誰が一番指導者として適切か。あるいは、ものごとの取りまとめ役として、適任か。これからの社会は、独裁ではなく、さりとて、知恵ある人をどういかし、それぞれの各人の意見をどう組み上げていくか。さらには、思春期や考えの浅い時代から成熟へとどのように人間として成長をしていくか。社会は、どんな仕組みに基づいて運営されていったら良いか。人類社会には、多くの課題がある。
こういった課題が、現実のものとして、重要になってきた。自民党が都議選で、敗北したけれども、あれだけ問題を起こしても、まだ多数であり、共産党は伸びたけれども、大多数にはなりっこない、という「常識」みたいなものがある。テレビでタレントが簡単にそのように言ったりしている。
社会主義政治が往々にして、指導者の独裁政治となり、政敵に対する粛清が問題となり、権力闘争からはたして解放されるかといえば、政権を担えるほどの信頼感というのはまだまだないし、その正当性の可能性は、簡単な言い方で、否定されてしまっている。恐怖感というか、問題外の感が根強い。
こうなってくると、日本共産党が、人類の希望を開く、新しい政治集団として、その機能を、発揮して、世界に発信できる政治機能集団のモデルになってほしいものであると思う。女性議員の数が多く、組織の運営にもおそらくさまざまの知恵を働かせているはずだが、もっともっと開かれた、合理的なものにして、誰の目にも、これは素晴らしいとうならせる組織になっていってほしいものだ。