奥能登の農家には「あえのこと」という田の神を迎える年中行事がある。稲の生育と豊作を願い、田の神をまつる農家の儀礼で、毎年12月と2月に行われる。儀礼は家の主人が中心となり、家内に迎え入れ、風呂や食事でもてなす。いまではわずかな農家でしか伝承されておらず、国の重要無形民俗文化財でもある。この儀礼の特徴は田の神があたかも実在するかのように振る舞う主人の仕草にある。
ホスピタリティの「大学」
というのも、田の神は目が不自由とされ、迎え入れる主人は想像力をたくましくしながら、「田の神さま、廊下の段差がありますのでお気をつけください」「料理は向かって左がお頭つきのタイでございます」などとリテールにこだわった丁寧な案内と説明をすることになる。これはある意味で高度なホスピタリティ(もてなし)である。招き入れる家の構造、料理の内容はその家によって異なり、自ら目が不自由だと仮定して、どのように案内すれば田の神が転ばずに済むか、居心地がよいか(満足か)とイマジネーションを膨らませトレーニングする。これがホスピタリティ(もてなし)の原点となる。万人に通用するように工夫された外食産業の店員対応マニュアルとは対極にある。
文化庁は7月30日、能登の「あえのこと」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)が来年から作成する無形文化遺産のリストに、日本からは第一弾として登録を提案すると発表した。日本から登録を目指すのは、能楽や人形浄瑠璃文楽、歌舞伎と合わせ17件。後世に伝えるべき文化財として国際的に知名度が高まれば、観光面などへの波及効果は大きい。ちなみに「あえ」とは「餐」の字を当てる。
能登にはヨバレという風習がある。夏祭り、秋祭りが集落単位で行われ、神輿(みこし)や山車(だし)、キリコ(奉灯)が繰り出してにぎやか。自宅に親戚、友人、知人を招き入れる。招かれることをヨバレという。その家の祭り料理をヨバレゴッツォという。酒も入る。家族全員がホスト役となった、年に一度の盛大なホームパーティーである。ヨバレた側は今度、自らの集落のお祭りの際には呼んでくれた人を招くことになる。招き、招かれる。この祭りを通じて能登の人たちは幼いころからホスト、ゲストの振る舞いの所作を身に着けることになる。3歳の子供が客人に座布団を出し、中学生ならば熱燗の加減が分るといったふうにである。
能登エコ・スタジアム2008では、能登の祭りをテーマに「キリコ祭りフォーラム」(9月16日・珠洲市)を開催した。フォーラムのオプションとしてヨバレ体験をした。民家の座敷に上げてもらい、赤ご膳でもてなしを受けた。ここで感じたことだが、もてなしを受ける側(ゲスト)ともてなす側(ホスト)とでは同じ座敷でも見える風景が異なるものだ。ただ、2つの立場を理解することは人の素養としては必要なことだ。
日本の温泉観光は「ホスピタリティ産業」とも呼ばれる。中でも、能登の和倉温泉の加賀屋は「プロが選ぶ日本のホテル旅館百選」(主催:旅行新聞新社)で28年連続日本一に選ばれた名旅館だ。加賀屋だけではない。一客一亭でもてなす、レベルの高い旅館や民宿も能登には数多くある。加賀屋の小田禎彦会長から聞いた話(7月11日)だ。「能登は人をもてなす人材の宝庫です」と。
祭りでもてなしを受ける側(ゲスト)ともてなす側(ホスト)を小さいころから体験し、トレーニングを積んでいる。つまり、意識をしなくても能登の人たちはホスピタリティの高度な実践教育を受けている。これをプロ人材として生かしているのが和倉温泉でもある。その権化(オーソリティ)が加賀屋ということになる。まさに能登は「ホスピタリティの大学」なのだ。しかも、小中高と一貫の。その原点は、目の不自由な田の神をもてなす「あえのこと」だと考えている。さしずめ建学の精神といったところか。(※写真:能登エコ・スタジアム2008「祭りヨバレ体験」=9月16日、珠洲市)
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