何かがあれば、すぐに予定がくずれてしまう。先週は、シンクの水の引きがわるいことから、大工事が必要であることがわかり、すべての予定はキャンセルとなった。
それでもやらなければならないことは、やらなければならない。生きているということは、何事かなすことであり、何もしないということはありえない。法人の整理、税金のこと、登記のこと、などなど、まだ残務が残っている。
だんだん年齢がいけば、その意欲は減退し、なにもしたくなくなるような時期がくるのだろうが、そのときこそ、永遠の休息である。
宗教が、深刻な意味を持たないような時勢となって、強迫観念にかられて、慣例となっているようなことを強制されることはなくなったが、それらを、引き継いだつもりが、引き継いだ側に、そんな意識はなく放置しているのをみれば、こちらとしては、落ち着かない気分となる。
なんにも、引き継いだことになっていない。単なる利権が転がってきたとしか考えていない様子が見える。いささか、寂しいものである。しかし、これも時代である。こうならなければならないということなどないのである。
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