自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆12月8日は「記念日」でよいのか

2019年12月08日 | ⇒メディア時評

    きょう12月8日は、1941(昭和16)年2月8日未明(現地時間7日朝)、日本の海軍がハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲し、太平洋戦争が開戦した日でもある。もう78年も前のことだが、マスメディアは「戦争の記念日」のニュースとして取り上げている。 

    NHKが発掘したニュースをこう報じていた。「終戦直前の昭和20年、本土決戦に備えて女性や少年を含めた一般国民を戦闘員として組織した『国民義勇戦闘隊』の具体的な動員計画などをまとめた資料が、福井県に残されていることが分かりました。国民義勇戦闘隊に関する資料はこれまでほとんど見つかっておらず、調査にあたった専門家は『国民を総動員する戦争が寸前まで迫っていたことを示す資料だ』と指摘しています。」(8日付・NHKWeb版)

    視聴者の記憶から戦争のイメージを消さないという趣旨は理解できるが、この国民義勇戦闘隊のニュースに関心を持つ視聴者は果たしてどれだけいるだろうか。このニュースを見た視聴者の反応は「過去の戦争のことをいつまで報じるのか」「だからどうかのか」「では、当時NHKは反対したのか」ではないだろうか。過去のニュースを報じるのは簡単だ。現在の価値観で、戦前の日本の有り様を酷評すればそれで済む。このニュースを今取り上げるとしたら、現代への訴追性があるか、だ。「国民義勇戦闘隊は、本土決戦となった場合には兵士とともに武器を持って戦闘に加わることを義務づけられています。」(8日付・NHKWeb版)との内容だが、現代の法律に照らし合わせて問題があれば、「この法律はまるで国民義勇戦闘隊の布石だ」と指摘してほしい。あるいは、国民義勇戦闘隊の内容をはらむ問題が国会で審議されているのであれば、「まるで国民義勇戦闘隊だ」と問題化すべきだ。

    その問題性を現代に訴追できないのであれば、78年前の過去のことにどれほどの「ニュース価値」があるのか。12月8日は「戦争の記念日」という発想をマスメディアはいつまで持ち続けるのだろうか。「警鐘を鳴らし続ける」という発想であれば、アメリカ、中国、北朝鮮、韓国との軍事的な問題を徹底的に検証する番組をつくり、現代の日本の果たすべき役割、立ち位置を検証してほしい。日本を「過去」に逆戻りさせないとの意思を番組で表現することを期待したい。

    話は変わる。連日のようにに尖閣諸島への中国公船の領海侵入がありながらも中国国家主席を国賓として招くという。もし、招いた日に中国公船による領海侵入があれば、尖閣諸島は中国の領土ですと日本が追認したとことになるのではないか。尖閣のほかにも、香港やウイグルでの問題で国際批判を浴びている国のトップを国賓として迎えることの是非を正面から取り上げている日本のマスメディアを知らない。「安倍一強」を問うのであればこれが本論ではないだろうか。

⇒8日(日)夜・金沢の天気   あめ


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