自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★悲劇の始まりはどこにあったのか

2021年02月16日 | ⇒ニュース走査

   このニュースに接して言葉が出ない。残念としか言いようがない。事件は全国ニュースにもなった。石川県中能登町の前副町長の広瀬康雄氏(65)が93歳の母親とともに15日未明に死亡した状態で見つかった。県警の司法解剖などから、広瀬氏が母親を殺害後、自殺した無理心中とみられる(2月16日付・北國新聞)。広瀬氏は3月16日告示の町長選に出馬予定で、支援者は本人が「選挙事務所を開いてから体重が落ちた」と述べていたと言い、選挙の準備で相当なプレッシャーを感じていたようだ(同)。

   自身が広瀬氏と出会ったのは、2012年4月だった。自治体の特色ある取り組みを学生たちに講義してもうら、大学コンソーシアム石川の授業「石川県の市町」の講師依頼をした。当時は企画課長で快く引き受けてくれた。7月の講義で、「織姫の里なかのと」をタイトルに繊維産業を活かした地域づくりについて話していただいた。町の基幹産業である繊維については、麻織物から合成繊維へ、そして新素材や炭素繊維などにチャレンジしている企業の現状を紹介し、産業の観光化について熱く語ったのを覚えている。その後、住民福祉課長、総務課長を歴任して、2014年から副町長だった。講義をお願いしたことが縁となり、お会いすると言葉を交わし親しくさせていただいた。

   広瀬氏に転機が訪れたのは昨年12月だった。現職の町長から後継候補に指名され、本人も町長選に立候補を表明。1月15日に副町長を辞して、同30日に後援会の事務所開きをして選挙の準備を進めていた。先日、後援会事務所の前を通りかかったので、事務所をのぞいたが、本人はあいさつ回りに出かけていて不在だった。事務所のスタッフから、毎日100世帯以上を訪問していると聞き、選挙への意欲を感じた。

   事件についての記事を読むと、遺書などは見つかっていない。ただ、家族や支援者の話として、声がけしても返事がなかったり、本人の相当な疲労感を周囲も感じ取っていたようだ。亡くなったとされる14日もあいさつ回りをしていた。自身がこれまで接してきた印象は、理論的で仕事熱心、そして冷静なタイプだった。その人物がなぜ母親を道連れに死を選んだのか。悲劇としか言いようがない。

⇒16日(火)夜・金沢の天気    ゆき 


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