政治の世界は、結局のところ、いわゆる善政をおこなっているならば、これは民主主義だろうが、独裁政権であろうが、その権力を握っている者が、正しい心構えで、真面目にとりくんでいるならば、問題ないようにみえる。
ただし、その継続性、持続性が担保されるかどうかである。民主主義で、選挙が行われ、民衆の判断が賢いモノであれば、この善政は、健全に推移する可能性は高い。独裁制は、独裁政権がどのような権力構造になっているかが問題となる。独裁政治が最悪なのは、それこそ論理など通るはずもなく、犠牲者が多くでるし、これをやめさせるのも大変である。
歴史的には、長期に権力が集中すれば、必ず腐敗するという。権力の腐敗の問題である。独裁政権の場合、選挙を行わないか、行っても、形骸化したものであるか、または制限付きのものであるか、いろいろあるが、たとえば中国の場合、集団指導体制の形だが、やはり、最後の権力者が必要で、核心といわれる人物を配置する。
この権力の中枢が必然的に腐敗するというのである。習近平氏がどのような経過をたどっていくのか、見ものではある。
権力内部では、複数人が、同列だと必ずうまくいかないのか、最終決定者が必要なのだろう。これが、人類の弱点かもしれない。今、コンピュータがどんどん人間社会に影響を強めてきているなかで、人の採用までできるようになってきている。
ならば、政治についてもどうか。予算の分配。公務員の配置、賃金政策、社会福祉、・・・公共事業の優先順位などなど、コンピュータによる判断が、人間より優れていることにならないだろうか。そうなると政治家は、どうふるまえばいいのか。哲学・価値観を語ることとなるかもしれない。
哲学が違えば、重点がかわる。力点が変わる。国家のような組織が必要かどうか、人間の生き方、生きがい、ものの考え方も変化せざるを得ない。
科学技術の進展は、人間にまつわる様々な課題をとりあげ、大きな変化を人類に影響してきた。これもいまだ変化の真っ最中であり、まだまだプロセスの段階であると思われる。
韓国とのことが、大モメとなっているが、これなど、論理をそれぞれの立場から分析させればどうなるか。多くの要素をいれて、計算させてみてはどうなるだろうか。180度違うやりとりをみているとそんな気になる。
意外に底の浅い論理で、政治がうごいているのかもしれない。
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