空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

まくしたてれば正論と思われると思っているのか

2020年04月24日 13時50分17秒 | 思考試行

 声高に、何事か叫ぶ人あれば、あたかもその主張が正論のように思ってしまいそうになる。それが、声高に叫ぶ人のねらい目であるだろうことはわかるが、そこには、なにやら、胡散臭いものを感じる。一般に、個別の対話の場合には、おとなしい人への恫喝となる。

 それと同様の効果を狙っているのだろうか、と感じる。静かに正論をはき、それが世のため人のためであると熟考のうえであれば、その方が、いいではないかと思う。

 ただ、静かに話していると、どうも迫力がないとなりかねない。熱を込めて、オーバーぐらいでないと、人には伝わらないのかもしれない、と考えているのかもしれない。

 だが、そんな姿勢には、騙されるわけにはいかない。そこに何か問題があるのではないかと思わなくてはならない。見落としてはならない。

 歴史は、パフォーマンスに騙された経験を教える。国民はそんなものに簡単に騙されてはならない。論理的に筋道を立てて、議論すべきだし、政策の中身を吟味すべきだ。声を荒げるものの本質を見抜かなければならない。彼らは、権力の強化を必ず主張してくる。それが、かれらの本音だ。

 今の、コロナ禍の最中には、いろんな意見が飛び出す。その対応の仕方によって、人命に関わってくる。どのように対策を打っていくか、誤りがあれば、即犠牲者がでてくる。死亡者数として、はっきりと影響が出てくる。

 政権がどのような実力をもっているか、司令部は誰なのか、官僚組織がどのように機能するか、また、国民がどのように行動するか。事態が刻々変化するなかで、対応できているか残酷にもその影響が、死亡者数としてあきらかとなっていく。

 日本の対策はどうであろうか。いろいろ弱点が露呈してきていると言わざるを得ない。問題に対処する熱と能力と組織の力、連携力、等々、死者はこの戦いにおける「司令部」の指導力の犠牲者である。救える命をみすみす失うこととなる。

 これからますます、死者は増大しそうな雰囲気がある。人々の活動を止めようとして仕事を止めて、と要請しながら、補償はしない、に唖然とした。どうやって、国民は、生活していくのだ。そこには、想像力も配慮もない。しかも税金の使途のことでありながら、何を勘違いしているのか、自分の財布のように考えているとんでもない者もいる。

 高額な兵器を、買わされても、国民の生活のためには、ケチりまくる。何故か、財政破綻を恐れているというのか。ここは、財政出動をすべきである。安全な権力にいて、ノウノウとしている場合ではない。