俳句の場合、短い音数で何事かを語るわけだが、そこで、「説明」はいかんといわれる。写生はいいのだと、いうのだが、この区別がピンとこない。
同じ、言葉、言葉数であっても、語順を変えると、説明でなくなったりするらしい。この辺も、明確には理解できない。
風景を、切り取って、俳句にすることは、瞬間をとらえることかといえば、それもあるけれども、流れをうたう場合もあるのではとも思うし、なんせ短いから、作者の本意というか、狙いをこえて、人は勝手に風景を思い浮かべ、いい句だ、なんとこともありそうである。
短いからこそ、含蓄がうまれるし、言わなくともいいから、逆に言えることもある、てな具合で、なんとも、捉え難く、俳句に熟達するのは、並大抵ではない。
簡単には、上手になれないからこそ、魅力があるともいえる。俳句雑誌「俳句」では、巻末近くで、選者数人が、それぞれ、90句選んでいるのだが、選ばれた句で、全員一致いうものは、恐らくないようである。
数人がダブって、選句している場合もあるが、それは、例外といってよく、俳句の評価には、絶対性はないのである。多様な評価があって、絶対的なものはないことがよくわかる。ただ、俳句コンテストで、選ばれるような句は、やはりいいな、と思えるのは不思議なことである。
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