自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★コロナ禍でも「あえのこと」は絶やさず

2020年12月05日 | ⇒トピック往来

   新型コロナウイルイスの感染拡大で能登半島でもイベントがほとんどが中止となった。何百年という歴史があるキリコ祭りも中止となった。ただ、家々で毎年12月5日に営まれる農耕儀礼「あえのこと」だけはささやかに行われた。「あえのこと」は田の神をご馳走でもてなす家々の祭りを意味する。2009年9月、ユネスコ無形文化遺産に単独で登録されている。   

   田の神はそれぞれの農家の田んぼに宿る神であり、農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったなど諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちはその障害に配慮して接する。座敷に案内する際に階段の上り下りの介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で丁寧に説明する。もてなしを演じる家の主たちは、自らが目を不自由だと想定しどうすれば田の神に満足していただけるのかと心得ている。

   「あえのこと」を見学すると「ユニバーサルサービス(Universal Service)」という言葉を連想する。社会的に弱者とされる障害者や高齢者に対して、健常者のちょっとした気遣いと行動で、障害者と共生する公共空間が創られる。「能登はやさしや土までも」と江戸時代の文献にも出てくる言葉がある。初めて能登を訪れた旅の人(遠来者)の印象としてよく紹介される言葉だ。地理感覚、気候に対する備え、独特の風土であるがゆえの感覚の違いなど遠来者はさまざまハンディを背負って能登にやってくる。それに対し、能登人は丁寧に対応してくれる。もう一つ連想する言葉がSDGsだ。「誰一人取り残さない」という精神風土、あるいは文化風土をこの「能登はやさしや土までも」から感じ取る。

   去年、金沢大学で「あえのこと」見学ツアーを実施した。ブラジルからの女子留学生は「とても美しいと感じる光景の儀式でした。ホスピタリテーの日本文化を知る機会を与えていただき感謝しています」と喜んでいた。留学生たちは日本の「お・も・て・な・し」を体感したようだった。(※写真は、2019年12月5日の輪島市千枚田、川口家の「あえのこと」)

⇒5日(土)夜・金沢の天気    くもり

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