おそらく日本人ほど「第九」が好きな民族はいない。その曲をつくった偉大な作曲家ベートーベンを産んだドイツでも第九は国家的なイベントなどで披露される程度の頻度なのだ。それを日本人は年に160回ほどこなしているとのデータ(クラシック音楽情報サイト「ぶらあぼ」調べ)がある。これは世界の奇観であろう。
年末になると指揮者の岩城宏之さん(故人)=写真・上=を偉業を思い出す。2004年と2005年の大晦日にベートーベンのシンフォニーを一番から九番まで一晩で演奏した人である。世界で初めて、しかも2年連続である。それはCS放送「スカイ・A」で生中継、05年のときはインターネットでもライブ配信された。私は放送と配信の仕掛けづくりに携わった。
意外な反響があった。そのCS放送を、帰国した野球の松井秀喜選手が自宅で見ていて、「(岩城さんは)すごいことに挑戦しているいる」と思ったという。また、当時岩城さんもニューヨークヤンキーズで活躍する松井選手に手紙を出すほどのファンになった。そして、岩城さんはオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で応援歌をつくり、世界へ発信する構想を温めていた。「ニューヨークで歌っても様になるように」と、歌詞は簡単な英語のフレーズを含むことも考えていた。この2人は会うことなく、06年6月に岩城さんは他界した。応援歌構想の遺志は引き継がれ、宮川彬良(須貝美希原作、響敏也作詞)/松井秀喜公式応援歌『栄光(ひかり)の道』とうカタチになった。曲の中の「Go、Go、Go、Go! マツイ...」というサビの部分は松井選手が出番になるとヤンキー・スタジアムに響いたのだった。
話は岩城さんのベートーベン全交響曲演奏に戻る。このときは演奏者はN響メンバーを中心にOEKメンバーも加わった混成チーム「岩城オーケストラ」だった。指揮者も演奏者たちも、そしてその挑戦者たちを見届けようとする観客も一体となった、ある種の緊張感が会場に張り詰めていた。そして元旦を向かえ第九が終わるとスタンディングオベーション(満場総立ち)の嵐となったのは言うまでもない=写真・下、06年1月1日、東京芸術劇場=。岩城さんは演奏を終えてこう言った。「ベートーベンのシンフォニーは一番から九番までが巨大な一曲。だから全曲を一度で聴くことに価値がある」と。今にして思えば凄みのある言葉である。
松井選手がことし11月、ワールドシリーズ第6戦で2ラン、6打点をたたきだしてヤンキースを優勝に導き、MVP(最優秀選手)に耀いたときのニューヨーク市民の歓喜の嵐と、岩城さんのベートーベン演奏のスタンディングオベーションが、私には今でも重なって聞こえる。
⇒22日(火)夜・金沢の天気 くもり