自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★イリジウムのトラウマ

2005年05月30日 | ⇒メディア時評
   誰にだって二度と思い出したくないことがあるものだ、特にそれがひどいのをトラウマ(精神性外傷)という。その言葉を聞いただけで、神経症やヒステリーなどの精神障害の発生原因となる。私の場合、そこまではいかないが、トラウマの一つになっているのが「イリジウム」である。きのうある新聞を広げると見出しが目に飛び込んできて、過去の暗い思い出が一瞬によみがえってきた。

   以下は記事の要約である。衛星携帯電話「イリジウム」が復活する。KDDI子会社のKDDIネットワーク&ソリューションズ(KNSL、東京)は6月上旬にもイリジウムサービスを始める。日本では一度終了したサービスだが、一般の固定電話や携帯電話がつながりにくくなる災害時への備えとして官公庁や地方自治体などに売り込む予定。初年度300台の契約を目指す。

   あれは、1999年のことだった。当時、地元金沢の民放テレビ局の報道制作部長だった私は、山間地が多く取材上で携帯電話がつながりにくいことにヤキモキすることが多かった。その時、テレビのCMで流れていた、砂漠や南極からも電話がかかるというキャッチコピーのイリジウムに随分魅せられ飛びついた。その時、導入を渋っていた当時の総務局長に「NTTの衛星電話という手もあるのではないか。君はあのCMにほだされているのではないか」とまで言われたが、「NTTはセットアップに時間がかかる。山岳遭難があってもこれがあれば電話中継もできる」と大見得を切って、最終的にイリジウムを導入してもらったのである。

   ところが、そのイリジウムは米イリジウム社が経営不振に陥り、2000年にサービスが打ち切られた。結局、山岳遭難もなく、取材らしい取材には一度も使わずに、イリジウムは私の目の前から去っていった。総務局長から「だから言ったろう、CMにほだされるなって」とニコニコ顔だったもののきつい言葉を浴びた。

   私は前向きに物事を考える性格で、失敗があれば人生の教訓として生かすことにしている。が、このイリジウムの一件は、見通しの甘さだったのか、単なる倒産というハプニングだったのか、教訓を引き出せなかった。トラウマのようになったのは、むしろ自分なりの心の割り切りができないまま今日に至ったからだろう。確かに、「たかがイリジウムで」というレベルの話ではある。最後にイリジウムのサービスを再開するKNSL社に言いたい、経営が傾くほどCMに力を入れるなよ、と。

⇒5月30日(月)午前・金沢の天気 晴れ
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