植物園の中で、大男の若い外国人に笑いかけられた。車椅子で、母親を園内に入れて、坂道、砂利道を、押しながら、あるいは、方向転換しながら、まだ、開ききらない藤棚の下をすすんでいるときであった。外人に笑いかけられたのは、始めてである。「報酬」の印象をもった。チョットした笑顔が、報酬となることを知った。
叔父達が、声をかけてくれて、実現した集まりである。方向や道順を探してくれる。叔父や叔母は、若くても70歳代、大半は80歳代である。子供世代は、全員60歳代以上の集まり。叔父叔母達の10人いた兄弟姉妹は、いまや、半数となっている。
園内は、車椅子で来る人のことを、ほとんど配慮していない。ところどころに、階段があり、砂利道は、車椅子にとって難敵である。母親は、当初から入りたいけれど、口では「もういい。」と弱く言う。こちらも、いけるかどうかの危惧はあるけれども、それなりに、観察しながら、ティケット係のオバサンに車椅子で可能かどうかを聞く。首をひねりながらも、行けます、てな具合で、こちらは、相手に、入場者を増やしたい、の影を読み取りながらも入ることにしたのだった。
最近はどこも、車椅子のことを考えた設計となっているから、こういうケースは少ないのだが、思うに、古くからの由緒ある施設ほど、こういうことがあることが多い。日本庭園などは、車椅子は、不可能であろう。
車椅子ではなく、歩行椅子が欲しいところだ。段差をモノともしない椅子があれば障害者のみならず、足に自信のない健常者も重宝するのだが、ロボット業界の動向をみると、そのうち実現するかもしれない。
そうなると、「笑顔の報酬」はなくなるか。何かを得れば何かを失うのである。
叔父達が、声をかけてくれて、実現した集まりである。方向や道順を探してくれる。叔父や叔母は、若くても70歳代、大半は80歳代である。子供世代は、全員60歳代以上の集まり。叔父叔母達の10人いた兄弟姉妹は、いまや、半数となっている。
園内は、車椅子で来る人のことを、ほとんど配慮していない。ところどころに、階段があり、砂利道は、車椅子にとって難敵である。母親は、当初から入りたいけれど、口では「もういい。」と弱く言う。こちらも、いけるかどうかの危惧はあるけれども、それなりに、観察しながら、ティケット係のオバサンに車椅子で可能かどうかを聞く。首をひねりながらも、行けます、てな具合で、こちらは、相手に、入場者を増やしたい、の影を読み取りながらも入ることにしたのだった。
最近はどこも、車椅子のことを考えた設計となっているから、こういうケースは少ないのだが、思うに、古くからの由緒ある施設ほど、こういうことがあることが多い。日本庭園などは、車椅子は、不可能であろう。
車椅子ではなく、歩行椅子が欲しいところだ。段差をモノともしない椅子があれば障害者のみならず、足に自信のない健常者も重宝するのだが、ロボット業界の動向をみると、そのうち実現するかもしれない。
そうなると、「笑顔の報酬」はなくなるか。何かを得れば何かを失うのである。
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