自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆文明論としての里山5

2010年01月02日 | ⇒ランダム書評

  「文明の繁栄には崩壊の芽が内包されている」。こんなキャッチフレーズが目に留まって、『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド著、草思社)=写真=を手にした。上下巻で800㌻余りに及ぶ。イースター島、マヤ文明、現代中国など文明の繁栄は環境に負荷を与え、それが跳ね返って崩壊が始まる。一方で、環境危機を巧みに乗り越えて続く文明もある。文明の盛衰のサイクルの謎に、臨地的な調査(フィールドワーク)で迫った労作である。

            危機は見えているのか           

  本文を引用しながら、いまから1千年以上前にメキシコ・ユカタン半島とその周辺で崩壊したマヤ文明の謎解きをしてみる。その崩壊のプロセスはこうだ。マヤ民族は少なくとも500万人はいた。「入手可能な資源の量が人口増加の速度に追いつけなくなった」ことで人口と資源の不均衡が始まる。「森林破壊と丘陵地の侵食」が農地の総面積を減らす。減少する食料資源をめぐって、人間が争いあうようになり「戦闘行為が増加」した。小国同士がつばぜり合いを演じた。統一帝国ができなかったのは、マヤにはウマやロバといった運送に利用できる家畜がいなく、陸路の運搬は人の背に載せて行われたからだ。つまり、長距離の戦闘はできなかった。しかも、主食であるトウモロコシを兵士も荷役も食べるので、長期間の戦闘でできなかった。マヤの軍事行動は「期間も距離も大きく制限されていた」のである。そして、マヤを気候変動が襲う。旱魃(かんばつ)だ。

  こうした目に見える危機に対しても、小国の王たちは、「よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、互いに負けまいと懸命になった」。結局、現実の重大な脅威を前にしながら、支配者たちはなんら能動的な打開策を講じなかった。

  著者は文明の崩壊だけを論じているのではない。危機に対応した例として徳川幕府を挙げている。首都・江戸の明暦の大火(1657年)、火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大だったとされる。江戸再建のために膨大な木材を必要とした。森林を切り出した後、幕府は直轄山林に管理者(勘定奉行)を置き、さらに各藩の大名もそれにならって森林の管理者(山回り役)を設けた。また、村々の森林についても、村人全員が利用できる共有財産、いわゆる入会(いりあい)地として管理させた。このように、トップダウンで山の管理を徹底させることで、日本の森林の乱伐は防がれた、と述べている。

  現在、自然環境を守る主役は国家権力や支配者ではない。国民や市民である。著者は、「神は大地を創ったが、オランダ人はオランダを創った」とのことわざを引き合いに出して、海抜がマイナスの干拓地(ポルダー)に肩を寄せ合って住むオランダ人の環境問題(地球温暖化など)に対する機敏な対応や、人々の連帯感を高く評価している。対照的に、アメリカの風潮を「裕福な階層はどんどん、ほかの階層から隔絶を図り、自分たちだけの仮想ポルダーを築き上げて、個人の安全と快適さを金で買い…」と痛烈に批判している。アメリカの仮想ポルダーとは塀で囲まれ、富裕層が住むゲート・コミュニティのことを指す。「そういう別格化の底には、エリートは一般社会の問題とは関わらずにいられるという誤った信念がある」とさえ。マヤの小国の王たちは危機に瀕してもひたすら神殿をつくり続けた。いまのアメリカのエリートたちはそれと同根だと著者は下巻の最終章で述べている。

  以下、感じたことを述べる。このマヤの小国の王やアメリカの富裕な階層は、そのまま今の日本人に当てはまるのではないか、と。「豊かなニッポン」という仮想ポルダーをつくり、安全保障を他国に任せ、自国の農地や森林を放棄して食料や森林資源を海外から買いあさる。どこに日本人の危機感があるのだろうか。

 「文明の繁栄には崩壊の芽が内包されている」と冒頭に紹介した。いまその崩壊の芽が膨らんでいる。

 ⇒2日(土)夜・金沢の天気 あめ  

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