きれいごとを言っても、金がなければ、人はすぐに窮地に陥り、塗炭の苦しみにあう。したがって、金には弱い。宗教はそこへ入り込む。信者から、金を巻き上げ、その金を組織防衛につかう。
新聞社などは、最近、どこも完全に買収された。宗教団体の出版する雑誌の広告を大々的に載せている。この広告代は莫大だろう。そして、その雑誌に寄稿している連中もまた、買収に応じた連中である。
ああ、汚い、汚い!婦女暴行をして、訴えられて時効で逃げ切った創立者は、金儲け亡者の有名人をとりまきにして、なんとか「名誉」を守ろうとしている。
この構造に加担する大新聞。なんだ、この実態は。
しかし、インターネットの中では、こうしたことが語られる。当然には削除できない。まさに、大海のインクの一滴であって、誰の目にもとまらない。だが、誰かの目には届く。ビラをまくには金がかかる。
維新の若き先生方は、まいたことにして、金はポッポにないないの人もいたが、そもそも、なんの主張もなかったのだろう。世の中、少しおかしくなっている。
まともな顔をして、やってることが、まことにいじましい。
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