平和で、何とか食っていけて、優れた文藝作品や、映画や、自然にふれることもできたり、タマニハ、温泉などにいけたり、そして、人とのふれあいのなかで、喜びを感じることができたり、普通にしていれば、誰もが個人に干渉しない、自由にさせてくれる。たまには、人の役に立つこともできる。人生、これぐらいで、充分シアワセではないだろうか。
この4月からしばらく、事実上休学していた放送大学を、再開することにした。今回は、比較的に単位取得率の高い、すなわち、ヤサシイと思われるものにした。リハビリをかねての気持ちもある。そのうち、専門的に何かをやりたい気持ちもあるが、専門なしの役立たずの総論ばかりを追いかけるのもいいのではないか、とも考えるようにもなっている。これは、どうやら、母方の叔父連中の行状をみていると、血のなせるワザかもしれないと思う。好奇心旺盛で、およそ専門志向の人がいないからだ。
古い本を引っ張り出して、読みかけている。開口健の「輝ける闇」である。ベトナム戦争の際に、彼は、アメリカ軍の中にいた。記者ということなのか、立場は、知らないが、そのときの体験がベースになった小説である。
そして、昨夜は家内の母がきているので、恒例の映画会をやる。「砂の器」を見た。いい映画である。作りが丁寧であり、説得力がある。前にみているはずなのに新鮮であり、部分の記憶と、大筋だけを知っているだけにすぎないことがよく分かる。記憶が弱いということも、大事なことで、それは、いいことなのだと思えるぐらいである。とマケオシミ。
そんな具合で、一方的に面倒を見ているつもりが、生活のなかで、豊かな要素、大きな影響をもらっている。それは、考え方で、不満たらたらで世話をしているようでは、このお陰には、気付けない。
というわけで、今、意外にエエ線をいってるのかもしれない。
この4月からしばらく、事実上休学していた放送大学を、再開することにした。今回は、比較的に単位取得率の高い、すなわち、ヤサシイと思われるものにした。リハビリをかねての気持ちもある。そのうち、専門的に何かをやりたい気持ちもあるが、専門なしの役立たずの総論ばかりを追いかけるのもいいのではないか、とも考えるようにもなっている。これは、どうやら、母方の叔父連中の行状をみていると、血のなせるワザかもしれないと思う。好奇心旺盛で、およそ専門志向の人がいないからだ。
古い本を引っ張り出して、読みかけている。開口健の「輝ける闇」である。ベトナム戦争の際に、彼は、アメリカ軍の中にいた。記者ということなのか、立場は、知らないが、そのときの体験がベースになった小説である。
そして、昨夜は家内の母がきているので、恒例の映画会をやる。「砂の器」を見た。いい映画である。作りが丁寧であり、説得力がある。前にみているはずなのに新鮮であり、部分の記憶と、大筋だけを知っているだけにすぎないことがよく分かる。記憶が弱いということも、大事なことで、それは、いいことなのだと思えるぐらいである。とマケオシミ。
そんな具合で、一方的に面倒を見ているつもりが、生活のなかで、豊かな要素、大きな影響をもらっている。それは、考え方で、不満たらたらで世話をしているようでは、このお陰には、気付けない。
というわけで、今、意外にエエ線をいってるのかもしれない。
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