ありうべき考え方とか、条件が決まった時の方向性というのは、だいたい決まるのではないかと思うのだが、世の中全体では、相当まちまちの考え方、価値意識があって、それが原因となって、紛争が巻き起こり、止むことを知らない。事態はそんなことをしている余裕はないはずなのだが、そのようには動いていない。
人類がこののち、何年生き残ることができるか、今のままでは、人類自体の行動によって、自ら滅ぼしかねない雰囲気である。そこからは、全体として、相互に協力しあい、存続を図るという考え方には、そもそも立っていないようにみえる。
自らの国、地域、利害関係に基づいて、行動指針を決めているようで、全体の条件については、関心が薄く、行動を決めるについて、かなり近視眼的な判断のもと、行動を決めているようにみえる。
個人の名誉だったり、権力の維持だとか、単純な利己的理由だけではないだろうが、結果的には、個人の利益追求と変わらないようにしかみえない行動をとっている指導者なり、権力者が多いようにみえる。
そもそも、全体について、どうするかという差し迫った問題意識は持っていないようにみえる。個々の人間についても、全体について、問題意識をもって、それに沿うような日常活動をするまでには至っていない。
人類全体の行動は、その総和となるから、個々人が、そのような全体を考慮した行動パターンをとるとすれば、地球上の事情は相当な変化をもたらすことだろう。
そのための目標値が研究されてもいいと思う。どこをどうすれば、維持できるのか、その指標がだせるならば、大したものである。今の人類の科学技術水準では、不可能なのだろうか。
気象関係は、スーパーコンピューターの計算で、予報の当たり具合が、ますます精度をあげていて、台風進路などは、ぴたりとあててしまう。
気象予報が当たるだけでは、被害を防ぐことはできず、今年も手ひどい目にあわされているわけだが、この対策に、効果的な対処ができていない。大まかな方針さえ出ていないかのようである。
治山治水の原点から、個々の家屋、農業関係の対策など具体的な方針がたたないようでは、人類の存続はいよいよ深刻な状況にある。これがどうなっていくのか、目先のことに逃げているわけにはいかない。為政者は、どのような対策をとっていくのか、手腕が問われている。
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