自然と共生し生きる人々の姿に感動したのだった。2009年には「にほんの里100選」に選定されている。

  自身が大学教員だったころ、何度か学生や留学生たちを連れて能登をスタディ・ツアーで訪れ、金蔵に立ち寄った。人気だったのが、昼食に地域の人たちが用意してくれた「ジビエカレー」だった。ジビエはイノシシ肉で、地域の実情について話していただいた世話役の人は「金蔵の人口が減るごとに反比例してイノシシが増えている」と苦笑いしていたのを覚えている。2014年のツアーのときに聞いた話では、人口は130人だった。2009年の「にほんの里100選」に選ばれたときは160人と聞いていた。

  そして、再び金蔵の人口のことが話題になった。地域メディア各社の報道によると、金蔵地区の区長が今月4日に輪島市役所を訪れ、同地区内に仮設住宅を設置する申し入れた。要望書などによると、金蔵では地震前に53世帯95人が暮らしていたが、現在はそのうちの70人が金沢市などへ避難し、現在は25人に減少している。避難した多くの世帯は地元に仮設住宅ができれば金蔵に戻る意向を示していると区長は説明した。

  同地区では地震で3割近くの家屋が損傷し、市街地へ向かう道路が寸断されている。このため支援物資は届かず、受け取りに車を1時間走らせることになる。こうした不便な生活が長引く中、人々は集落から離れている。

  もしここで市役所が仮設住宅設置の要望を受け入れなければ、「集落消滅」は現実に起きるのではないか。アフメド・ジョグラ氏がこの地の里山の風景を絶賛してから16年目になる。

⇒6日(水)夜・金沢の天気   くもり

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☆能登半島地震 災害あれど稲が風そよぐ千枚田

2024年03月05日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登のリアス式海岸のシンボル的な光景が輪島の白米千枚田だ。きのう(4日)ようやく現地を訪れることができた。それまでは土砂崩れで国道249号が切断されていたので行けなかった。2ヵ月余り経って、輪島市街からようやく行けるようになった。しかし、千枚田からさらに東方向へは通行止めが続いていて、曽々木海岸や揚げ浜式塩田などへは行くことができない。

  千枚田は正確に言えば1004枚の棚田が広がる。元日の地震で多くの住宅が損壊し、名所の曽々木海岸の窓岩は崩れ、平家ゆかりの時国家住宅などは損壊した。また、輪島の朝市通り周辺の200棟が全焼するなどした。千枚田は土砂崩れなどはなかった=写真・上=。ただ、よく見るとところどころに亀裂が見える。近づいてよく見ると、大きなもので、幅10数㌢、深さ50㌢ほどの地割れが数㍍続いている。

  田んぼは水はりをするので、地割れで水耕は大丈夫なのかと、素人ながら考えてしまう。千枚田を運営管理する公益財団法人「白米千枚田景勝保存協議会」では稲作を続けようと、クラウドファンディングで呼びかけている。「修復には大量の土砂や杭が必要であり、また、人力での修復となりますので、人を動かすお金も必要です。これらの資金を調達するため、みなさまから支援を募り、修復費用等に充てさせていただきます」と。目標1000万円に対し、きょう5日現在で1247万円が集まっている。

   亀裂が入った田んぼ眺める。ところどころに岩石がある=写真・下=。これを見ると千枚田の歴史を思い浮かべる。「大ぬけ」と今でも地元で伝えられる大きな土砂崩れがあった。1684年のこと。いまで言う深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田として再生した。そのときに落ちてきた岩石は今でもところどころにある。そして、今回の地震で地割れが起きた。

  これまで災害にめげずにひたすら棚田を耕してきた。人手が足りなければ「棚田のオーナー制度」で人を集め、田に亀裂が入ればクラウドファンディングで資金を集めて修復を行う。ひたむきなアイデアと地道な努力で千枚田の稲が風にそよぐ。

⇒5日(火)夜・金沢の天気    あめ

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★能登半島地震 水揚げできない「使用不可」漁港が18も 

2024年03月04日 | ⇒ドキュメント回廊

   きょう輪島市の被災地を何ヵ所か見に行った。輪島漁港では地震で海底が隆起して200隻の漁船が港から出れなくなっていて、海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が行われていた。北陸地方整備局の公式サイトなどによると、漁港内は震災前は水深3㍍から4㍍だったが、地震で1㍍から2㍍の隆起が確認されている。「板子一枚、下は土砂」の状態のようだ。漁船が移動するには水深2.5㍍から3㍍が必要とされる。このため、同整備局が2月16日から浚渫作業を行っている。

  現場に着いたとき、浚渫作業は休止していた。クレーンを搭載した船1隻が港の入り口付近が停泊していた。海底の土砂を掘り起こし、港内の別の湾内に仮置きしているようだ。(※写真・上は、輪島漁港では岸壁などが隆起して、海面が沈んだように見える)

  輪島市門前町の鹿磯漁港でも海底が隆起して、漁船が干上がった海底に乗り上げたままになっていた=写真・中=。この周辺は4㍍近い隆起が発生した(国土地理院・2月20日公表)。鹿磯漁港は日本海のスルメイカ釣り漁業の拠点の一つとなっていて、5月1日の解禁とともに県内外の漁船でにぎわうが、その様子も様変わりすることになる。また、漁港近くの海岸では海底が露出、魚介類や海藻などが乾燥して岩場が白く変色した異様な光景が広がっていた=写真・下=。

  水産庁や石川県などのまとめによると、県内の69漁港のうち、60港で損傷が確認され、水揚げができない「使用不可」の漁港が輪島や鹿磯など奥能登を中心に18港におよんでいる。

⇒4日(月)夜・金沢の天気    くもり

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☆能登半島地震 ワカメ漁は大丈夫か、輪島海女に一大転機

2024年03月03日 | ⇒ドキュメント回廊

  冬に荒れる能登の海も、3月に入ると徐々に穏やかになる。中旬になるとワカメ漁が始まる。新聞記者時代に輪島市から49㌔沖にある舳倉(へぐら)島=写真・上=でのワカメ漁を取材したことがある。漁師の夫婦が船で輪島漁港から舳倉島に来ていた。妻の海女が4、5㍍の海に潜る。岩礁に生えているワカメを鎌で刈り取る。潜って40、50秒すると刈ったワカメを肩で担いで浮上してくる。海面に顔を出して息を吐くとピュッーと磯笛(いそぶえ)が響く。そのワカメを船上の夫が取り上げると、海女は深呼吸してまた海に潜る。これを何度か繰り返す。舳倉島のワカメは1㍍から1.5㍍の長さのビッグサイズで、塩漬けワカメとして料理で重宝される。

  島の岸に上がると夫婦はワカメを石ころが広がる斜面地に天日干しする。夫が船を操り、妻が潜る、こうした協業のことを「夫婦船(めおとぶね)」とこの土地では言うそうだ。先日、輪島漁港を訪れたとき、そんなことを思い出していた。同時に地震が起きた今年はワカメ漁が可能なのかと案じた。(※写真・下は、文化庁「国指定文化財等データベース」サイトより)

  地震による地盤の隆起で輪島漁港の水深が浅くなり、座礁の危険があるため200隻の出漁できない状態が続いている。港では先月から海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が始まっている。工期は3月28日とされているが、さらに延長される見通しもある。

   輪島から舳倉島へ船を出せれないだけでなく、ワカメ漁でもう一つ案じることがある。それは、舳倉沖の岩礁の変化だ。海女たちはワカメがよく採れる水域や岩礁の位置を経験則で把握している。ところが、地震で海底の地形が一変しているとすれば、ワカメが生育する場所探しから始めなければならない。

  これはワカメだけの話ではない。7月1日からはアワビ漁が解禁となる。どこの海にもアワビが生息するわけではない。海底の地形が一変しているとすれば、アワビが繁殖する場所探しが肝心だ。そもそも海底隆起がアワビの生息にどのような影響を与えているのだろうか。素潜りでアワビなどを採る「輪島の海女漁の技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されている(2018年)。輪島の海女漁が一大転機を迎えたと言える。

⇒3日(日)夜・金沢の天気   くもり

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★能登半島地震 大学が背負う復興という新たな社会貢献

2024年03月02日 | ⇒ドキュメント回廊

  金沢大学は2007年に社会人の人材育成事業「能登里山マイスター養成プログラム」を始め、現在も「能登里山里海SDGsマイスタープログム」として奥能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)などと連携しながら事業を継続している。大学の社会貢献の一環として評価を受けている。

  講義(毎年6月-翌年2月)は月2回だが、加えて受講生がそれぞれ独自のテーマを設定し「卒業課題研究」を行う。教員スタッフの担任指導を受けながらプランや途中経過を報告し、さらに専門家から客観的な見直しや新たな着想を得て卒論発表に臨むことになる。厳しい審査を経て合格すれば、3月の修了式で金沢大学長名の「能登里山里海SDGsマイスター(実践探求型、知識習得型)」の称号が学長から手渡しで授与される。

  その修了式がきょう2日、能登半島の尖端、珠洲市にある金沢大学能登学舎であった。自身もかつてこのプログラムに関わっており、オンラインでその様子を見ていた。能登半島地震があった後の修了式でどのような雰囲気なのか注目した。地震の影響での道路事情、そしてきょうは降雪があり、和田学長は現地に赴かずにオンラインでの参加だった。このため、学長からの手渡しの授与もオンライン上で形式的に行われた。

  続く学長式辞の中で、地震からの復旧と復興に向けて教育研究機関として協力していくため、学内に「能登里山里海未来創造センター」を新設し、地域行政や自治体、企業と連携し、文理医融合で被災地の生活や生業の再建などについて提言、そして支援をしていきたいと述べた。

  これを受けて、大学と連携する4市町を代表して珠洲市の泉谷寿裕市長は、地震で大きな建物被害を受けたが、人材育成事業のマイスタープログラムは壊れてはいない。マイスター修了生のみなさんが能登の復興向けたチカラになることを確信している、新しい能登の未来を切り拓いてほしいと期待を寄せた。

   金沢大学が能登で人材育成事業を始めたのは、冒頭で述べたように、平成19年(2007)に学校教育法が改正され、大学にはそれまでの「教育」「研究」に加え、「社会貢献」という新たな使命が付加されたという背景がある。2007年当時は、過疎高齢化が進む能登で地域資源の里山や里海の活用を通じて、地域活性化を担う人材を育成するというコンセプトだった。現在まで241人のマイスター修了生を地域人材として輩出し、泉谷市長が祝辞で「能登の復興向けたチカラ」と述べたように、期待も大きい。(※写真は、能登里山マイスター養成プログラムの開講セレモニー=2007年10月6日)

   そして能登半島地震では、金沢大学は能登里山里海未来創造センターを新設。すでに、医療施設や避難所への支援活動、地震発生メカニズムや建物、津波、地盤被害の調査の公表、さらに奥能登から金沢市などに避難した中高生への学習支援などを行っている。これからは地域行政や経済界などと連携した震災復興や地域活性化の具体的な事業に取り組むことになるのだろう。いよいよ社会貢献の本丸を背負ったと言える。

⇒2日(土)夜・金沢の天気    くもり

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☆能登半島地震 紛らわしい「携帯トイレ」って何だ

2024年03月01日 | ⇒ドキュメント回廊

  ライフラインは水道と電気が復旧すればなんとかなると思いがちだが、現実はそうではない。前回のブログで、被災地で水道が復旧したとしても厄介な問題が出ていて、それが下水管の破損と述べた。能登半島の尖端にある珠洲市では下水管の94%に被害が出ていて、市は「トイレに水を流さないでほしい」「仮設トイレを使って」と呼びかけている。

  岸田総理はきょう1日、政府の能登半島地震の復旧・復興支援本部の会合で、上下水道を「住民生活に極めて重要」と強調し、復旧費用への財政支援を大幅に拡充する方針を示した。これと連動して、政府は被災地の復旧・復興に充てるため、予備費などから1167億円を追加すると閣議決定した(1日付・北國新聞夕刊)。上下水道問題、つまり水洗トイレ問題が大変なことになっている。

  先日、珠洲市で被災して避難所にいる知人から、「珠洲に来るなら携帯トイレは必携」とのアドバイスをもらった。このとき初めて「携帯トイレ」という言葉を知った。日本人は水洗トイレが当たり前だと思っているが、冒頭で述べたように通水が可能になっても、下水管が機能不全ならば水洗トイレは使えない。

  そこで、金沢市内で買い求めることにした。ドラッグストアで店員に「携帯トイレはありますか」と尋ねると、「それはホームセンターにありますよ」とのことだった。そこでホームセンターに行き、「携帯トイレはどのコーナーにありますか」と店員に尋ねると、「念のため、携帯トイレはポータブルトイレのことではないですよね」と問い返してきた。2つの違いがよく分からず、「どう違うんですか」とこちらが混乱した次第。そこで、能登半島地震の被災地に行く予定ですが、トイレの下水管に被害があって水を流せないなどと説明した。

  すると店員は「それだったら、おそらくこれですね」と防災用品が並ぶコーナーに案内してくれた。そこにあったのは、「災害非常時・断水時の携帯トイレ」「袋と凝固シートが一体化 防臭・抗菌効果 ラクラク処理」と書かれた袋に入ったものだった。「便袋20枚」とある。説明書きには、洋式トイレ(便器)の便座を便袋で包むようにかぶせて用を足す=写真=。その後、便袋を便器から取り出して中の空気を抜いて口の部分を紐で結ぶ。袋の底には抗菌・消臭の凝固剤のシートが貼り付けてあり、においや尿だまりがしない、とのこと。便袋20枚で価格は2680円(税抜き)、1枚134円だ。

  次に、ポータブルトイレのコーナーにも案内してもらった。プラスティック製の折りたたみ式の洋式トイレだった。コンパクトに収納ができ、防災備蓄としては必要不可欠とある。このポータブルトイレと便袋を自家用車に積んでいれば、いつでもどこでも用が足せる。珠洲の知人に電話で確認すると、「公衆トイレは普及していて、下水管が壊れていて水で便を流せないので、便袋だけでよい。携帯トイレは便袋のことだよ」との返事だった。

  確かにそうだ。でもそれだったら、最初から「便袋」と言って説明してくれればよかったのにと思った次第。言葉の紛らわしさでもある。知人を責めるつもりは一切ない。

⇒1日(金)金沢の天気    くもり時々あめ

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