異国へ来て、よく日本文化にとけこんでいると感心する。ただし、100点ではない。懸賞金を手刀切って、そのあと、勝ち誇ったような顔をしたり、態度で示すことは、モンゴルでは、褒めたたえられるのだろうが、日本の場合は、そういう喜びの表情を出さず、控えめにすることである。
相撲の取り口も、ファイトむき出しではなく、無表情がいい。張り手なんて愚の骨頂である。やればやるほど、反感を買い、評価が下がる。控えめ、そして、人間としての深さ、思いやりがなければ、大横綱とは言えない。
日本へ来て、歴史的な横綱となるためには、人格的に成長しなければならない。人間社会の現状に思いを致し、何か世の中に貢献できないだろうか、と考えられるかどうかである。
なんといっても、強くなければいけないのだが、そこに深味が欲しいのである。勝負にはこだわらなければ、勝てないものかもしれない。だが、そこに求道的な要素も欲しい。ただ、勝ちさえすればいいというものではない。
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