世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

12月23日(金)のつぶやき

2016年12月24日 | ライフスタイル

アクティブジャーニー

2016年12月23日 | 100の力
トリニダの町は

どこを歩いても、どこを写しても絵になる。


     タワーの上から見る風景


角を曲がるたびに、また違った素晴らしい風景が目に飛び込んでくる。

町そのものが博物館であり、美術館である。


     カラフルな建物とカラフルな人々

石畳の道はそれだけでも風情がある。



石畳といっても、まるい石が敷き詰めてあるので正直歩きにくいのだが、

たぶん足裏マッサージはいいと思う。


旅は歩け歩けがモットー。

動け動けがシンジョー(信条)。

旅人が歩いて動けば運に恵まれる。

もちろん、危険な目にあうことだってあるが。


幸と不幸、運と不運はいつも背中合わせなのだ。

旅そのもの、いや人生がそうなのだから。


名所旧跡を見て歩く、

ショッピングをする、

美味しいものを食べる

という3大観光旅行型も悪くはないが、


やはり、現地の人との触れ合い、

現地ならではの体験をすることの方が断然面白い。


ホテル、お土産屋、観光地、観光客向けのレストラン、

お仕着せのアトラクションだけでなく、

(もちろんそれだけでも十分楽しめるが)


できれば現地の人の生活の場に入り込み、

会話を交わし、同じものを食べ、文化、習慣に触れることをお勧めする。


そのためには、少なくとも英語は必須だし、

普段から好き嫌いをしないことを心がけ、

違った文化、習慣を受け入れる適応力を身につけておくことが肝心だ。

いわゆるダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & Inclusion多様性と受容力) である。


それには、好奇心と審美眼が要求される。

好奇心とは、楽しむ力、喜ぶ力だ。

審美眼とは、良いものを見抜く力。


楽しみ、喜ぶことで小さな達成感を得ることができる。

真に美しいものを美しいと見抜き、

美味しいものをおいしいと感じることで、

ささやかな幸福感を得ることができる。


充実した人生はこの小さな達成感と、ささやかな幸福感の積み重ねでできている。

そしてそれは旅によってもたらせられる。

つまり、日常というより、非日常の中に見つけやすい。



そして、ここトリニダでは4つのことに挑戦することができた。

そのうちのひとつ目。


町を歩いていると一頭の馬が鉄格子につながれているのに出くわした。



キューバに来てから、馬にはかなり遭遇しているが

なかなか乗れる馬には会えていなかった。


ボクは、海外では馬を見つけては乗り回してきた。

これまで少なくとも20か国では馬に乗っている。


キューバがこれほど馬の国(Horse country)だとは思わなかったが、

また、これほど乗馬に縁遠いとも思わなかった。


そしてやっとその時が来た。


サドル(乗馬用の鞍)をつけた馬はいるが見渡しても持ち主らしき人がいない。

馬は寂しげな表情を浮かべていた。

ボクは鬣(たてがみ)から首筋をなぜてやった。

しばらく馬とのスキンシップを楽しんでいると

何か買い物を済ませて近づいてくるテンガロンハットの男性いた。

「あんたの馬かい?」

男は、そうだと答えた。

「乗せてもらえないかな」

男は、にこりともせずOKというと

ついて来いというばかりに馬の手綱を引き歩き出した。



男は携帯電話を掛けながら町はずれまで5~6分歩いた。

そこで待っていると、馬に乗った別の男が現れた。



「彼がガイドするよ」

というと、支払いを先に要求した。

30分$15。

日本で考えると破格値だ。

(日本だと外乗の場合5000円はかかるだろう)


「経験は?」

「あるよ」

ガイドは簡単に手綱さばきを教える。

馬乗りは、相手がどれだけ乗りこなせるかすぐに見分ける。


彼はボクを先に行かせてくれた。

(大体はガイドが先導する)

コーナーに来るたびに、右、左と後ろから叫ぶだけだ。


石畳の道を進み、山まで一気に駆け上がる。

Horseback riding in Cuba

     自分で撮影しながら馬を走らせる   

景色が開けた見晴らし台に出る。



ゲバラもこうしてキューバの山中を馬に乗って革命軍を率いたのだろうと思うと

なんとなくゲバラの心境がわかったようで感慨深かった。


       革命博物館で

また一つキューバでの目的を果たした。


あと3つは次回に。

お楽しみに。







憧れのトリニダ

2016年12月22日 | 
かくして、一睡もしないまま

午前9時過ぎにバスはトリニダのバスターミナルに到着した。


そこでは自転車タクシーのお兄さんが待っていてくれた。


        

荷物を載せると、石畳(石ころ)の坂道をガタピシいわせながらいかにも重そうにペダルをこぐ。


       初めて乗った自転車タクシー

これは足腰が鍛えられるだろうな、と思ってるうちに

CASAに着いた。




重厚な扉の向こうに、別世界が広がっていた。


     豪華な調度品

今までのCASAと違って、ゲストルームが5室もある。

規模の大きなCASAだ。


パティオでウェルカムコーヒーをいただく。



眠気が吹き飛ぶ。


まだ午前10時前だというのに、部屋を掃除して入れてくれた。



で、さっそく朝食も。



少し休んだら、美しい世界遺産の町並みを散策しよう。





バストラブル

2016年12月21日 | 
カマグエイからいよいよトリニダに移動する。

もちろんまたバスでの移動だ。


それで、野球観戦が終わって

CASAのオヤジさんがボクをバイクでバスターミナルまで連れて行ってくれた。


     バイクの後ろは乗り慣れてる(ベトナムだってネパールだって)

バスの予約をするために。


ところが、せっかく来たのに、

明日来なさいと言って追い返された。



オヤジさんもちょっと浮かない顔だ。


明日といっても、

バスの時刻は、午前2時45分だ。

また夜中か。


夕食をいただくと、





荷造りして早目にベッドに入った。


うつらうつらしていると、ドアをノックされた。

午前1時だった。

タクシーが来たから、バスターミナルに行くようにという。

奥さんがコーヒを入れてくれて、

サンドイッチを持たせてくれた。


こういうところはCASAはありがたい。

眠い目をこすりながら、見送られてボクはタクシーでバスターミナルに向かった。

あのポンコツタクシーで。




気のいいタクシードライバーは、チケット売り場まで連れていってくれた。



だが、ドアがロックされている。

多分もうすぐ開くだろうから、ここで待ってればいい、

と言い残していってしまった。


ドアの前には二人の男性が物憂げに座ってる。


どこへ行くのか聞いてみた。

トリニダだという。

オー、同じだ。

チョッとホッとした。


で、チケットは?ときくと、

まだだ、だからここで待っている、という。

どうやら彼らも同じ状況にあるらしい。


       疲れ果ててうつらうつら

彼らはドイツから来ていた。


それからは彼らと運命を共にすることになる。


午前2時を回ったころ彼らに肩をつつかれ起こされた。

チケットブースのドアが開いたという。


彼らについて中に入ると、一人のおばさんが不愛想に座っている。

トリニダ行きのチケットを、といっても発券してくれない。

2時45分まで待てという。

ボクは彼らと顔を見合わせ、

バスが着く時間ではないか。

それでは遅すぎないか、と言葉を交わした。


諦めてまた冷たいスチール製の椅子に戻った。

やがて、2時45分になった。

バスはまだ来ない。


時間だよ、と時計を指さしながらながらボクはおばさんに挑戦的に言った。

待てと一言、相変わらず無機質な返事が帰ってくるばかりだ。

なぜ発見してくれないのか。

僕たちはイライラしながらドアの前で待った。


午前3時半になって、バスはようやく姿を見せた。

バスが来たよ、チケット売ってくれよ、

と掛け合うが、おばさんは一向に黙って座ったままで動こうとしない。


するとやがて、バスのドライバーがやってきた。

トリニダに行くのは?

3人だ、と答えた。

すると、何やらおばさんとドライバーがやり取りをしだした。


やっとわかった。

発券しない理由が。

座席がない、満席なのだ。

ガガーン!!!!


オイオイ、ここまで待たせて乗れないなんて、そりゃーないぜ。

ボクはドイツ人と顔を見合わせ、あきれたように肩をすぼめた。


ボクは、ドライバーにどうしてもトリニダに行かなければならないことをすがる思いで訴えた。

ドイツ人たちも同調する。


これを逃したら、その日の23時45分までバスはない。

それだって、この調子だと乗れる保証は全くないのだ。

何と言っても、バスが来なけりゃわからないのだから。

たしかに、50年前にタイムスリップしているようだった。


必死に訴える僕らを置いて、ドライバーは一旦姿を消した。

乗れないかもしれないなと半ば覚悟を決めかけたその時、

ドライバーが戻ってきていった。


通路でもいいか。

いい、いい、なんならトランクだって屋根だって乗るぞ。


かくして、難民になった気持ちでバスの通路にしゃがみこんだ。



 このほうが足が延ばせる(振動はすごいけど)

カマグエイの奇跡

2016年12月20日 | 
旅先では自ずと冒険心が湧いてくる。

怖いもの見たさなのかもしれない。

知らない道を歩いてみたいという衝動に駆られる時がある。
(人生でもいつもわき道に逸れているが)

そうして、迷い込んでしまった道。

その先には奇跡が待っていた。


南米といえばサッカー。

だが、キューバはアメリカ、日本と並ぶ野球の国。


知らない町をあてどもなくフラフラとふらつくのが好きだ。

この日も晴天の中、冒険心がボクをどこともなく連れて行った。


広い公園のようなところに差し掛かると、

大きな夜間照明が見えてきた。




何かのスタジアムだと思い行ってみる。

入口らしきところに数人の人が立っている。



好奇心から近づいてみる。


どうやら野球場らしい。

中の方を鉄格子沿いに覗き込んでいると声がした。

「(試合開始は)1時半からだよ」

時計を見るとまだ11時を回ったところだった。

「写真撮るだけ、いい?」

と言って、ボクはカメラを中に向けた。

すると、横に立っていたセキュリティが中に入って来いというように手招きをする。


ボクは、言われるままに中へ入り、

選手たちの顔写真が貼ってある壁に向かってシャッターを切った。


それだけかと思いきや、ついて来いという。

そして、ダッグアウトを抜けグラウンドへ。


そこで選手らしき大柄の男性に何やら声をかける。



名前は知らないが、彼はボクにユニフォームを売ってくれた($20)。

(半ば強制的にだが、)



そのあと、試合前の選手たちの控室まで案内してくれた。


      リラックス中にいいのかな

ここでもフレンドリーに記念撮影に応じてくれる。


      さすがにみんな大きい


いったん、CASAに帰り、ボクは改めて球場へ出かけた。

今度は試合を見るために。

やはり本場のプロは違う。

球場の雰囲気も肌身で知りたかった。

カマグエイの相手はマタンサスという強豪チーム。


入場料は$1。



やはり庶民の値段だ。

(先日亡くなったフィデルカストロも大の野球ファンだった)

人に押されながらバックネット裏の席を確保。


ニューヨークではヤンキースタジアムで大リーグの試合を見ていたので、

ビールを飲みながら観戦しようと思った。


     
ところが、スナックやソフトドリンクだけしか売りに来ない。



なるほど、満員のスタンドには物々しい軍隊が張り付いている。

アルコールはご法度らしい。






いつの間にか試合観戦するボクを案内してくれたセキュリティが目ざとく見つけ、
(なんと数千人?の観客の中から見つけ出したのだから)

試合後もまたグラウンドに案内してくれた。



     監督らしき人とパチリ


     彼が親切なセキュリティ(案内礼金$5)


思いがけず本場のキューバ野球を見れて大満足。


「現場に行き、本物に触れる」

これがボクの旅のモットー。


そして、やっぱり旅は歩け歩けですね。

そうすれば、思いがけない出来事がついてくる。
(危険も背中合わせだけれど)

何が起きるかわからないところが、旅の醍醐味。

カマグエイへ

2016年12月19日 | 
最初はカマグエイに行く予定はなかった。

当初、サンチャゴデクーバからトリニダに行く予定だった。


だけど、ハバナからサンチャゴデクーバに行く長距離バスの車窓から見たカマグエイの美しい街並みに感動して

急遽立ち寄ることに予定を変更した。


サンチャゴデクーバのバスターミナルで

前日カマグエイ行きのチケットの予約を入れておいた。


出発は、今度は早朝6時30分発。

いつも深夜か早朝だが、長距離移動のため仕方がない。

しかし今回は約7時間、元来た道を引返す格好だ。


     わりとすいていてゆったりとした感じ

バスはハバナ行きで、途中下車になるため、

あらかじめドライバーにカマグエイに着いたら教えてくれと頼んでおく。

(アナウンスがないため、乗り越さないように)


バスはほぼ定刻通りカマグエイのバスターミナルに着いた。

そこには、タクシードライバーが迎えに来てくれていた。



こういったところは、CASA間の連携が密で、ちゃんと連絡をしてくれていて助かる。


ただ、ドライバーは陽気でいいオジサンだが、

車が今にも止まりそうなポンコツ。


     フロントグラスにはヒビが

それでも、途中観光案内してくれながら、何とかCASAまでたどり着く。


予想通りの綺麗で閑静な良い町だ。

キューバで最も古い町の一つ。

広場と路地が迷路のように連なるコロニアルな町並み。

なんてったって世界遺産の町なのだ。

期待が膨らむ。


ここのCASAもこじゃれたかわいらしいお家(うち)。

オーナーはおじさんだったけど。


部屋も、また、ラブホテルと見間違うほどの色っぽさ。



キューバ人て結構乙女チックな人が多いのかなー?

これは一人で寝るには空しい。
(仕方ないけど)


おまけに、

部屋にミラーボールはあるは、コンドームはケースごと置いてあるは。




      これは使い切れないでしょ

嫌がおうにも高揚させられる。
(ここはじっと我慢の子)


部屋の前は、こじんまりしたパティオ。

CASAの子が懐いてボクから離れようとしない。





洗濯物はお母さんが干してくれた。


      晴天続きで、すぐ乾く


全くキューバのCASAは居心地がいい。


一服して町を散策。

世界遺産の町だけあって町全体が小綺麗だ。


       町の中心地サン・ファン・デ・ディオス広場


     恋人たちもゆったりとくつろいでいる

タクシー馬車がいたるところに通っている。





好きだナ~、こんな町。






息子の誕生日

2016年12月18日 | 
今日は息子の32回目の誕生日。

そして、

ボクの68回目の誕生日でもある。

つまり、息子はボクと同じ誕生日なのだ。

(しかも干支も一緒、つまり36歳の時の子)


32年前のボクの誕生日、前妻からのビッグなバースデイプレゼントだった。


その息子が一昨日帰熊(きゆう)した。



半年ぶり。

久しぶりにゆっくり話し込んだ。

立派に成長した息子にボクは喜びを隠せない。


そして、娘が二人。

みんな自立して、健康でそれぞれの道を自分の足で歩んでいる。

これが何より嬉しい。

立派に育ってくれた子供たちに感謝。

(お母さんたち(複数)のお陰、感謝)


彼らは、ボクが授かった最高の宝物。

厳しい時代だが、

この世が、この世界が、この地球がどうなろうとも、

逞しく生き抜いてほしい。



ボクは、世界一の幸せ者。



愛する人に、ご縁のあるすべての方々に、

そしてあらゆる出来事に

感謝!!


これからも、生ある限り(生かされている限り)、

あらゆる人を愛し、すべてを受け入れ、何事も許し、みんなに感謝して

残された少ない人生を

positive に aggressive に challengeable に生き抜いていきます。

ありがとう!!心を込めて。


【補足】

息子の嫁さん募集中!

優しい子ですよ。

ボクが保証します。


ただ、しゅうとが曲者((笑))

カリブ海に想う

2016年12月17日 | 
20年前、ボクはフロリダのキーウェストにいた。

アメリカ最南端の町だ。

ここはアメリカのキューバと言われるほど限りなくキューバに近い。

そこでカリブ海を眺めながら思った。

ここからキューバに行ける。

ハバナまで約130km。


      ハバナまで105Mlとある(マイアミに行くより近い)    

泳げる距離だ。(実勢泳いだ人がいる)

月日は流れた。



サンチャゴデクーバで宿泊したCASAは少し高台に位置し、

目に前にはカリブ海が広がっていた。


        見送るCASAのママ

そして、その先にはジャマイカ、ハイチが目と鼻の先にある。

天気がいい日には 標高2,256 メートル (7,402 ft)のブルー・マウンテン(ジャマイカ)が見えるだろう。

言うまでもなくコーヒーの生産地としても有名な山だ。

そこには友人が住んでいる。

以前、熊本でALT (Assistant Language Teacher外国語指導助手)をしていた女の子Kerry。

ダッコちゃんみたいな愛嬌のある顔をしていた。

今は帰国して、以前からジャマイカにいらっしゃいと誘われていた。

キューバからは飛行機で一っ跳び。

行きたい衝動にかられたが、非常に危険な国であり今回は躊躇した。

(外務省の危険情報ではレベル1の「十分注意」となっている)


今回のキューバの旅の目標の一つは、「カリブ海で泳ぐこと」である。

海に行ってみた。

ハバナ同様、そこは港になっていて、

泳ぐことのできるビーチはかなり離れている。


港の周囲は公園化され、市民の憩いの場としてふさわしい。

若者たちが何やら集まって、写真に向かってにこやかにポーズをとってくれた。



人懐っこさがキューバ人の特徴だ。


ボクはこの町がすっかり好きになってしまった。


      夕暮れの海が旅愁をそそる。

どこか日本の景色に似ている。


キューバに来てもう10日が過ぎようとしている。

旅程の約半分だ。

いつになったらカリブ海で泳げるのだろうか。