人は結局のところ、自分の好きなように生きるのが、一番幸せだろう。そして、そのことで、どれだけの人に迷惑をかけることになるのかが悩みの種になるかもしれないが、そこは、それこそ、「好み」の問題となる。
だんだん年齢が気になるようになって、同級生らの健康状況を聞くたびに、残された時間を思い知らされる感じがある。本当に好きなことをやるなら、早くやればいいのに、と思うけれども、そう簡単に踏み出せない。
そうこうしているうちに、どんなやりたいことだったのか、忘れる始末で、それは、もともと本当にはやりたいこととはいえるようなことではなかった、ということになる。
なんとも締まらない話である。そうしたなかで、俳句は、去年の7月ぐらいから、投句を始めて、明らかに生活の中の宿題となり、リズムをもちこんでいる。昨日は、テストの往路で書店に立ち寄り、気になっていた金子兜太氏が特集になっている本を購入した。
詳しくはわからないが、相当にはげしく、当然ながら、マネなどできそうもなく、好みとしては違うと感じている。だが、政治に発言するし、人物としては、好ましい。作品の徹底ぶりについていけてないだけかもしれないが、自分の好みはなんなのだろう、と突きつけられる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます