集団的自衛権があるんだ!という解釈をすることによって、事実上、戦争ができるようにする、自民党は、公明党の了承をうるべく、「条件」をさまざま出して、まずは、これを目指している。
少しずつ、孔をあけて、いくことで、最終目的をめざす。そもそも自衛隊は、軍隊ではないといって、登場し、徐々に実績をつみかさねてきた。いつの間にか、レッキトシタ軍隊となり、これだけでも、すでに憲法9条は無視していると言える。
国には自衛権がある、ということで、まずは、軍隊をもった。次は、戦えなければ意味がない、となる。周囲の状況も後押ししてくる。
とりわけ中国の振る舞い、北朝鮮のこと、さらには韓国、ロシアなど近隣諸国との関係において日本は、常に、戦えない国として、どこか舐められていて、何事につけて、一人前扱いをされないという感覚をもっている。
保守の政治家は、とりわけそうだろう。しかし、歴史上はじめてといえるような、戦わない、軍隊をもたない、という憲法9条をもった日本は、本当にこの理想を追求できる政権をもたなかったといえる。
人類の中の、世界の国々のなかで、まるで、宗教家のような国であるが、そんな理想を追求する現実が実現できたわけではない。やはり自衛権はあるといって、戦える装置をもっているし、その気になればl戦争出来る状態にしている。
あとは、解釈改憲をやって、憲法9条を無力化し、そして、現実にあわないとして、いずれ憲法9条を「実情」にあわせていくつもりだろう。
人類の悲願ともいうべき、平和を地球上に広めることは、それで不可能となる。せっかくの憲法9条を活かすことができず、身を捨てて、強力な外交を展開して、人類のかかえるあらゆる悲劇の根幹をたちきる大事業にのりだす可能性を殺してしまうのである。
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