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EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

新生ムーンライトながら

2009年08月04日 | 東海

090731tokaido183h102nagara  7月31日関東方面遠征のために夜、もったいないと思いながら18きっぷで茨木駅から大垣へと向かった。定期列車廃止後のムーンライトながらへの乗車は今回が初めてとなる。仕事を早く切り上げて帰宅してからの再出発だけに慌しく、少々疲れながら223系新快速に高槻から乗り込む。12連運転のため、後ろ寄りの車両は高槻で立ち客がパラパラ程度の乗り具合で、京都から席にありつけた。米原までゆっくり居眠りしながらと思いうつらうつらしていると野洲手前で列車が急停車した。ホームの非常ボタンが押されたとかで人が倒れた云々で列車は10分ほど野洲手前で抑止を食らった。米原での東海道線接続及び大垣からのムーンライトながらの接続確認を行うという車掌のアナウンスがあり、当然ながら?接続待ちをしてくれるものと高をくくって、米原まで悠々と空いた車内で過ごし、米原停車直前に東海道線との接続が取れたとのアナウンスが入り、あったり前やろと心の中で突っ込みを入れる。米原から117系8連の普通に乗り、ここでもゆったり座れて大垣まで落ち着いた道中となる。ムーンライトながらの乗り継ぎでは以前にも新快速が遅れて冷や汗をかいたことがあるが、さすがに2度目なので慣れてしまった。JR西の遅れが原因でムーンライトながらの定期運転を取り止めたのではないかというほどJR西の遅れは多い。無事大垣に着いてながらの入線を待つ。発車直前まで入線して来ないのは相変わらずで臨時だから仕方ないところだろう。183系(189系?)使用は臨時運転で何度か乗車しているので慣れたもので、とりあえず新生ながらをカメラに収め、車内へ。撮影している間に発車時間が来た。私は窓側を指定していたが、通路側には既に老婦人が座っており、前を失礼して席に荷物を下ろして、とりあえず用を足してから席へとついた・・・と思ったら件の老婦人から席を交代してくれとの要求が。通路反対側には老婦人の旦那様が同じくお願いモードとなっており、座るに座れずやむなく交代してあげた。正直通路側は人の行き来で目を覚ますことが多く、今までの経験上から出来るだけ避けたいところだったが、眠るとは言え、気まずい時間を過ごすのも返って嫌なので渋々ながらも席を代わった次第である。ながらでの席替えはこれが2度目で、究極的には日本海で下段寝台から上段寝台への交代を余儀なくされたこともある。一人旅の弱さに付け込まれてよく席交代をさせられたものだ。不本意ながら通路側の席について、とりあえず落ち着いて眠ることにする。目を閉じて停車駅を聞いていると岐阜、名古屋、豊橋、浜松、静岡、沼津、横浜、品川と定期時代や以前の臨時に比べて停車駅が大幅に削減されていることに気づく。以前は名古屋から最終代わりに利用する酔っ払いがよく乗り込んでいたが、今回はそのようなこともなく、短距離利用が大幅に減ったこと、さらには定期運転がなくなり、特別感が増したこともあり、終始落ち着いた車内環境が維持されていた。これだけ落ち着いた車内なら通路側でもよく眠れるというものだ。ながら復活はもはやあり得ないところだが、高速1000円に対抗するためにもこの手の夜行を存続して言って欲しいところだ。

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愛知環状鉄道

2009年06月01日 | 東海

090307aichikan2000g43  愛知環状鉄道には愛知博開催花盛りの05年5月5日に乗車した。当時はまだ新型の2000系は少なく、100系が幅をきかしていた。高蔵寺から岡崎へ向けて乗った列車は100系で、最初で最後の乗車となった。愛知博開催のため、万博八草まで名古屋から直通の臨時快速が走っていたが、全線乗り通すために高蔵寺で線内運転の列車に乗り換えた。万博八草まではさすがに利用者が多かったが、それ以降はほどほどの乗り具合で、岡崎に近づくにつれて利用者が多少増える程度だった。トヨタの城下町を走る路線だけにクルマ社会バリバリの地域ということもあって利用者がなかなか付かないということもあるのだろう。トヨタが通勤に電車利用を促進して状況が変わっているかもしれないが、現状のように名古屋直通が中央西線普通だけというダイヤではなかなか利用もしてもらえないのではなかろうか。万博開催時のように名古屋直通の快速の運転を期待したいものだ。


あおなみ線

2009年05月29日 | 東海

050505aonami1103  あおなみ線には開業年の05年5月5日に乗車した。東京遠征帰りにムーンライトながらを名古屋で降りて、早朝からあおなみ線、愛知環状鉄道を乗り回して帰阪する行程だった。ちょうど愛知博が行われており、名古屋の盛り上がりがピークに達したといっても過言ではなかった年だった。そんな中開業したあおなみ線だが、早朝に乗ったこともあり、利用者は行き帰りとも非常に少なかった。住宅地でもなく、工場地帯とはいえ、衰退加減の地域、さらにはどっぷり浸かったクルマ社会ということもあり、利用者が少ないのかもしれない。途中名古屋競馬場など通勤通学以外でも利用が見込める施設があるが、地方競馬なので、競馬場自体が衰退加減であることなどから利用増には結びつかないようだ。


名古屋市交東山線

2009年03月12日 | 東海

090307higashiyama5174  リニモに乗って藤が丘まで行き、藤が丘から東山線の乗り潰しにかかる。東山線藤が丘はリニモと異なり地上の高架ホームにあった。一旦引き上げ線に電車が引き上げて入線してくる方式になっており、早速高畑行き電車に乗り込む。ここでも地上区間で撮影しながら南下していくことにし、次の駅本郷で降りて撮影をすることに…。何本か撮って、あとは地下に潜ってからは乗るだけで、とりあえず名古屋までかぶりつく。栄~名古屋間の混雑がひどいが、御堂筋線同様昼間は混雑と言ってもラッシュ時のような混雑ではなくなってきている。名古屋から高畑までは閑散としており、席についてウトウトしていると誰もいなくなっており、きつねにつままれたような気分になった。高畑からの折り返しも疲れがあったので、とりあえず座って名古屋まで乗車。地下鉄1日乗車券を使用したが、少々勿体ないと感じる乗り潰しだった。他の地下鉄路線は乗車済みなので、とりあえずパスして、名古屋からは再びJRに戻る。JR名古屋駅の食事処で景気よく味噌カツを食して、体力を付けて、東海道を上る準備をする。予定よりも早い列車に乗れたので、富士に着いたらまずはホテルにチェックインしてからはやぶさ・富士の撮影に挑むことにした。313系快速の車内は空いており、座席を確保して豊橋へ。豊橋からの掛川行きも3両編成ながら車内に余裕はある。豊橋出発時点では余裕があった車内も浜松到着時には立ち客も出るほどだったが、3両でも十分という輸送量だった。18族とは無縁の時間帯だったからかもしれないが、18族がいなければ最低限の輸送力で十分というところなのだろう。浜松で熱海行き普通に乗り換え、いざ富士へ。浜松駅は豊橋方面と静岡方面への列車が分離されているため、階段の上り下りを伴う乗り換えが生じる。利用者としては次は何番線からといちいち確認しなければならないので面倒臭いし、誤乗の温床にもなる。私鉄のように一旦引き上げ線に引き上げてから折り返すようにJRでも一部では行われるようになってきているが、全部が全部はそうなっていない。国鉄はそれでよかっただろうが、JRは民間会社なのでそろそろ国鉄色から脱却して欲しいものだ。熱海行きも3両編成だったが、何とか席を確保して富士まである程度快適に過ごした。しかし、車内は静岡から富士までずっと混み合っており、立ちっぱなしの利用者も多かった。見るからに18ユーザーではないので、静岡から東へ向かう利用は結構多いようだ。富士や沼津は新幹線に恵まれない地域だけにそちらに向かう利用が多いようだ。富士で下車して、早速はやぶさ・富士の撮影状況を確認する。1人三脚を立てて一番乗りしている人がいたが、あとは撮影者らしき人は皆無。しかも対面ホームから狙うとかなり広角的に撮らなければならないので、ここは無理せず到着ホームから狙う方が賢明か?などと考えながら駅前のホテルにチェックインした。ちょうどWBCの日韓戦が始まっており、ついつい見入ってしまった。日本が大量リードを奪ったのを見届けて富士駅へと向かった…ここから先は既にブログに書いたので、そちらを参照いただきたい。


リニモ

2009年03月11日 | 東海

090307linimo06  09年3月7日。18で名古屋へ移動して名鉄瀬戸線を乗り潰して、続いて瀬戸市から愛知環状鉄道で八草へワープ。愛知環状鉄道は2両編成のためか、車内は盛況で、トヨタスタジアムでのサッカー観戦へ向かう人が多かった。トヨタのバリバリのお膝元だけにトヨタショックが大きい地域と思われるが、昨日の話ではないが、巷で言われるほど電車内に不況による悲壮感は感じられない。八草で愛知環状鉄道を辞して、早速リニモに。言わずと知れたリニアモータカーで、愛地球博で注目を集めた路線である。リニアモーターカーと言えば500km/h以上で走るイメージがあるが、リニモは最高速度100km/hの遅いリニアで、スピードが命のリニアとはイメージがかけ離れている。八草から藤が丘まで後ろかぶりをしながらの道中となった。藤が丘が地下駅だったのは意外だったし、急勾配、急曲線に強いリニアの特性を活かしているところも目についた。面白い乗り物だが、単発で導入すると他線に対してどうしても浮いてしまうことになる。東山線と相互直通ができれば利便性も増すが、それもできない話だ。リニア導入の試験的な意味合いが強いリニモだが、東海つながりでJR東海のリニアへと夢が広がる第一歩と捉えれば利用者が少なくても何とか気が紛れるというものだ。


名鉄瀬戸線

2009年03月10日 | 東海

090307meitetsu6603  09年3月7日。東海道静岡方面へのブルトレ撮影のために7日は、18きっぷで茨木から名古屋を経て富士まで移動した。名古屋で一旦降りて、乗り潰しをしてから富士へ向かうという忙しい行程を組んだ。本来はながらで東上して、東京都内で一発撮って、翌日は富士近辺でできれば富士山を絡めてブルトレを撮りたいと目論んでいたが、金曜の夜に用事が入ったため、行程を大幅に変更してながらは最後に乗らずじまいで、そこは心残りだ。18で名古屋まで行って、名鉄瀬戸線、リニモ、名古屋市交東山線と名古屋乗り残し3線を踏破して、夕方に近い時間に東海道を上がり、富士駅ではやぶさ・富士が狙えるように行程を組んだ。

090307meitetsu4101  早朝から活動!…と言っても先週の九州遠征よりかは少し遅い時間の始動となり、茨木発6時34分の快速でいざ米原へ。快速は12連での運転だったが、程よい乗り具合で、何とか席を確保して、米原まで楽ちん移動ができた。米原からは117系8連の快速に乗車。かつては4連や3連での運転が主流だった東海道本線米原~大垣間だが、近年はセレブ東海を見せつけられるかのように増結が行われて、かつての18きっぷの難所がウソのようになっている。山陽筋の姫路~岡山間もJR発足当初に比べると改善が進んだように思えるが、米原~大垣間には敵わない。米原から名古屋までも余裕の道中で、尾張一宮あたりで少し乗ってきたが、車内は余裕がある状態だった。時期的なものもあるが、不況の影響で利用者が減った…と短絡的に考えてしまうのは悲しいサガである。トヨタのお膝元である名古屋ではタクシーに乗れば不景気という言葉が出てくるが、こと電車に乗っている限りは特に不景気を感じることもないのが実際のところだろうか。

 名古屋に到着した後は腹ごしらえのため立ち食いへ。いつも名古屋ではきしめんを食すが、あまりおいしくないのとたまにはそばもいいと思い、そばを食べる。きしめんと出汁が違うのか、そばは完全に関西風だった。あの醤油のような真黒な出汁はどこへ行ったのだろう?きしめんは関東風、うどん・そばは関西風が名古屋の流儀なのだろうか?関西風そばをおいしく頂き、腹ごしらえ完了。ホーム端にファンの姿が見られたので、何か来る気配がしていたが、案の定東京メトロの甲種回送が通過。名古屋ではDDの重連やこの手の甲種などが撮影のお目当てとなっているようだ。関西では貨物の追っかけが多いが、近年までブルトレが少なからず残っていたり、485系雷鳥やたまに走る489系ボンに人気が集まるが、ファンの狙いも土地によって違うものだ。

090307meitetsu6753  JRを一旦辞して名古屋市交東山線で栄まで移動する。東山線は後でじっくり乗るとして、名古屋の“御堂筋線”は相変わらず混雑している。御堂筋線とはスケールが違うので、絶対数量は10両編成がバンバン走る御堂筋線に軍配が上がるが、名古屋市内の基幹路線の役割を担うことに関しては御堂筋線に負けず劣らずといったところだ。栄に到着して右往左往しながら名鉄栄町駅を探す。事前に地図で見た限りは地上を走っているのかと思っていたが、実際には地下駅になっており、少しばかり驚いた。確かに名古屋の栄の真ん中に地上駅があるという発想自体に無理があった[E:coldsweats01]早速地下ホームへ赴き、ホームで電車を撮影。ちょうど入ってきた急行尾張瀬戸行きに乗車して、尾張瀬戸を目指す。釣り掛でも新車でもない車両に乗り、曲がりくねった線路をだらだらと走る感じの急行で尾張瀬戸までかぶりつきをした。こぎれいな尾張瀬戸駅でとりあえず降りて、折り返しそのまま戻ることも考えたが、駅周辺に撮れそうなところがあったので、時間に余裕があったので撮り鉄しながら新瀬戸へと向かった。尾張瀬戸までの道中では4000系にすれ違ったので、4000系も返しが撮れると踏んで新瀬戸までの間の線路際で張り込んでいたが、ちょうど歩いているところに4000系が現れ見事に撃沈。その返しの上りは撮れたが、下りの方がいい光線状態だったので残念だ。釣り掛け車もどれがどれかわからないがおそらく撮れている?はず。4000系撮影を最後に名鉄瀬戸線に別れを告げて、瀬戸市から愛知環状鉄道に乗車した・・・明日へと続く。


名鉄竹鼻線・羽島線

2008年12月29日 | 東海

081221hajima5301 名鉄岐阜から名古屋本線の快速急行に乗って笠松を目指す。当初乗る予定ではなかったが、時間に余裕ができたので竹鼻線・羽島線の初乗りに出向くことにした。名鉄岐阜を13時過ぎ頃に出るパノラマカーがあるので、それに間に合うように笠松に戻れば…と思いながら笠松から竹鼻線・羽島線に乗り込む。電車は5300系。転換クロスシートが並ぶ立派な車両だ。全面展望もパノラマカーまで…とはいかないものの運転席直後の席はそれこそ鉄っちゃんシートと呼ぶに相応しい席だった。新羽島までの短いトリップはあっという間に過ぎた。新幹線からいつも見ていた単線の高架に降り立ち、時間の関係ですぐに折り返す。折り返し笠松に着くと先ほどは見えなかったファンの姿があちこちに見られ、パノラマカーに間に合ったことを確認できた。いいポジションが取れず、いい画は撮れなかったが、間もなく有終の美を飾るパノラマカーを撮影できたのは幸いだ。このあと、パノラマカーを追いかけるため急行に乗り込み、国府宮まで行き、同駅でパノラマカーをさらに撮影。パノラマカーを満喫して、続いてパノラマスーパーの旅を豊橋まで楽しんで、1日に満たない名鉄行脚を終えて豊橋からはJRで帰途に着いた。


名鉄各務ヶ原線

2008年12月28日 | 東海

081221kagamigahara6913  名鉄モノレールを乗り潰して、犬山遊園に戻り、かつて道路供用だった鉄橋付近でパノラマカーなどの撮影を行い、犬山遊園から急行に乗り名鉄岐阜を目指す。途中鵜沼から各務ヶ原線になるが、各務ヶ原線は一応乗り潰し済みの路線だ。しかし、撮影などは全く行っていないので今回が初乗り同然といったところだ。急行は途中から各駅に変身した。線形は結構よく電車は快調に走り、途中JR高山本線と並行したり、パノラマカーが電留線で休む姿を見たりして岐阜までの道中はあっという間に過ぎて行った。名鉄岐阜ではかつて路面電車も発着していたが、今はその痕跡もほとんどなかった。


名鉄広見線

2008年12月26日 | 東海

081221hiromishinkani  名鉄小牧線で犬山へ出て、犬山からは広見線の乗り直しを行う。広見線には明智から八百津線が分岐していた時代に一度乗車している。八百津線はレールバスが走る閑散線区で、01年に廃止されてしまった路線だ。その時は同線にも乗車しているが、学生時代の話なのでお決まり通り記憶に乏しく、ただ単に乗っただけとなっていた。このため広見線にはもう一度乗車しなければ…と思いながら今日を迎え、めでたく12月21日に再乗車することになった。新可児までは特急や急行も走る幹線で、犬山線と直通運転が行われている。同線との直通には犬山でスイッチバックすることになるが、広見線区間はあまり長くないため、特急の座席方向は犬山線基準で向きが統一されている。犬山からパノラマスーパーの付属編成に乗り込み一路新可児を目指す。新可児までは複線で幹線路線そのもので、特急や急行も走るのでそれなりに飛ばす。新可児では御嵩行きに乗り換えることになるが、ここでも進行方向が変わる。今はないが、かつて御嵩から犬山線方面へ直通していた列車は犬山と新可児で方向転換を行っていた。新可児からは明らかに風景が違うという感じで、古きよき日本の風景が展開される。岐阜県にはこういった風景が多いように思うのは私だけだろうか?名鉄のローカル線に乗ると関西ではあまり見られない鉄道模型などのモデルになりそうな日本の田舎の風景が展開されることが多いように思う。

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名鉄小牧線・名古屋市交上飯田線

2008年12月25日 | 東海

081221kamiida348  12月21日は朝から名鉄乗り潰しに取り掛かりました。まずは乗り残しがある上飯田線へ。平安通に向かうべく、東山線~名城線を乗り継いで行き、1駅のみの上飯田線を難なくクリアして、2度目の乗車となる小牧線で犬山へ。かつてはイモムシが走ることで有名だった小牧線だが、今はそんな過去が感じられない。列車は新車ばかりで、ワンマン運転が行われる近代的な路線に生まれ変わっている。小牧までは都市近郊路線の様相だったが、小牧から先は田園風景が広がるのんびり感が強い路線だった。線路も小牧からは単線となり、犬山手前では信号所があり、そこで信号待ちをするといういかにもローカル線というような運転の仕方も行われていた。一定の改善が終わっているので、今後は今のまま推移していきそうだが、周辺状況はあまり楽なものではない。名古屋ではどこでもそうだが、車との競合は避けて通れない。急行運転などを含めた今後の施策は必要なように思う。081221komakin7101


ゆとりーとライン

2008年12月23日 | 東海

081220yutori  20日は京阪1900系撮影後、在来線を乗り継いで名古屋へ向かいました。目的は乗り潰しとはやぶさ・富士の撮影。ブルトレ撮影のために名古屋まで泊まりがけで行きました。なんだかんだ行っても在来線だと往復3時間ほどかかるので、乗り潰しする上でも泊まりは有効手段なのかなと思います。途中人身事故の影響で稲沢付近で抑止を食らいました。先頭でかぶりついていたのですが、急ぎの用でもあるのか子供を連れた母親が運転士にいつ運転を再開するとか、何時に名古屋に着く、果てにはここで降ろしてもらってタクシーに乗って名古屋へ出たほうが速いかどうかなど、無理難題を投げかけていました。ちょうどホームに停車する形で停止したのが悪かったのか、状況把握のため無線でのやり取りで忙しい運転士をつかまえて、あれやこれやと無理な要求をする客が多かったです。件の母親は俗に言うモンスターピアレンツなのかどうかわかりませんが、何事も自分優先主義の人間が増えているように思います。鉄道の場合、一人の我儘で大多数に大きな影響が出るのはザラな話です。駆け込み乗車などはその最たるもので、今回の件でも前方の信号が青になっているにも関わらず、内外から無理な要求を出すものだから、肝心な列車の出発が遅れていたようにも思えました。

 列車遅延と自儘な人たちに不快感を覚えながら、名古屋に30分ほど遅れて到着。中央西線快速に乗り換えて大曽根へ。ここから乗り鉄ならぬ乗りバスをしました。ゆとりーとライン乗車です。乗る必要もないかと思いながらも面白そうなので、とりあえず乗ってみました…一応専用軌道を走るので鉄道としての扱いもあるようです。小幡緑地まで往復乗りましたが、そこそこの乗り具合ながら、立派な設備にぽつんぽつんとバスが走るだけという贅沢な造りに、採算面で疑問を感じました。小幡緑地からは一般道に下りて高蔵寺方面などへ直通するバスもあるようで、各駅(停留所?)付近でICを設ければ、各所からのバスを軌道へ集約できてよさそうな気がするんですが、そのような考えはないんでしょうかね?車両自体はまさにバス!!軌道を走る以外はすべてバスという感じで、鉄っちゃんからすると少々物足りない道中でした。ただ、面白い乗り物であることについては変わりなく、制限速度の表示も鉄道チックで見ていて面白いところはたくさんあると思います。鉄っちゃんもバスファンも一度は乗ってみることをお勧めしたい路線でした。


名鉄岐阜市内線

2008年11月17日 | 東海

050320gifushinai782  名鉄岐阜市内線には廃止間際の05年3月20日に乗車している。18で岐阜まで出向いて岐阜市内線を乗り潰して帰るプランを考えていたが、18を消化する暇がなかったので18利用は断念して名古屋までぷらっとこだまを利用することにした。こだま利用のため朝の時間帯は遅めとなるため、名古屋入りは9時過ぎ頃になったと思う。名鉄名古屋…かつての新名古屋駅で1日フリーきっぷを購入して、早速名鉄岐阜(新岐阜)へと向かう。急行だったか快速急行に乗車したと思うが、とりあえずかぶりついて新岐阜までのわずかな時間を楽しんだ。新岐阜に着いて、右往左往しながら路面電車の発着場所を探し、市内線に乗車する。廃止間際なので車内は閑散としているわけもなく、鉄道ファンを筆頭に、お別れ乗車の地元の方などで大混雑だった。さらに沿線では写真撮影のファンがあちこちにおり、旧型車(車番などはわからない)の運転などで大いに盛り上がっていた。もっとも道路交通の妨げになるような行為も見られ、相変わらず鉄道ファンのマナーの悪さも目立った一面もあった。じっくり見て回りたかったが、乗るだけで精一杯で撮り鉄はほとんどせずに乗るだけで市内線のミニトリップは終わった。案外乗車距離が長いので撮り鉄する暇がなかったのと、帰りのこだまは17時頃で押さえていたので、時間に制約があったので、乗り潰しを終えると市内線からは早々に退散した。もう少しじっくり見てみたかった気がするがそれも後の祭りだ。


JR御殿場線

2008年11月06日 | 東海

070709gotenba3132335  JR御殿場線には2度乗車している。1度目は沼津から特急あさぎりに乗って、新松田まで御殿場線、そのあとは当然ながら小田急線に入り新宿まで行っている。指定席が満席だったので、奮発して生まれて初めてグリーン車に乗ったのを思い出す。新松田~国府津間は未乗車のまま放置していたが、乗り潰しを本格的に考えるようになって、小骨が喉につっかえた状態が続いていたので御殿場線制覇の計画を立て、根府川で富士を撮影してから御殿場線乗り潰しに挑む計画を立てた。御殿場線といえば113系というイメージがあったが、私が乗車した05年1月10日には既に313系が稼働しており、ほとんど(全部だったか?)が313系に置き換えられていた。


JR美濃赤坂支線

2008年09月02日 | 東海

040905tokaido313y354  JR東海道本線美濃赤坂支線には04年9月5日の北陸・東海遠征の時に乗車している。学生時代からいつでも乗れるということで放置していた路線で、ついぞ学生時代には乗車しなかった。東海道本線では廃止された新垂井駅とともに秘境という感じがする美濃赤坂だが、秘境というイメージとは違い駅の周辺には人家が建ち並んでいる。走っている電車も今では313系や311系になっており、113系が走っていた頃とは様相が違う。昼間は313系2連が運用されており、恐れ多いことにも車掌が乗務しているツーマン列車だ。JR東海はお金持ちだからかどうかわからないが、他社に比べてワンマン運行が少ないように思う。同じことはJR東日本にも言え、西日本、四国、九州などに比べてワンマン運転と無人駅の少なさに驚かされる。こんなところにも駅員がまだ配置されているのかと感動する事さえある。美濃赤坂駅周辺には貨物線が走っており、時折貨物列車が走るらしいが、この時は無計画に訪れたので、貨物列車の姿は見られなかった。次は貨物列車が走る時間帯に訪問したいものだ。


JR高山本線

2008年09月01日 | 東海

040905takayama85hida3  JR高山本線は数回乗車しており、全線踏破も2度経験している。98年夏に18きっぷを利用して東京へ遠征して、品川から当時運転されていた臨時の大垣夜行(167系使用)に乗って岐阜へ。私が大垣夜行と呼ばれる所謂急行型を使用した夜行列車に乗ったのは後にも先にもこの1回だけだ。他はすべてムーンライトながらで、大垣駅で早くから席取りのために並ぶという経験はしていない。品川では席取りのために早くから並び、見事に席をGETした。しかし、その代償として横浜-阪神戦のナイターを途中で切り上げるという代償を払っている。横浜スタジアムで牛丼(スタンドで売り子が吉野家の牛丼を売っている)を食べながらナイターを観戦していると雨が降り出し、強くなったり弱くなったりして試合が続行できる程度の雨が降っていた。この当時は携帯はあっても、容易に天気予報をチェックするというようなこともできず、明日の天気も知らずに移動していた。大垣夜行の席が取れて一安心して眠りにつき、翌朝岐阜到着寸前まで爆睡していた。岐阜に降り立って雨がジャジャぶりなのに驚いたが、計画を変更するほどでもないということで高山本線気動車に乗り込んだ。岐阜から猪谷まで直通する列車だったと思うが、北上していくにつれて雨がどんどん強くなりついには途中で抑止を食らうことに。どれぐらい抑止を食らったか覚えていないが、1時間以上は雨が弱まるのを山間の小駅で待った記憶がある。そして雨が弱まり、運行が再開され、大幅な遅れで猪谷着。途中県境を越えたあたりから天気がまさに急変して見事に晴れ渡った。キハ120に乗り換えて富山に着いた頃にはあの雨は何だったのかという見事な晴れ空だった。

 続いて高山本線に乗ったのは04年9月5日だ。前回神岡鉄道の乗り潰しについて書いたが、この時も大雨だった。猪谷で列車待ちの間からかなり降っていたが、この時も道中かなり強い雨が降っていた。抑止こそ食らわなかったが、若干の遅れが発生しており、対向の特急列車なども遅れていた。この訪問の後、台風だったかの影響で高山本線の飛騨古川~猪谷間が壊滅的な被害を受けて、全線復旧まで数年間も要している。私が訪問すると雨に祟られる高山本線だが、実際雨が多い厳しい自然条件の中を走っていることを実感できた道中だったのだと自分に言い聞かせながら、次訪れるときは風光明媚な景色がはっきり見えるよう晴れることを望んでやまない。