ついつい読み始めて、結局は、片付けよりも、そちらへ話が変わる。それでも、空間を有効利用する試みは、それなりに成果をあげて、読んでいなかった本への、読書意欲もわくという副次効果もあって、たまには、こういうこともいいものだ。
18年前の中央公論など、面白くて、読みふけってしまう。いま書店では、中央公論は、目立たないが、記事がタップリで、当時の状況がよくわかる。執筆陣も当時の有力者たちが登場している。元気を感じる。
雑誌の栄枯盛衰もあるのだ。当時を「未来」から、みているわけで、「こだわり」の分野、度合いの違いがあって、時代の変化を感じさせてくれる。
時代感覚は、いつまでも同じではないから、何事も、あまり大げさに考えないことだと感じる。あとになれば、大したことではないのだ。
時は、どんどん過ぎて、陳腐化する情報も多いが、今だに、なんのことか理解不能の「ゲーデル哲学」の本など、こだわってはいけないものなのかもしれない。数学の天才らしいが。そんな本に、でくわしたりする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます