世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

キャンペーンガール

2015年06月27日 | 町づくり
アオザイ姿で街に繰り出した美女二人。



ノンラー(三角錐の傘)をかぶり、艶やかな赤と白のコントラストが光る。

もちろん目を引くこと請け合いだ。


それは商店街から始まった。

道行く人にチラシを配る。



各お店を訪ね、あいさつをする。


     雑貨屋さんで


     八百屋さんでご挨拶

駅前では、乗車、下車する人々に手渡す。


    年配の男性には特に人気だ

外国人もちらほら。


定期的にアオザイパレードをすることにした。

今日からいよいよ改装工事が始まる。


オープンまで10日を切った。

福岡第一日目

2015年06月26日 | 町づくり
新しい生活が始まった。


引っ越しから、大掃除。

猫の手も借りたいときに、ねこちゃんが手伝いに来てくれた。


アオザイもそろった。



ベトナム人スタッフの泊まり込みも始まった。




夜は、みんなで飲みながら、打ち合わせ。



業者さんたちとのアポもこなしながら、商店街での営業に向けてめまぐるしい日々が続く。

地方創生

2015年05月14日 | 町づくり
福岡の拠点づくりを進めている。

商店街のまっただ中だ。

店の形態は、カフェとインターナショナルサロン。

カフェは、ベトナムに特化したスタイル。

インターナショナルサロンは、

フリートークの活動をさらに拡張したものとする。


国際交流、文化交流、異業種交流などなど。

言語、料理などを通じて交流を図る。

それはイベント形式であったり、セミナーであったり、パーティであったりする。


小規模ながらゲストハウスも併設する。

その実績を作り、他の店舗で展開する腹積もりだ。


シャッター店舗を活用することはもちろん、商店街全体の活性化に向けても尽力する。



基本的にはインターナショナルな商店街を目指す。

これまでに無い学生や外国人を取り込む。



政府が推し進める「構造改革特区」も視野に入れている。

外国人留学生が多い地元大学の卒業生が日本で就職・起業しやすくするための在留要件の緩和、

空き家での体験宿泊や旅館、レストラン営業の促進

と言ったボクの十八番を実践していく。


ただ地方創生には落とし穴がある。

それは「関係者の合意形成」であり、

「集団的意思決定」といった村社会の悪習によるものだ。


ボクは、街の商店街で生まれ育ち、

田舎暮らしもここ30年間、3か所で実践してきた。

閉鎖的、保守的と言った点で双方は共通性がある。


だが、「何とかしたい」

東国原が宮崎県知事時代「どげんかせんといかん」に通じる危機感と意欲があるはずだ。

それに期待し、訴えていくほかはない。


そして何より、実績を作ることだ。

つまり、

やって成果がでれば、賛同者はどんどん増えていく。

合意形成は最初にするものではなく、やった結果をもってなされると考える。


いちいち合意形成などというものは気にせず、

「衰退をさせている問題の解決に必要なトライ・アンド・エラーをどんどんやってみよう」

という状況に地域をもっていくことが重要だ。


ボクの手法がどこまで通用するか。

商店街活性化のモデルケースになるよう、

これまで培った経験を余すところなくぶつける。

いよいよ面白くなってきた。


無から有を創る

2013年05月03日 | 町づくり
時には自分を思いっきりアピールする必要がある。


日本人は、もともと控えめで謙遜の民族である。

だが、グローバルな時代には、その民族性が裏目に出る。


もっと大風呂敷を広げることもやらなければならない。

もちろん自慢やウソであってはいけない。

だが、時には「嘘も方便」とか、「嘘から出た真」と言われるように

少々の脚色は許される場合もある。


さて、何が言いたいかというと、

「街再生請負人」の提出書類の中で『職務経歴書』というものがある。


これは履歴書に書く職歴とは異なる。


職業名、勤務先名以外に

業務内容、期間、役割(担当業務)、そして成果(実績)を求められている。


中でも問題は、実績だ。

即戦力が要求されるわけだから、今まで実績がなければ却下される。



ボクノ場合、十二分にある。

自信を持って言える。


しかも、現在進行中のものが複数あるのだ。

そこをどう表現するかは文章力にかかってくる。


自分の足跡をたどりながら

生きてきた証が試されていることを強く感じた。


自分は今まで何をし、何をこの世に残してきたのだろうか、と。



特技欄にも一文添えた。


「無(誰も人の来ないところ)から有(人が大勢集まるところ)を創ること」 と。



人に自分を買ってもらう訳だ。

一年間、1,000万円で。


自分を良く見せなければ誰も買う気にはなれない。


ウソはいけない。

が、誇張することは必要だ。


女性がが化粧をするように

自分の足跡に彩りを添えてみた。



――――――――――――――――――――――――――――――

以下がボクの職務経歴書だ。

興味と時間のある方はご一読ください。

(最下部に補足あり)



①1973~79年(6年間)総合商社 トーメン(現豊田通商)東京本社勤務

財務(外国為替業務)1年
営業(鉄鉱石輸入、石油化学国内外取引)
合弁会社設立担当 イギリスのオイル会社と日本の石油化学会社で合弁会社を作った。
その間、約6か月間ヨーローッパ各国をアテンドして回る。


② 1979~85年(6年間) 熊本県阿蘇郡長陽村(現南阿蘇村)ペンション経営

オーナー
脱サラで東京から熊本県阿蘇へ。九州で第一号のペンションを開業。
資金をためて、乗馬観光牧場を開くためより広い久住高原へ移住


③1985~99年(14年間) 大分県久住町(現竹田市)

観光牧場『メリーファーム』経営(リゾートホテルを中心とした総合観光牧場) オーナー
ホテル、レストラン、ログハウス、乗馬牧場、テニスコート、プール、天文台、オフロードコース、ミニゴルフ場、ローンスキー場、フルフックアップのオートキャンプサイトなど総合リゾート施設を自ら設計して経営。 
全国からマスコミ取材多数。

その間、1995~96年 世界一周(世界初、家族4人、400日間)
本を出版 『地球はわが家の教室 子育て400日間世界一周』くもん出版
以来、世界約60か国歴訪中 (現在年に3~4回海外出張有り)


④ 1999~現在(14年目) 熊本県阿蘇郡西原村 コンドミニアムホテル経営

『ドゥリーミン カントリー・インAso』オーナー
築110年以上の古民家を買い取り、改装、ホテルと、レストラン、雑貨販売を手掛ける。 マスコミ取材多数。
同時に「古民家再生クラブ」、「焚火研究会」、「夢実塾」を主宰
2004年 自ら設計したホテルを建設
“Aso Language Village”として、合宿制英会話スクールを経営(一年間)
テレビコメンテーター、レポーターとして番組出演


⑤ 2006~7年(2年間) 熊本城築城400年祭実行委員(広報担当)

入園者数200万を達成 (前年度は70万人)


⑥ 2008年(一か月間) JICAにてベトナム勤務(防衛危局輸出促進アドバイザー)


⑦ 2010年(一か月間) JICAにてコスタリカ勤務(国立植物園日本庭園盆栽講師)

日本文化の紹介に貢献 (クールジャパンの先駆け)


⑧2012年~現在(3年目) インターナショナル&コミュニティカフェ開業(熊本市)

オーナー。外国人をスタッフに雇い、英語を中心とした会話ができるカフェ兼オフィスとしてとして経営。各種セミナーを実施。
  テレビ、マスコミ出演多数。
  国際都市つくり計画(都市計画)に寄与。市長に助言。
  国内主要都市(東京、大阪、名古屋、福岡など)にフランチャイズ計画進行中。


⑨2013年~現在 イングリッシュ・ヴィレッジ開業 (熊本県阿蘇郡)オーナー
 
 アメリカ人夫婦を雇い、合宿制英会話スクールを展開。
  インターナショナルスクールとして計画中。


⑩2013年~現在 ベトナム・ハノイにオフィス兼カフェ開業  オーナー

東南アジア進出の足掛かりに開業。 東南アジアからの人材派遣、育成。
クールジャパン構想の実現。(着物を作ったアオザイつくりなど)
ベトナムコーヒー、雑貨の輸入。


⑪2013年~現在 観光牧場開業準備(熊本県菊池郡大津町) アドバイザー
 
身障者、フリースクールなどと連携し、アニマルセラピーを同時に行う
   来年、アメリカにイマ-ジョン・キャンプ地としてゲストランチ設立計画中)


⑫2013年~現在 NOP法人インターナショナル・プロジェクト協会設立(申請中)

理事長
国際交流を深め世界平和に貢献することを目的とする。
  山村留学型インターナショナルスクールの設立。
  クールジャパン構想の促進、などなど事業は多岐にわたる。


⑬電子書籍出版複数作品発信中

著書: 『地球はわが家の教室 - 子育て400日間世界一周』 くもん出版
    『プレーリーホーム(開拓史) - さらに大草原を求めて』東京経済



                    以上。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【補足】

自分を信じ、人を支えることも自分の役割である。




町興しで月給90万円

2013年04月25日 | 町づくり
もうすでにご存じの方もいらっしゃるだろう。


宮崎県の日南市が

衰退する中心市街地活性化の切り札として、「街の再生請負人」を募集して いる。


月給はナント、


90万円。

市長より高いそうだ。


早速応募することにした。


月給の高さもさることながら、

なんといっても面白い。


町興しはボクの十八番(おはこ)だ。

エッ、知らなかった?




この際、採用されるされないは別問題。

チャレンジすることに意義がある。


レポート(企画書)を作ることが意味があるのだ。



それにもう一つ、魅かれた理由がある。


ボクはかねがね自分のライフスタイルとして

「スイッチライフ」という言葉を使ってきた。


これは、

海と山、

街と田舎

日本と外国に住み分けることを
意味する。


そしてほぼ実現してきた。

一つのことを除いて。



ボクの人生は「渡り鳥人生」なので

定住地を決めないことにしている。


そして今、インターネットがそれを現実のものとしてくれた。


何処にいようが、ネット環境さえあれば仕事は出来る。

今風に言えば、ノマドライフに当たる。


だからといって悠々自適といったのんびりした人生を過ごすつもりは毛頭ない。


強いて言えば、勇遊自的といったところか。



スイッチライフの中で、唯一実現させていないのが

先に述べた海辺での生活だ。



横浜の港の見える丘で4年ほど暮らしていたことはある。

商社マン時代だ。

横浜の夜景と港は大好きだ。



世界の名だたる海辺のリゾート地にも足を運んだ。


だが、ここ数年然程海との接触はない。




日南といえば言わずと知れた海辺の町だ。

リアス式の日南海岸はあまりにも有名だ。



一度は海辺の町に住んでみないと心残りで死ぬに死ねない。


だから、今回の日南市の「街の再生請負人」

ボクにとっては渡りに船なのだ。


ちなみに英語では

windfallとか godsend (like a finding a ship when one needs to cross)

というらしいが、文字通り神様からの贈り物だ。

これを断る理由はどこにもない。

むしろ断れば、罰(ばち)が当たるだろう。


というわけで、

目下『日南市中心市街地活性化基本計画』を読んで頭をひねらせている。




エッ、宮崎に行っちゃうの、って?

万が一にでも受かればね。

そりゃー、喜んで行くでしょう。



阿蘇は?熊本は?ベトナムは?どうするの、って?


だから言ったでしょ!

心配しなさんな。

何処に住もうが、ネット環境さえあれば仕事はこなせるって。



だから、いの一番に手掛けることはネット環境のインフラですね。

まだまだ日本は遅れているから。



採用されるされないは別として、

さ、企画書づくりに励も!


アー、またやること増やしちゃった。

これ、5月10日が締め切り(deadline)だもんね。

若者、バカ者、よそ者

2011年08月08日 | 町づくり
今や

町づくりの定番と言っていいほど



合言葉になっている。



アイデアが豊富で


行動力があることを指して言うのだろう。




そこで


「35歳以下」 などと


その合言葉を真に受けた


バカ者集団が発足した。





「若者、バカ者、よそ者」 の


真の意味を理解しない愚か者たちだ。





だから


ホントに


よそから


青二才の



棒にも箸にもかからないような


ホントのバカを連れてくるという


珍現象が起きている。




結果

その企画が遅々として進まないか


頓挫することは想像に難くない。





ここでいう 「若者」 とは



精神的な若さを言うのであって


実年齢が若いことを言うのではない。




老人のような若者が増殖している一方で


青年のようなシニアーも増えている。





そして

「バカもの」 の意味とは


奇抜で、オリジナリティに富んだ


目からうろこの発想をする者のことで、



単なるバカであればいいというわけではない。





さらに

「よそ者」 とは


そこの出身者であっても


外部に出たり


外部から物事を見て



客観視した上で判断できる素質を備えた者のことである。




ただ単に

その地に縁も所縁もない人を連れてくればいいというわけでもあるまい。




そこを勘違いしている


「バカ者」 がなんと多いことか。




それは

排他的な思想を生み



セクト主義的で


気が合う者同士の 

「お友達会」 でしかないから



まったく功を奏さなくなるのである。




精神的若さを持ち、


知識でなく、

体験に裏付けされた知恵と行動力があり、



自分に枠を持たず


物事を客観視できる




器が広くて深~い人材こそ必要なのだ。




だから

なかなかいないけどネ。





とはいえ


人を選ぶときは


外見や肩書でなく



自主性ある意志の高さと

目の輝きを観る必要がある。




そして


どれだけモチベーションを維持できるか。




一時的に燃えてる人は数多といる。



いわゆる

お調子者だろう。





スロースターターでも


見抜き方によっては

人は思いがけない成長を見せるものだ。




隠れた人材を発掘するとは

そういうことだと思う。





物知り顔なコメンテーターや


専門家面した似非学者や



一般的に言われる知識人の言葉を


鵜呑みにしてはいけない。





ただし


体験に基づく言葉は、



重く、深い。





人を見る、


見抜く判断を間違ってはいけない。

フェアトレード・シティ誕生

2011年06月05日 | 町づくり
熊本は今


大きく変わろうとしている。



この日


熊本市が


世界で1000番目のフェアトレード・シティに認定された。

                       
              市長も出席しての認定式



これは

日本はもとより、



アジアでも初の快挙なのだ。

                       

引き続いて


街中をパレード。

                       

祝賀パーティーへ。

                       


なかには

こんな人も。

                       


コーヒーやバナナ、絵作り工芸品など


フェアな価格で買い取り


発展途上国に寄与するというもの。




現在輸入しているベトナムコーヒー


ポーチなどこれから



ベトナムともフェアトレード商品を開発する弾みがついた。




その先には


コーヒー滓からキノコを作る事業が待っている。





加えて


ボクが進める 


「国際都市」 づくりにも一歩近づいた。






国際貢献


こうして

いろんな形でできるのだ。




興味のある方は


ご一報を。




なお


フェアトレードに関して

ウィキペディアから抜粋しておきます。



公正取引出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ダービーシャー本部(イングランド)のフェアトレード・ディスプレイ。公正取引(こうせいとりひき、英: Fair trade、仏: Commerce équitable、西: Comercio justo、フェアトレード、公平貿易)は、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す運動である。
オルタナティブ・トレード(Alternative Trade)とも言う。連帯経済の一翼を担う活動でもある。

「公正取引」という表現は政府との関係がある組織(例:公正取引委員会)にも使われているので、誤解対策のために「適正な報酬での取引」という交代表現も使われている。



概要

フェアトレード・コーヒー。

トゥルク(フィンランド)のフードショップ。

ブリュッセルのオックスファム。国際的な貧困対策、環境保護を目的としアジア、アフリカ、中南米などの発展途上国から先進国への輸出において、こうした取引形態が採用される場合がある。主な品目としてコーヒー、バナナ、カカオのような食品、手工芸品、衣服がある。

需要や市場価格の変動によって生産者が不当に安い価格で買い叩かれ、あるいは恒常的な低賃金労働者が発生することを防ぎまた児童労働や貧困による乱開発という形での環境破壊を防ぐことを目的としている。最終的には生産者・労働者の権利や知識、技術の向上による自立を目指す。


考え方


国際貿易における先進国と途上国の公平さを図り立場の弱い途上国の生産者・労働者により良い取引状況を提供し、彼らの権利を強化することで持続可能な発展が実現できるように貢献する。

また、従来の国際貿易の規則と実態を変化させるために働きかける。



フェアトレードは以下の戦略を持っている

取り残された生産者と労働者を助けるため共に働き、脆弱な立場を経済的に持続可能で経済社会発展が可能なように支える。

利害関係者としてフェアトレード機構は生産者と労働者に権限を与えようとする。

国際競争市場で公平さを達成するために広い役割を果たす。



フェアトレードの支持者のなかには、次のような意見を持つ者もいる

仲買人や国際的な流通業者が不当な利益を得ており、そのために途上国の生産者や労働者が搾取されている。

途上国の商品を先進国に輸出する際、最高400%以上の関税がかかる国や分野があり途上国がこの関税障壁に費やす費用は年間1,000億米ドルに達する。

さらに商品価格の激しい変動により途上国の生産者は生産のためにかかった経費、労働力、環境負荷、再生産コストに見合わない市場価格で商品を売らざるを得ない場合が多く、生産者は生活に必要な賃金が保証されない。









ジョン万次郎物語

2011年05月29日 | 町づくり
10月に熊本で開催される

「ねんりんピック」 の前夜祭で行われる演劇。




それが

『ジョン万次郎物語』 だ。



そのホイットフィールド船長役(の代役)にボクが大抜擢(?)されたことは


前にも述べた。






その演劇の旗揚げ式が



新しくオープンした熊本城の城彩苑で催されたのだ。





この時点で


主役を始め多くのキャストは決まっている。




先日ご一緒した


あの、100歳の現役医師 日野原重明さんも

晩年のジョン万次郎役として出演される予定だ。





ただ、船長役はまだだった。



アメリカ大使館を通じて依頼しているという。







旗揚げ式の前日になって

誰か知っている外人さんはいないかと演出家の方に聞かれ



ボクは思い当たるイギリス人をその会場に連れて行った。




彼の名は


Sean Wilson(ショーン・ウィルソン) 




熊本在住の異色の漫画家だ。








そこで思わぬセレンディピティが起こった。




ショーンは


まったくジョン万次郎のことは知らなかった。




そして

その劇団の旗揚げ式の意味さえも。



もちろん、ねんりんピックのことなど。





彼は、雨の中を面倒くさそうにやってきたほどだった。




そして


「だれ、これ?」


「なに、これ?」


を式の最中も連発した。





説明するうちに


彼の眼がらんらんと輝きだした。








結論から言おう。



彼は


自ら船長役を買って出、



周りの諸事情からも

演出家もそれを了承した、のだ。





彼の風貌は


まさにそのまま船長にしてもいいほどだった。




                    
                 FREE TALK にて




その時点で

悲しいかな(?)


ボクの役者デビューの話は


ゴワサンになってしまった。




つまり


ボクの存在価値が

消滅したのだ。






だが



心底、嬉しかった。









「出会い」、


「縁」 の意味するところは深く、





人生は実に面白い。





まず


ショーンとの出会いからお話ししよう。


(続く)





【今日の言葉】



相手が喜び


周りが喜ぶ。




だから


ボクは嬉しい

レンタサイクル

2010年09月25日 | 町づくり
               

熊本市にも、やっとレンタサイクルがお目見えした。


今のところ実験的試みで、無料だ。


10か所のサイクルポート(貸出場所)があり、

どこに返してもいい。



国際交流会館前にもあったので、

これは便利とばかり

駐車場近くの日航ホテルまで借りて乗った。



「パークアンドライド」 の一環として有効だ。



ボクが借りたのは、

電動サイクルで楽チンだった。



観光客だけでなく、

地元の人でも、だれでも借りられる。



自転車が気持ちいい季節になった。

是非お試しあれ。

国際教育特区

2010年06月25日 | 町づくり
熊本の町おこし案の一つだ。


熊本を国際都市に。

熊本から、アジアへ。



そのために布石として、

小学校で子供たちに英語で世界の話をしている。



この日は、

ホヤホヤの話題。


ベトナムとラオスのお話を子供たちにした。



南アフリカのワールドカップと併せ、

子供たちの関心も世界に向いてきた。



小さな日ごろのボランティア活動を出来るところから始めて、粘り強く続ければ、

大きな目標が達成できる日が必ずやってくる。


自分を信じ、子供たちの未来を信じて小さな出来ることから一歩ずつ。


熱き想いを

2009年08月20日 | 町づくり
幸山熊本市長と面談した。

わずか30分ほどの短い時間だったが、

ジックリと熊本市の発展のためのボクの熱い想いをぶつけた。


話は、町づくりから、教育、国際関係に及び、思ったより中身の濃いものとなった。

より具体的にボクの提案を進めるために、事務方サイドで検討してもらえそうだ。


ただ、例によって問題点ばかりを指摘されるパターンは変わらない。

とはいえ、織り込み済みのことであり、

一つ一つクリアーしていけば、ほとんどのことは実現可能なのだ。



大きな流れも、ごく小さな一歩から。

思い付き (発想) を書き留め、

小さな行動に移してみる。


波は必ず起きる。

それをうねりにするには、時間と忍耐、使命感、勇気 (信念)、リーダーシップなどなど

多くの要素が要求される。


だが、すべては根底に 「愛」 がなければならない。


「愛こそ命」

そんな昭和のナツメロがあったナ~。

市長対談

2009年08月14日 | 町づくり
1週間後、熊本市長と差しで対談することになった。

二人だけでジックリ話をするのは、約2年前に次いで2回目となる。


前回は、熊本城築城400年祭の実行委員としての立場だった。

その年、沖縄の首里城を抜いて200万人という城郭では日本一の入場者数を記録した。

当時、目標を100万人とした事務方に、「200万には可能」 と言ったボクが、他のメンバー全員から失笑を買ったことは記憶に新しい。



だが、



一気にブームが去り、入城者数は減少傾向に。



2012年、念願の政令指定都市になることが事実上決まり、市長はさぞかしご機嫌だろう。

が、

その前の2011年に迫った九州新幹線全線開通を控え、危機感を募らせていることも事実だ。


よほど効果的な手を打たなければ、ストロー効果で客足は福岡と鹿児島に向かうだろう。


そうなれば、道州制をにらんだ福岡との州都候補争いにも大いに影響することは必至だ。

商業都市・福岡に対し、熊本は行政、文化、教育、観光を前面に打ち出す必要がある。

さらに、環境都市も然り。

「水と森の都」 の面目にかけても。

今や3K (観光、教育、環境) は21世紀の至上命題でもある。




そこで、自称・観光のカリスマ (だれも認めない・カリスマイ?) 、否、観光の異端児であるボクの出番が来たわけだ。


そんなわけはナイ! だろう。


マア冗談はさておき、

町づくりに関する日ごろの持論を市長にぶつけてみよう。

今回は具体的数値を引っ提げて。



同じように市の教育委員会に提言した、小学校における 「英語室設置」 活動は、事実上動き出した。


今回のボクの提言で市長がどこまで理解を示し動いてくれるか、否か。


いや、ボクが動けるように関係各省に働きかけてくれるかどうかだ。


やると言ったら、ヤル!!


「湧わく都市 熊本」
水が湧き、夢がわくがキャッチ。

ボクも、いつもワクワク。


さて、これからが見ものだ。

そして、楽しみだ。




長塀通り

2009年07月02日 | 町づくり
市長に対談を申し入れた。


先日、熊本市が念願の政令指定都市になることがほぼ確実になった。

市長もさぞかしチョウご機嫌のことだろう。


だからというわけではないが、

以前に対談した時のボクの町づくりアイデアは総花的だった。

今回はよりピンポイントに絞り込んだ具体案を提示したいと思ってのことだ。



熊本城の長塀通りに、屋台村を作り商業観光の目玉にすること。

ここはボクの一番のお気に入りの場所。



幅4メートルほどの長塀通りと呼ばれる市道は、歩行者専用になっている。

文字通り、お城の重要文化財である300メートルほどの長塀とコイの泳ぐ川に沿って走っている。

数メートルおきにベンチがあり、小さなビューポイントが設けられている。

夜にはライトアップされた長塀を前に、ガス灯モドキが灯る。

「恋人たちの散歩道」

ユックリ歩きたくなる小道だ。



ここに、ベンチャー屋台をテナントとして希望者を募り、物販や飲食を提供するというもの。


メリットとして、

まず、歳入源となる。

雇用の創出にもなる。

何より、新しい商業文化が生まれる。


当局は、

都市計画や道交法の問題を出して否定的見解を並べたてるだろう。


誰かさんのように、市長の椅子を狙う気などサラサラない。




さて、

市長はボクの挑戦を受けて立つか?




《楽力向上委員会》

「難しいものほど楽しめる」

本丸御殿

2008年04月20日 | 町づくり
やっと、やっと熊本城の本丸御殿がオープンした。

130年ぶりの復元ということだ。


あわせて、熊本の目抜き通りである通町筋が、初めて歩行者天国になった。


「トランジットモール」と「リーバーウオーク」が熊本市発展のカギとと言う、ボクの持論にやっと一歩近づいたようだ。

これが日常になればいいのだが。

森と水の都。環境都市。

この言葉通りの街になることを願っている。


牛歩の速度で、一時的といえ、それでも少しずつ前進していることは喜ばしい。


誇れる故郷を持ち、そこに住んでいられることにこの上ない幸せを感じる。


週中にでも空いたころを見計らって、熊本城をも一度ユックリ訪れてみよう。

皆さんも是非どうぞ。

内覧会

2008年02月02日 | 町づくり
熊本城・築城400年祭の目玉、

      建築中の 「本丸御殿」 の内覧会があった。

実行委員をやっているボクの元にも招待状が届いた。



当時を細部にわたり復元したという。

玄関に一歩足を踏み入れた途端、 「プーン」とヒノキの香りが一面に漂う。



障壁画・天井画が部屋中に施されている。

「昭君」の間と名づけられている。

  イヤー、圧巻、優美, 幽玄と感嘆の声が並ぶ。


「王昭君」になぞらえたものだ。

楊貴妃らと並んで古代中国の4大美女の一人に数えられるも、出没年不明とされ、その多くは謎に包まれたままの伝説のヒロイン王昭君

彼女の数奇な運命は、その後、数々の伝説となり、いろいろな戯曲、小説のテーマにもなり今日まで語り継がれている。


4月20日が、一般公開の日。

  そのときは、手前の部屋から除き見る格好になり、

  写真撮影は NG となる。

  貴重な一枚だ。