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EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

神岡鉄道

2008年08月29日 | 東海

040905kamiokaokuhidaonsenguchi10  04年9月4日に能登半島の鉄道を乗り潰し、折り返して津幡から北陸本線を東へ進み富山にて宿泊。予約していたホテルが明かりが消えてどう見ても閉まっているように見えて焦ったが、閉まっていたのは旧館で隣の新館でチェックインしてほっと一息つけた。翌朝は富山駅で早朝から北陸、能登などの撮影をしたが、生憎の雨でロクでもない画になってしまった。富山から猪谷までの道中はジャジャぶりで、猪谷から乗り換えた神岡鉄道の道中もジャジャぶりだった。神岡鉄道の列車は囲炉裏付の車両だったが、季節的に囲炉裏がいるわけでもなく、車内は鉄っちゃんらしき人がパラパラと地元の人がパラパラ乗っているだけの寂しい車内だった。鉱山への貨物輸送が主体の鉄道だけに旅客はおまけといったところなのだろうが、私が乗った同年の秋には貨物輸送が廃止され、ついには06年12月1日に路線自体が廃止となってしまった。終点の奥飛騨温泉口にはタンク車を改造した妙な車両が置かれていたのが印象的だが、駅周辺に小規模な町が広がるものの、人は少なく、今から思うと廃止もやむなしという状況だったのかなと思う。

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JR太多線

2007年12月04日 | 東海

061229taita11117  JR太多線もJR武豊線同様にムーンライトながらに乗る前の行きがけの駄賃で乗車している。夕方過ぎのJR中央西線で多治見まで行き、多治見から太多線に乗って美濃太田に出て、美濃太田から岐阜へ戻り、東海道本線で名古屋へ戻り、同駅からムーンライトながらに乗る行程で乗り潰している。太多線のイメージはキハ11がちょこちょこ走るローカル線というものだったが、実際乗るとキハ47系統も運用されていたり、利用者も結構多かったりと名古屋、岐阜の郊外路線という印象に変わった。中央西線上にあるため、愛知県というイメージが強い多治見は実は岐阜県で、名古屋との結びつきが強いにしても、岐阜へ抜ける鉄道ルートとして太多線が活用されることはないのかと思う。キハ11では話にならないが、紀勢本線、参宮線、武豊線あたりを電化して、キハ75系をねん出して、これを太多線から岐阜方面へ抜ける快速に使用して、中央西線沿線から岐阜方面への速達サービスを提供すれば面白いのではないか?もっとも中央西線快速と東海道本線新快・快速との乗り継ぎの方が速ければ利用価値が半減する。設定するなら太多線内各駅、高山本線内は快速運転する列車にしなければならない。岐阜~美濃太田間の輸送力強化と同時に行えば面白いと思う…それ以前に紀勢本線、参宮線、武豊線の電化は難しいと思うが。これを本気でやるなら、太多線にキハ75系の後継を投入して、太多線のキハ11系を高山本線のキハ40系列の置き換えに利用するという玉突き転配とするのが妥当だろう。

 太多線にはその後もう1度乗車している。05年9月4日に名古屋地区の各線の乗り直しを兼ねて18きっぷで訪問している。伊勢鉄道などを乗り直して関西本線で名古屋へ出て、エキスポ輸送真っ盛りの中央西線で多治見まで行き、太多線に乗っている。多治見での乗り継ぎ時間が短く、あまりじっくり見物はしていないが、お得意の?車上を行いながら道中を楽しんだ。太多線にはキハ85系を使用したホームライナーが走っているが、関西からそれを目的に遠征するには時間と費用がかかり遠征の動機付けとして魅力に乏しいので、今後もお目にかかることはなさそうだ。時間と金に余裕があれば(たぶん都合が合えばしかない)太多線を走るホームライナーの撮影に沿線に出向きたいものだ。

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JR武豊線

2007年11月26日 | 東海

051015taketoyo75  JR武豊線は学生時代に東京遠征のため、ムーンライトながら乗車前に行きがけの駄賃として乗車している。初乗りの時には既にキハ75系に置き換わっており、名古屋直通の区間快速が設定されたり、中京圏の勢いがある路線の一つという印象が残っている。しかし、乗った列車は東海道本線のようにサクサク走るわけではなく、トロトロ走っている車両だけは新しいローカル線という感じだった。終点武豊(競馬ファンとしては思わず駅名板を撮影してしまう駅だ)まで行って、名鉄に乗り換える計画をしながら、行き帰りとも武豊線に乗り、帰りはすっかり爆睡して、ムーンライトながらでの睡眠不足を事前に補う形となった。学生時代はとにかく列車内で眠ることが多く、昼でも夜でも景色が見られようが、暗かろうが眠っていたことが多い。何とももったいないことだが、今はその反動からか、眠たくても我慢して車内では大概起きている。さすがに夜行列車では起きていないが…学生時代ぐらいまでは夜行列車で眠るということの方が逆に苦手だった。

 武豊線からはしばらく遠ざかっていたが、ホームページ作成にあたっての写真の撮影などを兼ねて再訪問したのが、05年10月15日のことだ。鉄道の日記念のフリーきっぷを利用して東海地区へ日帰り鉄をしに行った時に乗ったものだが、朝から天候が思わしくなかったが、樽見鉄道、城北線などでは何とか小ぶり程度で済んでいた天気が武豊線に乗る頃には見事に崩れて帰りの道中は土砂降りとなった。何とか撮影をすることはできたが、晴れた時にもう一度じっくり乗ってみたいものだ。

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JR紀勢東線

2007年11月25日 | 東海

070805kisei85nanki2  JR紀勢東線の乗り潰し制覇は97年夏に乗車している。紀勢西線のところに書いたように当時はまだ新宮まで走っていた新宮夜行(太公望列車)に乗って新宮入りし、新宮で一旦下車して、特急券と乗車券を購入して、18きっぷで隣の駅まで移動して、紀伊勝浦~新宮間普通列車となる南紀2号に乗って、紀勢東線を踏破した。キハ85系の自由席で前面かぶりつきをするために新宮より前の駅から乗車したが、既に先客がおり、3列目あたりから前面展望を楽しんだのを思い出す。というものの景色を楽しんだのはほんのわずかな区間のみで、前夜からの強行軍のため、すっかり眠り込んでしまい、目的地の松阪手前の多気まで爆睡していた。このため紀勢東線の沿線の記憶は非常に乏しい。これ以降は参宮線方面に乗るのに2~3度亀山~多気間で紀勢東線に乗ることはあったが、多気~新宮間はこの1回だけしか乗っていない。07年8月にきのくにシーサイドの撮影と兼ねて紀勢貨物の撮影をするためにクルマで紀勢東線を訪れている。紀勢貨物は早朝のため、列車移動だと松阪あたりに泊まる必要があるが、クルマ移動だったので紀伊長島付近の道の駅で車中泊とした。列車でもかなり時間がかかる印象のある紀伊半島東部だが、クルマでも峠越えの連続で、貨物を追いかけるのに2~3回同じ道を走ったが、高速を走るよりも倍ほど疲れる感じだった。途中高速道路が建設されているところもあり、紀伊半島東部にも漸く道路については改善の見通しがついてきているようだが、紀勢東線にとっては脅威以外の何ものでもない。070805kisei406

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近鉄養老線

2007年09月23日 | 東海

030502kin612  近鉄養老線は近鉄各線の中で乗り残していた路線で、03年5月2日の名古屋方面遠征にて乗り潰しを達成している。養老線に乗ったのは後にも先にもこの1回のみだ。養老線は桑名から揖斐に至る路線だが、実質的に大垣で路線が変わるような路線で、系統が完全に分離されている。私が乗った時点ではまだサイクリングトレインは運転されていなかったが、今は利用者が少ないという利点を活かしてサイクリングトレインが運転されている。その効果が出ているのかどうかはわからないが、駅から先のアクセスを考えればローカル線の生きる道としてはサイクリングトレインは各路線とも導入していってもよさそうだ。

 終点の揖斐はかつて名鉄も乗り入れていたが、名鉄は揖斐川を渡った町の中心部に本揖斐駅を構えていた。名鉄のローカル線や市内電車のリストラ策で揖斐線も廃止されてしまい、揖斐町に乗り入れる鉄道は近鉄養老線のみとなったが、養老線の揖斐駅は町の中心部からは外れたところにある。近鉄養老線自体も存続の危機に何度も瀕しており、北勢線のように廃止する方向で検討をされたこともあるが、結局近鉄本体からは分離され、近鉄の子会社として上下分離方式に近い方式でこの10月から運営されることになっている。沿線自治体からの支援も受ける予定で、どういった施策が展開されるかわからないが、名古屋線とは違う狭軌の路線だけに、近鉄以外の鉄道から車両を譲渡されたりする可能性も出てくるのではなかろうか。最も近鉄から分離されても近鉄100%出資の子会社となるので、南大阪線から6000系あたりが転属してくることになるかもしれない。いずれにしても安穏としていられる状況にはないので、動向を注目する必要がある路線だ。

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近鉄内部・八王子線

2007年09月20日 | 東海

Kin1008  近鉄内部線、八王子線には03年2月11日に乗車している。同線乗車も初なら、ナロゲージに乗るのも初めてで車両の小ささに驚いた。遊園地で乗る遊具用の電車という感覚だ。ただ、小さいものの電車は電車で走り出せば普通の電車だ。但し、軌間が狭いため乗り心地がかなり悪いのにはさらに驚いた。横揺れが激しく少しスピードを出すとそれに伴い揺れがこれでもかというぐらい激しくなる。そんなにスピードは出していないが、スピード感だけは満点という電車だ。内部線の終点まで乗って、折り返して日永から八王子線に乗って四日市周辺のナロゲージ路線を楽しんだ。両線とも車両が小さいこともあってか、乗車率は高かった。当時から北勢線は廃止の話があり、同じ規格の内部線や八王子線もやばいのでは?と思っていたが、これだけ乗っていれば大丈夫だろうと現地へ行って一安心したものだ。その後桑名まで行って、西桑名から北勢線に乗ったが、確かに北勢線の利用は少なく、終点の阿下喜まで乗っているのは乗り潰しファンと見られる鉄以外は数人というレベルだった。北勢線は後に三岐鉄道に譲渡となり、近鉄時代には見られなかった改善が進められ、息を吹き返してきている気配はあるが、四日市という後背地がある内部線や八王子線ほどの勢いはなさそうだ。今後も内部線、八王子線は現状のまま推移していきそうだが、車両更新の時期が同線の命運を握っていると言っても過言ではなさそうだ。インバータ制御でモータも小型化されてきているので、台車等工夫を凝らした乗り心地のいい車両を開発してほしいものだ。

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近鉄鈴鹿線

2007年09月15日 | 東海

Kinsuzuka3  近鉄鈴鹿線には03年2月11日に乗車している。鈴鹿線は伊勢若松から分岐する路線で、終点は鈴鹿ではなく平田町となっている。電車はワンマン運転を行っていたが、鈴鹿市への足としてそれなりに利用されていた。ラッシュ時には名古屋線から急行が直通する時間帯もあるようだが、本数は少ない。鈴鹿と言えば鈴鹿サーキットで有名だが、鈴鹿線沿線にはなく、近鉄では白子からバスかタクシー利用となる。鈴鹿市は伊勢鉄道の鈴鹿に近いが、連絡はしていない。伊勢鉄道と近鉄は競合関係にあるので仕方ないところだが、このあたりは鉄道の競合よりもクルマ社会との競合の方が激しいので、広域的に見ればJRや伊勢鉄道との結合も必要なのではないかと思う。今後も鈴鹿市内の足として活躍していくだろうが、それ以上の発展はあまり見込めない路線とも言える。

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近鉄湯の山線

2007年09月14日 | 東海

Kinyunoyama3  近鉄湯の山線には03年2月11日乗車している。乗車したのはこの1回きりだ。この時利用したのは近鉄全線乗り放題の遊レールパスで、このチケットは今はなくなり姿を変えて近鉄週末フリーパスになっている。湯の山線に乗った時は、中部地区の近鉄各線の乗り潰しを目的に、朝早い時間帯で、四日市に停車するアーバンに乗り(アーバン使用の乙特急だったかも?)、午前中内部線、八日市線に乗り、北勢線を乗り潰して、四日市に戻り湯の山線に乗った。できるだけ短時間で多くの路線を乗り潰す乗るだけの乗り潰し派だった私は相も変わらず乗ってない路線にできるだけ多く乗れるように行程を組んでいる。前にも何度か書いているが、近年は撮影に重点を置きつつあるので、乗って撮ってを基本としつつあるが、それでも初乗り路線は乗りが中心で、乗ったらさっさと退散して次の乗り潰しへ移ることが多い。

 湯の山線は確か映画寅さんにも登場したように記憶しているが、終点の湯の山温泉は観光地なので、それなりに風情のある路線だったように思う。私が乗った当時はまだ湯の山特急が土休日だけだったかもしれないが存在していた。ちょうど私が乗った電車も途中で湯の山特急とすれ違ったが、この頃はそれほど撮影に必死ではなかったので、見ただけで終わっている。湯の山特急は既に過去のものとなっており、今更ながらちょっとしたスナップでも撮っておけば…と思うが後の祭りだ。

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近鉄名古屋線

2007年08月12日 | 東海

060715kinng21020  近鉄名古屋線には幼少の頃に名古屋から近鉄難波までビスタカーに乗せてもらったことがあり、その時に伊勢中川手前まで乗り潰しを達成している。5歳になるかならんかの時なので、2階建てのビスタカーが珍しいぐらいで、中川の短絡線がどうのこうのなど何も知らずに名阪間2時間強の時間を子供ながらに楽しく過ごしたに違いない。もっとも夕方の列車だったので、窓の外は暗闇で2階建てからの景色を楽しめるというものではなかった。青山トンネルあたりを走っている時に、昔ここで正面衝突があったという話を父に聞かされて、幽霊が出るとビビらされた記憶があるが、後になって確認するとその手の話は父だけでなく逸話として結構残っているらしいということに気づいた。

 物心ついてから名古屋線に乗ったのは学生になってから、しかも卒業を控えた4回生の夏で、兼ねてから近鉄や名鉄の乗り潰しに使いたいと思っていた3・3・SUNフリーきっぷを初めて使い、アーバンライナー初体験(しかもDX車)した時に再度名古屋線乗り潰しをした形になっている。この時は3日のうち2日を利用して、1日目は往復アーバンで贅沢をし、2日目は片道急行を利用したので、その時に伊勢中川へ初乗入も果たしている。名古屋線は大阪線よりも線路条件がよさそうであまり良くないということと、ダイヤパターンが一定ではないこともあって、先方列車の影響を受けやすいという印象を受けた。

 その後はまた乗る機会がなく、しばらく名古屋線から遠ざかっていたが、近鉄の乗り潰しをするために3・3・SUNや近鉄線内のフリーきっぷを利用して、名古屋線の支線の乗り潰しをしに行く度に名古屋線を利用することになった。JR快速みえとの厳しい競合のため、5200系やL/Cカーが優先的に投入されたり、大阪線の急行に比べて名古屋線の急行は速いなど名古屋線の特色が徐々にわかってきて興味深い路線だと認識するようになった。不況や少子化の影響で準急以下の列車は減便、減車などが行われ、以前より衰えてきたとはいえ、華やかな特急やJRとの競合に奮闘する急行に比べてローカル輸送の低迷が顕著になってきている点は残念だ。

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JR高山本線

2007年06月26日 | 東海

040905takayama85hida9  JR高山本線は98年夏の東京遠征+北陸遠征にて全線制覇している。この時は品川発の臨時167系大垣夜行で岐阜まで行き、岐阜から高山、猪谷で乗り継いで富山まで完乗している。なお、この時乗った167系大垣夜行が私にとっては最初で最後の大垣夜行乗車となっている。私が乗り歩きし出した時には既に373系ムーンライトながらが走っており、大垣夜行は臨時のみの存在となっており、ボックスシートが苦手な私はそれを避けてながらがダメなら北陸経由でえちごに乗って東京入りというルートを愛用していた。このため大垣夜行にはあまりお世話になっていない。この一度きりだ。ナイター観戦を途中で辞して品川で並んだ甲斐あって席につくことはできたが、席のない人がたくさんいて、通路やデッキに終夜人が溢れるという状態だった。

040905takayama483816  岐阜からは高山本線の道中となるが、お決まりのように気動車はキハ48で、朝方の列車だったため、結構つないでいた印象があり、座席の確保は楽勝だった。しかし、道中は非常に険しいものとなった。豪雨に晒され、途中運転抑止まで食らって北陸まで無事に辿り着けるか非常に不安な道中だった。高山本線は07年現在も台風の影響で部分的に運休しているが、確かに雨の災害は多そうな路線だ。抑止を食らいながらも何とか乗り継ぎながら猪谷までかなりの遅れを持って辿り着いた。猪谷に着く頃には天気は嘘のように回復し、接続待ちをしてくれていたJR西日本のキハ120気動車は何事もなかったように富山へ着いた。この後富山から高岡まで出て、高岡から氷見線に乗り、城端線も乗り潰す予定だったが、前日の夜行からの疲れと高山本線での気疲れもあって、城端線は断念してスーパー雷鳥に乗って帰阪している。

040905takayama1203513  次に高山本線に乗ったのは太多線の乗り潰しをした98年9月の東京遠征の時で、この時はムーンライトながら乗車前に名古屋で鉄活動と言うことで、夕方太多線に乗って美濃太田まで行き、美濃太田から岐阜まで高山本線に乗っている。その次に乗ったのは04年9月5日の北陸遠征の時で、この時は能登半島攻めを行って、富山に泊まって翌朝高山本線を下って行き、猪谷から神岡鉄道の乗り潰しをして、再び猪谷に戻り、岐阜から東海道本線を乗り継いで、美濃赤坂まで初乗り入れしている。この時も富山からの道中は物凄い豪雨に晒され、猪谷に着いた時にはこの先どうなるのかと思わせるような大雨になっている。猪谷から神岡鉄道を往復して、再び高山本線に戻り、JR東海の気動車で高山へ。ここでも抑止こそなかったものの、対向列車の遅れなどで遅れが生じながらの道中となり、高山へ近づくほど雨はマシになっていたが、高山本線の道中は常に雨に降られる印象を持たざるを得ない状況となっていた。

 この他05年9月4日の太多線乗り直しの際にも美濃太田から岐阜まで高山本線を利用しているし、06年12月29日の長良川鉄道乗り潰しの際にも岐阜から美濃太田まで高山本線を往復利用している。このように高山本線ローカル列車には何度も乗っているが、看板列車の特急ひだにはまだ一度も乗車したことがない。次は特急ひだでゆったりした旅を楽しんでみたいものだ。

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JR名松線

2007年06月22日 | 東海

Jt10_1  JR名松線には98年9月5日に乗り潰しを達成している。越美北線のところで書いたように、前日に越美北線に乗って、その日の夜の新宮夜行で新大阪から新宮まで行き、新宮から18きっぷを離れてワイドビュー南紀で松阪まで飛び、松阪から名松線に乗っている。新宮夜行は当然165系だったが、ボックスシートにも慣れていたこともあったし、和歌山を過ぎると利用者が激減して1ボックスを占領できる状態だったので比較的よく眠れた。しかし、ワイドビュー南紀では睡魔が襲い、せっかく先頭の自由席に陣取っていたのに、行程の半分は夢の中だった。松阪では少々時間があったので、松阪牛を使った名物駅弁を駅のベンチで食して列車を待った。キハ11単行に乗って終点の伊勢奥津まで乗った。伊勢奥津にはSL時代の給水塔が残り趣きのある駅だった。駅前から名張方面へのバスが出ていた記憶があるが、名松線の名が名張の名であることの名残のようなバスで、名称線に引き続いて名張までバスに乗るファンもいたようだ。

 その後しばらく名松線に乗ることもなかったが、06年9月に久しぶりに撮影を兼ねて名松線に乗りに行った。Jt9 参宮線の池の浦付近で撮影をしてから、松阪に戻り、以前訪れた時と同様に列車の待ち時間に松阪牛の駅弁を食してから名松線気動車に乗り込んだ。高校生を中心にまずまず利用者はいたが、列車本数は少なく、沿線人口も先細りという路線で、何で存続できているのかと不思議に思える路線だ。終点の伊勢奥津は以前訪れた時の趣きはなく、新駅舎が完成して、駅の位置も若干松阪寄りに移動していたようだ。給水塔は今でも残っているが、線路から少し遠くなった印象だ。キハ11系を使用するため名松線列車はそれほどノスタルジーを感じさせる路線ではないが、廃止か存続か瀬戸際のところを走っているという意味では旅情を感じさせる路線なのかもしれない。

 2度目の名松線に乗る前にテレビのニュースで家城で留置されていた車両が車輪止めがきっちりされておらず坂道を転げ落ちるように無人で走り出し、数キロ走ったというのを見ていたので、興味深く路線を見ていたが、そんなにきつい勾配があるわけでもないのによく数キロも無動力で走ったものだと感心した。それだけ緩やかな勾配が続いているのかもしれないが、JR西日本ではよくある単純ミスをJR東海もするんだなと妙に感心してしまった。

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JR関西本線(名古屋~亀山間)

2007年04月09日 | 東海

060902kansai211k104  JR関西本線のJR東海エリア区間には1996年夏の東京遠征の際に、四日市~名古屋間のみ乗っている。この時乗ったのは参宮線などで書いたようにキハ75系快速みえだった。松阪まで近鉄に乗って松阪から快速みえに乗ったため座れなかったので名古屋までかぶりついたのを覚えている。快速みえは伊勢鉄道では快調に走るが、関西本線に入ると単線の上列車密度が高いためか、行き違い待ちなどであまり速くなかったのを思い出す。後年乗った時にも同じ思いがしたので、列車による差異はあまりなく、関西線内では単線がネックになってあまり速く走れない(信号待ちが多い)のだろう。

 四日市~亀山間は97年の東上の際に乗っている。その後は東海道経由が便利になったこともあり関西線を利用することはほとんどなかった。2005年9月4日に乗り直し旅行ということで草津線~関西線経由で名古屋まで出た時に四日市~名古屋間で関西線に乗ったのが久し振りの乗車となった。213系を中心に時には165系なども走っていた関西線名古屋口も313系の投入などですっかり様変わりしている。

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JR参宮線

2007年04月08日 | 東海

060902sangu75202  JR参宮線には1996年夏に乗車している。先日書いた東上で乗るムーンライトながらの前の一仕事で関西線経由で名古屋入りする前に乗り潰しのために鳥羽まで往復している。この時快速みえには既にキハ75系が投入されており、快適な旅を楽しんだ。鳥羽からの折り返しは参宮線を離れて近鉄に松阪まで乗っている。津から伊勢鉄道の別料金を支払わなければならないのはたまに傷だが、快速みえは快調に飛ばして近鉄に十分対抗しうる快速というイメージだった。ただ、2両編成のため、途中駅からだと座れる確率が低く、四日市などからはかなりの混雑となっていた。今でもその傾向があるが、別途JR北海道のUシートのような豪華な指定席車両を造って3両編成ぐらいに増強して欲しいものだ。

 参宮線はしばらくご無沙汰だったが、ホームページの写真の充実を図るために2006年9月2日に池の浦シーサイド付近での撮影を目的に訪れている。参宮線を走る車両の陣容は1996年に訪れた時とはほとんど変わっていないが、池の浦付近は海が近く風光明媚ないい撮影地だった。この時は鳥羽から近鉄に乗って池の浦まで1駅近鉄を利用している。

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JR東海道本線熱海~豊橋間

2007年03月21日 | 東海

  061230tokaido113t108  東海道線豊橋以東熱海までの区間は1995年の夏に2度乗車している。先に書いたサークルの合宿帰りに熱海から豊橋まで211系ロング車で乗り通したのが初乗車で、2回目は同じ年の夏に東上した時に豊橋から座れない113系3連に乗って浜松、静岡で乗り継ぎ、静岡から東日本の113系11連に乗って東京まで乗り通した時だ。この頃の静岡地区は、米原~大垣間に次いでネックとなる区間で、それが嫌で18ユーザーはみな大垣夜行にアホみたいに並んで床に座ってでも乗っていたのだろう。今でもその状態は変わらないが、ムーンライトながらは全車指定なので、床に座る人間は少なくなっているはずだ。

061231tokaido373f13  言うに及ばず私も東海道中膝栗毛は最初の1~2回だけで苦痛になり、後はムーンライトながらや寝台急行銀河などを活用することが多くなった。最近は贅沢に新幹線を利用したりしているが、静岡遠征に関しては東海道線を利用せざるを得ないので、昨年末からの静岡地区私鉄巡りでは東海道線にかなり乗っている。東海道線静岡地区もかなり様変わりしたようで、3両編成で大混雑している列車がかなり減って、昼間から6連など長い編成が見られるようになっている。313系投入により113系が姿を消し、名古屋からの転配で211系ロング車が来て、ほとんどの車両がロングシート車となっている。乗車距離の関係なのかどうかわからないが、名古屋では積極的に転換クロスを採用しているJR東海もこと静岡地区に限ってはロングシートを採用している。何か意味があるのだろうか?

 静岡地区での楽しみと言えば、朝方に通過する東京ブルトレの撮影だ。私が撮影をしだした頃には既に大半のブルトレが廃止され、今や撮れる対象と言えば、はやぶさ・富士しかなくなったのは残念だ。この両列車も早晩廃止となるだろうが、静岡地区では撮影にはいい時間帯に通過するので、是非とも廃止前にもう一度撮影にチャレンジしたいところだ。

061230tokaidoef66504

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JR身延線

2007年03月19日 | 東海

061231minobu115b87  身延線は1995年の夏に甲府から富士まで乗車している。この時は友人と一緒で、ただ乗るだけだったが、とりあえず乗り潰しに成功したと言うことになっている。115系3連が使用されていたぐらいで、後は特に記憶にございませんという感じだが、写真のような富士山を見た記憶はない。

 その後身延線に乗ったのは2005年10月10日だ。この時は既に乗っているのに写真も何もないのでホームページが作れないということで、写真撮影を中心にと思い、全線乗り通したが、雨の為ほとんど何も撮れずに帰っている。この時乗った特急ふじかわは途中から立ち客が出るほどの混雑ぶりだった。

 この時のリベンジではないが、ほんのさわりだけだが、2006年12月31日に身延線堅堀を訪れ、富士山をバックに撮影したのがトップの写真だ。この年末は新幹線の富士山バック、伊豆箱根の富士山バックとほんとに綺麗に富士山が見えた2日間だった。2005年に乗った時も313系が身延線でも走り出していたが、近年の増備によりクモハ123の姿がどんどん少なくなっている。身延線名物もそろそろ終焉を迎えることになるのだろうか?

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