空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

考え方を考える

2022年10月18日 17時43分25秒 | 思考試行

自分自身や子供や、大切に思っている人が、病気をしたり、何か不都合があった場合、どう考えるかが問題となる。生死にかかわる場合はむろん平静ではおれないかもしれない。

そこで、自分の行いが悪かったのではないかとか、他人のことを恨んだことがとか、その他神仏の罰を受けたのではなどと、考えがちである。そこへ、悪徳宗教がチャンスとばかり、忍び込んでくる。

あたりまえの常識的な良心的なことを言いつつ、それと、へんてこな理屈をつけて、奇跡だの神仏のおかげをもちだしてくる。そこを入り口にして、入信させるための手だてが始まる。

旧統一教会をめぐって、政治家がその活動にお墨付きを与え、政治家は選挙運動に絶大な支援を受ける。この援助なしには、当選できない議員もいる。安部さんに今回は宗教団体の支援をうけられないと聞いて、出馬を諦めた現職議員もいた。ズブズブの関係である。

病気や、困難な事象は、生きているかぎり無縁ではありえない。病気になる原因は、すべてを把握することはできないが、コロナのように、人類にとって未経験な感染症があったりする。ご本人の健康を害するような、暴飲暴食や、過労など、その他、心当たりのない疾病もあり得る。

世の中の経済事象や、為政者の失政があったり、ウクライナのように突然攻め込まれることもある。どこから、困難が事象がふりかかってくるかもしれない。それには、いろいろな条件が重なる場合がある。

だが、神仏にその原因をもってくるのは、まずそれをタネにする「宗教家」がいたりするから、ご用心である。証拠もいらないし、奇跡で片づけられるから、これは簡単である。もっともらしい演出が重なれば、疑うことをしない人は、だまされる可能性大である。

「宗教家」はこれで、大儲けをし、大神殿を建て、優雅な暮らしをすることになる。

病気になろうが、災害に会おうが、そこそこに対応しながら、なんとか生き延びていこうと決意し、寿命がくれば、それに従うとして、それでいいではないか、と思っている。それまで、自分がいいと思うように行動し、ごまかさずに生きていくことにして、道を外さぬように心がけ、もしか間違えばこれを正して、心のなかで、神仏がいるかもしれないので感謝していけばいいのではと考えている。神仏にはまかせるしかなく、たよるべきものではないと感じている。

 

 

 


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