基本が大事であることは、ものごとに、取り組み始めて、すぐに思い至る。先達の技を学び、その成果の上に、現在の我々がある。基本には、出発点となる大事なポイントがある。
その意味で、古典といわれる本は、多くの基本を与えてくれる。本質を知らずに、皮相的なものの見方に慣れてしまうと、思い込みや、間違った自信をもち、謙虚さがきえ、自ら、成長の芽をつんでしまうこととなる。
先達の仕事をみると、今、当たり前のことのようにみえることが、決してそうではなく、この基本の道筋にふれることで、より、適当な道筋の発見につながるだろう。
マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を数日前から、読みかけている。なぜ禁欲的で営利の追究を敵視するピューリタニズムが、近代資本主義の誕生に大きく関わり、貢献したのか、という論考だという。
よみかけて、その本の読みにくさ、注がやたら多くて、これを外すと何のこっちゃということになるので、急がず騒がず、丹念に読み進めていくと、徐々に世界がみえてくる、という具合である。
たまには、こういう本も読まなければと思ったことだ。以前にフランクリンの自伝を読んだことがあって、この本にも出てくる。基本はあちこちでつながっているのだ。
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