自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆同時多発テロとポリティカル・コレクトネス

2020年08月26日 | ⇒ニュース走査

          「9・11」から間もなく19年になる。2001年9月11日、現地時間で午前8時46分、日本時間で午後9時46分だった。当時帰宅して、報道番組「ニュースステーション」が始まったばかりの同9時55分ごろにリモコンを入れると、ニューヨ-ク・マンハッタンの高層ビル「ワールドトレードセンター」に民間航空機が追突する事故があったと生中継で放送されていた。食事を取りながら視聴していると、2機目が同じワールドトレードセンターの別棟に突っ込んできた。リアルタイムの映像で衝撃的だった。

   「9・11」をきっかけにアメリカ国民、とくに白人層の深層心理に変化が起き始めたのではないかと考えることある。そのシンボリックな現象の一つが2016年の大統領選挙でのトランプ氏の当選ではなかったか。トランプ氏は「メキシコとの国境に壁を建設」や「不法移民の流入に反対」、「イスラム教徒に対する入国の一時禁止」などを公約に掲げていた。同時多発テロはイスラム過激派「アルカイダ」による犯行だったので、有権者の支持を得るための公約だろうと当時思ったが、そのような単純なことではないようだ。

   1862年9月、大統領のエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を発して以来、自由と平等、民主主義という共通価値を創り上げる先頭に立ってきた。戦後、ソ連や北ベトナムなど共産圏との対立軸を構築できたのは資本主義という価値ではなく、自由と平等、民主主義という共通価値だった。冷戦終結後も、共通価値はマイノリティや社会的弱者の立場に立ち、人種や宗教、性別などに対する寛容さへと深化した。アメリカ社会では、こうした共通価値を創ることを政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んで自負してきた。

   ところが、同時多発テロをきっかけに、誰もが自由と平等だが、それが誰かの犠牲に上に成り立っているとすれば、それは偽善ではないか、とアメリカ国民、とくにポリティカル・コレクトネスを担ってきた白人層が考え始めた。ポリティカル・コレクトネスは社会規範だが、同時に本音が言えない閉塞感から、窮屈さや疲れを感じさせる。犠牲になっているのはわれわれだ、と。2003年にアメリカを中心とする有志連合が始めたイラク戦争は大量破壊兵器の廃絶を名目とした軍事介入とされた。そこには自由と平等、民主主義という共通価値はすでになかった。そして、トランプ氏はあえてポリティカル・コレクトネスの概念からかけ離れた公約を打ち立て、白人層から支持を得て当選した背景も同様ではなかった、か。

   では、ポリティカル・コレクトネスの犠牲の矛先は、次はどこに向かっていくのか。11月の大統領選なのか。あるいは、対立を深めている中国なのか。

⇒26日(水)午後・金沢の天気     はれ


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1 コメント

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「オーメン」666  (もののはじめのiina)
2021-06-06 11:42:05
大本営は、いつも都合のいい情報しか認めようとせず、都合のいい情報しか公表しない傾向にあるようです。
トランプしかり。政府分科会 尾身会長のコロナ禍への苦言にも似た構造がみてとれます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/9a1000f2c1ed90a7167465ee0886c62f

1976年封切の「オーメン」のダミアンは黙示録に記された666の獣、6月6日午前6時に生まれました。

なんと、「ニューヨーク同時多発テロ事件」に、その不吉な「666」なる符号がみれます。

「NEWYORK」の文字に、ある操作をしてその全てを合計すると、「666」になるのです。

不思議です。
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