人類は、ここまで生き延びてきて、随分とひどいことをしてきた、また、ひどいことをされてきた。
恨みつらみは、山ほどある。しかし、それをいつまで引きずるかである。とことん引きずり、相手がどんなに謝ろうが、国と国の約束をしようが、くりかえし、蒸し返し、問題は解決していないと叫び続ける。
いつまでやるつもりだろうか。ゴールポストをかえる、と謝る側が言うと、フィールドが動いているのだから、ゴールポストが変わるのは当たり前だと、不満はとどまることを知らない。
アフリカから、無理やり拉致され、商品として売買されたり、奴隷としてこき使われたりした事実がある。力の強い国が、弱い国を支配した例もある。富を奪われ、労力を奪われた。反抗するものは、殺された。
そして、今なお、まだまだ、人種差別はあり、資本主義社会のなかでも、何もしなくとも富が舞い込み、楽に人生を送っているものもいれば、つらい労働においこまれながら、将来の夢など持ちようもない暮らしをしているものもいる。
公平でもなく、合理的でもなく、地球環境についても、利権の前には無視するという傾向さえある。たった一つの共有財産である地球さえ、目先の利益の前には、無視する連中が人類の一部にいて、それが、権力を持つ立場にいたりする現状がある。
もういい加減に、広い視野を持ち、少なくとも、地球規模での思考ができなければ、人類の共存はありえない現実がある。
お互いの、曲がった認識をそのままにして、共存するためには、どうであるべきか、思いのたけをぶつけ合い、徹底的な論議、研究が必要だろう。
いつの日か、共通の認識のもと、お互い助け合って生きていくことができるかどうか、これぐらいのことができなければ、人類の存在は相当に危うくなるのではないか。
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