自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★日米野球文化のアーチに-上

2013年07月30日 | ⇒トピック往来

  今季限りで現役を引退した元プロ野球選手、松井秀喜氏(39)。28日に2003年から7年間在籍したヤンキースの本拠地で引退セレモニーがあった。テレビや新聞がニュース特集=写真=で報じた。ヤンキー・スタジアムの野球の本場らしい雰囲気がセレモニーを厳かにしていた。本塁上に用意された机で引退書類にサインをする風景などは日本では見たことがない。ピンストライプのユニフォームがはやり松井に合っている。テレビや新聞を見て、そんなことを思った。

    松井秀喜の応援歌『栄光(ひかり)の道』と指揮者・岩城宏之の遺志

 ホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは伝説にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。話のついでだが、母校・星稜高校は28日に開かれたことしの全国高校野球選手権石川大会の決勝で、6年ぶり16度目の夏の甲子園出場を決めている。

 高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本人で初の快挙だった。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井にとって20年間のプロ野球人生だった。

 では、松井はこれからの人生のビジョンをどう描いているのか。30日付の朝日新聞によると、ニューヨークの自宅の部屋には「野球のものが一つもない。目につく場所にボールやバット、写真もない。全部倉庫に入れちゃった。一つもなくなった。」と記者(星稜高野球部の同級生)に語っている。そして、ことし3月に生まれた長男の子育て中とか。また、石川県の地元紙は、8月上旬から10日間ほど日本に滞在し、この間、8日の全国高校野球選手権大会の初日観戦やトークショーなどのスケジュールをこなすという。

 でも、このことを指揮者の岩城宏之さん(2006年6月13日逝去、享年73歳)が聞いたら何というだろうかとふと思った。岩城は2004年と2005年の大晦日にベートーベンの交響曲一番から九番まで一晩で指揮した演奏した人である。世界で初めて、しかも2年連続である。それはCS放送でも生中継された。そして。松井の大ファンだった。自ら音楽監督をしていたオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で松井の応援歌をつくる構想を温めていた。「ニューヨークで歌っても様になるように」と、歌詞は簡単な英語のフレーズを含むことも考えていた。岩城が他界した後、応援歌構想の遺志は引き継がれ、宮川彬良(須貝美希原作、響敏也作詞)/松井秀喜公式応援歌『栄光(ひかり)の道』が完成した。曲の中の「Go、Go、Go、Go! マツイ...」というサビの部分は松井選手が出番になるとヤンキー・スタジアムに響いた。

⇒30日(火)朝・金沢の天気  はれ

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