元日の能登半島地震の震源地・珠洲市と金沢市は直線距離にして120㌔ほど。揺れは能登で最大震度7、金沢は同5強だった。金沢での被災で目立つのは、石垣が崩落するなどした金沢城跡だろう。市街地の中心部に位置するので、なおさら目立つ。その金沢城跡の石垣の復旧作業が始まっている。
兼六園の向かいにある国史跡の金沢城跡。県の調査では、地震で石垣の被害は28ヵ所に上り、うち江戸から昭和期にかけて造成された5ヵ所で崩落が起き、23ヵ所で壁面が膨らむなど変形した。崩れが起きた一つが、兼六園とつながる石川門の前の土橋石垣。高さ3㍍、長さ6㍍に渡って石垣が崩れた。損傷した箇所には足場などが組まれ、復旧作業の準備が進んでいた=写真・上、8月21日撮影=。
落石した195個のうち、すでに165個を回収し、300㍍ほど離れた「いもり堀」園地に運ばれていた。地元メディアの報道によると、形状などから165個のうち、158個は元の配置場所を特定できたという。その場所を示す数字なのだろうか、回収した石にはナンバーが記されていた=写真・中、同=。
別の所では、興味深い作業が行われていた。石川門とちょうど真反対にあたる、「数寄屋屋敷西堀縁」という場所。ここの石垣でははしごに上って5人の作業員が石と石の間に生えている草やツルなど抜いていた=写真・下、同=。看板には「石垣測量中」とある。読むと、「石垣復旧調査の測量をしています。3D計測及び写真撮影を行うため、石垣の掃除をしております。御協力をお願い致します。」とある。期間は「令和6年6月28日から令和7年3月7日まで」、発注者は「石川県金沢城調査研究所」となっている。
以下は憶測だが、レーザーなどを使った精密な3D画像を撮影することで、今後石垣が崩落した場合でも石がどの配置場所にあったものなのかを特定するための作業なのだろう。期間が来年3月となっているので、金沢城跡の石垣をすべて3D計測するようだ。城郭は石の素材やカタチや大きさ、積み方、そして年代など実に多様性に富んでいて、「石垣の博物館」とも称される。文化財の保全、それは復旧を持続可能なカタチで行うことなのだろう。
事業主体の石川県では、崩れた石垣の復旧に3年から5年、石垣のはらみなどの修正に少なくとも15年程度かかるとしている。
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