世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

夢とミッション

2016年02月29日 | 100の力
夢は尽きない。

その夢を実現するためにはモチベーションを要する。


単に、世界一周したいナ~、程度の夢では、実現は心もとない。

どうしても実現したい夢なら動機づけが必要となる。

そのモチベーションの下になるのは、ミッションである。


なぜ、その夢を実現させたいのか。

何のため? 誰のため?

実現してどうするの?

何になるのか?

何に役立つのか?


自問してみる。


20年前に、家族4人で400日間かけて世界一周したとき

その意味は何だったのか。


単に、学生時代からの夢を果たしたという以上の意味があったことは言うまでもない。

知らない世界を知ることは、それだけでも見聞を広げるという意味がある。

見分を広げてどうなるの?

などといったヤボな質問は必要なかった。


この10年間、ビジネスを拡張してきた。

金儲け以外のところに意義を見出してきた。

社会起業というスタンスに重きを置いた


根本的問題は、それが受け入れられなかったことだろう。

関わる全ての人が、金儲けということにフォーカスしていた。

金にならないと分かると、潮が引くようにサーッといなくなった。


そして、あらゆる扉が閉ざされてしまった。


そうなってしまった今、

活路をどこに見出せばいいのか。


夢は、自分の考えを発信し、啓蒙(enlightenment)すること。

つまり、灯りをともすこと。

光を与えること。

畢竟、希望と共に生きること。

幸福で平和をもたらすこと。


世界の一人でも多くの人が、

幸福と平和を享受してほしいという願いを込めていた。


今もその願いは変わらない。

特に今、愛する人のためにそうしようという思いが強く沸き上がってきた。


対象を、不特定多数から、ピンポイントで集中することにした。

今こそ頭の切り替えが必要な時。


どうしても叶えたい夢に強いミッションが備わった時、

あとはそれに向けた行動を起こすだけだ。

行動を起こさない限り、

どんな素晴らしい夢でも、ミッションでも絵にかいたモチに過ぎない。

Take action and do action!

2月28日(日)のつぶやき

2016年02月29日 | 100の力

変化への対応

2016年02月28日 | 100の力
        ドゥリーミン カントリー・インAsoにて


人生は流転する。

Life is constantly changing.

昨今はめまぐるしい。


とはいえ、慣れ切った環境を変えるのは難しい。

慣れ切った古い習慣を断ち切るのは至難の業だ。


切羽詰まるか、痛い思いをしないと変われない。

なかなか自ら変わろうとする勇気はわかないものだ。


そんな中、環境がおのずと変わるように変化してきた。

一見不幸に思えることが、

実は幸運へのプロセスだったりすることはよくあることだ。


あらゆるものが同時進行で瓦解していく。

自分の身に何が起きているのか、一瞬うろたえた。

しかし、冷静になって考えてみると、

結局は心の中で望んでいたことだった。


人生には流れがある。

どんなに順風満帆に見えても、どこかに無理が生じる場合がある。

だが、一定の流れの中で断ち切ることができない。

しがらみや、面子、恩や義理、人情といったものが蠢き、自らを縛る。

自ら幕を引くことは憚られる。

自らを鼓舞し、無理に無理を重ねる。


それが、ある時を境に一気に崩れ落ちる。

健康を害することもあるだろう。


だが、どういうわけか外部の圧力で道を絶たれた。

これを幸運と呼ばずに何と呼ぶだろうか。

正直肩の荷が下りた。


やりたいと思ったことが、いつの日にか重荷になっていたのかもしれない。

それを夢と言い聞かせつつがむしゃらに突き進んできた。

砂上の楼閣だった。

もろくも崩れ落ちた。


変化を受け入れることも大事だが、

自ら変化していくことのほうがもっと大事だと気づかされる。


変化と飛躍は表裏一体。

変化に気付き、恐れず、嫌がらず

素直に受け入れたとき、新しい自分が見えてくる。


そうだ、もう一度田舎暮らしへ戻ろう。

そして、そこから新たな世界への飛躍の策を練り直そう。

そう思った早春の日だった。

2月27日(土)のつぶやき

2016年02月28日 | 100の力

地球がステージ

2016年02月27日 | 100の力
Ride on stage.

人はすべて人生というステージの上に立っている。


       迫(せり)舞台の上で

そして、一人一人が主役のドラマを演じている。

とはいえ、実際は脇役だったり、エキストラだったりするかもしれない。


そのスクリプトは、

自分が書くか、人の書いたものに乗っかるか。


いずれにせよ、台本通りにいかないのが人生。

時に書き直し、アドリブを入れる。


それを自由自在にこなすのが人生の妙味。

人の書いたシナリオに従い一生を終えるのもまた人生。


自分で独自に脚色し、様々な問題にぶつかってはまた書き直すのもこれまた人生。



我々人類は、地球という丸くて大きなステージに立っている。

大きすぎてステージ全体を見回すことはできない。

どこが上手で、下手なのかも定かでない。

ただ、幾重もの黒紗(幕)が用意されていて、

回り舞台や迫(せり)といった仕掛けが組み込まれている。


何幕まで演じるかも人それぞれ。

人生30年周期をとれば、平均年齢的に三幕まではあることになる。

中には一幕で終わる人もいるだろう。


地球という大きさのステージの上を、

フルに動く人はまれかもしれない。

ごく一部に限られる場合がほとんどだろう。


だが自分が動くことで、

風景(背景)が変わり、そこに出てくる登場人物も変わっていく。

自分の年齢も変わり、

体力や経験の変化によって演技力も変わる。


旅が、総合学習であるように、

映画や、舞台もまた総合芸術である。

人生は、アートいう位置づけ。

いかに描くか、演じるか。

悲劇にするか、喜劇にするかどうにでもできる自由自在の人生。

シェークスピアは、その両方を描き、自らも演じた。

あやかりたいものだ。


今度の日曜日(日本時間月曜)第88回のアカデミー賞が決まる。

近い将来、自分がそのステージに立つことを想像しながら観よう。

2月26日(金)のつぶやき

2016年02月27日 | 100の力

いい加減ですいません

2016年02月26日 | 100の力
いい加減な人間と几帳面な人がいる。

几帳面な人ほど鬱になりやすい傾向がある。

反対に、いい加減に人ほど鬱になり難い。


経営者にはいい加減な人が多いという。

テキトーな人といってもいいだろう。


そういう経営者は、

几帳面なスタッフを雇うことで、いい加減(テキトー)さを補うことができる。

どんなことでも細大漏らさず、懇切丁寧、完全無欠であることはできない。

(もちろん、肝心なところ、いざというときはシビアであることは言うまでもない)


人生においても、

長い目で見ればこのいい加減さが元気で長生きの秘訣のような気がする。

ただ、いい加減と無責任は峻別しなければならない。


どちらかというと、森を見て木を見ないタイプ。

もちろん、木を見ることも大事であるが、

あまりに枝葉末節にこだわると、むしろ大局を見誤ることになる。

長期視点から捉えた全体最適をつねに考えている必要がある。


鳥瞰して全体を把握することが経営者や指導者、リーダーの役目。

蟻のように地を這い、細部にこだわり、動くのは兵隊であっていい。


もちろん、その両方(実務と経営)を兼ね備えたPlaying managerであることが理想であるが

なかなかそこまで器用で才覚のある逸材はいないだろう。

認知のキャパ的にも、物理的(時間的)にも。


細部にこだわり動かない人間が多い。

条件がすべて揃うまで先延ばしにしたり、

問題や障害が消えてなくなるまで待ち、ついには勝機(商機)を逃したり、

結局やらず仕舞いに終わってしまう。

(そして後で後悔する)


できる人間は、恐怖心がなくなるまで 待つこともない。

なぜなら、成功の秘訣は、「行動を起こすこと」だと知っているからだ。

最初の一歩を踏み出せば、問題は自ずと解決し、能力を発揮できるようになる。

恐怖はじっとしていなければ薄れてくる。

行動を起こし、どんどん進み、慣れてしまえば最初の頃のストレスや困難さは薄れていくものだ。

とにかく第一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。(ジョン・C・マクスウェル)


むしろ、見切り発車がちょうどいい。

それで、失敗もした。

損失もした。

それが何だっていうんだ。

お金には変えられない貴重な体験をした。

それだけでも十分ではないか。

(それに耐えうるメンタルな強さは必要だが)

それを糧に、次なる挑戦に挑む。


凝り性でなく、懲りない男なのだ。

学習を続ける、学習しない男。

それでも確実に成長している。

自己満足でいい。


牛歩の歩みでいいではないか。

人生はゆっくりがいい。

長い人生(これも取り方)、そんななに急いでどこへ行く?


どんなに急いでも、完璧な人生なんかありゃしない。

どんなに長生きしても、すべてをやり遂げることなんかできっこない。


「五十歳、六十歳、花ならつぼみ、七十、八十花盛り、

九十なってお迎え来たら百まで待てと追い返せ」  嘉納愛子(声楽家/107歳)

これでいけば、まだ蕾。

これから花盛りを迎える。


物事や人間を、

悪くとれば悪くなり、

良くとれば良くなる。

要は、取り方、考え方。

相手を批判し、責任転嫁しても何も進展しない。


おかげで(?)、2度3度と事業に失敗した。

それは、それだけ事業を興したからだ。

2度、結婚生活に失敗した。

それは2度も結婚できたからだ。

結果、子供も、孫も残した。


幸せを感じるには、不幸を知らなければならない。

甘い蜜の味が分かるのは、辛さや苦さを味わっているからだ。


自己弁護を兼ねて書いてみた(懲りない男)。


(これだから失敗を繰り返す)



【付録】


「人生は生涯をかけて自分を完成させていく修養の道程」

◆「困難に直面し、身を切られるような思いに悩みつつ、勇気を鼓舞してやってきた。

 崩れそうになる自分を自分で叱りつつ、必死で頑張るうちに、

 知恵才覚というものが必ず、浮かんできた」(松下幸之助)


◆人間は心一つでその運命を高めていくこともできるし、落としていくこともできる存在


「すべての力を出し切る先に道がひらける」

 何が何でもそこへ持っていくぞという信念を持って工夫を凝らせば、

 すべて現実のものになっていく。
 
 右だろうと左だろうと、そこに行きたいと考えて、
 
 そこに行くようにポジティブにポジティブに考えて行動していったら、
 
 結果に繋がっていくもの。

2月25日(木)のつぶやき

2016年02月26日 | 100の力

夜明け前より瑠璃色な-Brighter than dawning blue (18禁) goo.gl/J5ddif


夜明け前より瑠璃色な-Brighter than dawning blue
blog.goo.ne.jp/dreamincountry… @asaykajiさんから



好転反応

2016年02月25日 | 100の力
好転反応(こうてんはんのう)とは、

もともとは東洋医学(按摩や鍼)で使われる用語で、

治療の過程で一時的に起こる身体反応のこと(Wikipedia)


人生にも好転反応がある。

人生を見直し、無駄を省いてより良き人生に修正する過程で

どうしても避けては通れない関所のようなものだ。


好転反応は身体的には

1.傷ついた細胞が新しく生まれ変わる時    

2.体内の有害物質が排出される時    

3.血液やリンパの流れが活発になる時

に現れると言われる。


人生においても、

1.失敗して新しく生まれ変わるとき、

2.ライフスタイルの悪習が排出される時、

3.人やお金の流れが活発になるとき

に、しがらみや不要な人間関係、悪い癖を一旦断ち切らなければならない。


それは、事業の整理、別れ、そして新しいパートナーとの出会いであったりする。


生きていれば、一生の間に病気やけがをしないわけにはいかない。

要は、その程度であり、回復力が問題なのだ。

免疫力、自然治癒力といってもいいかもしれない。


人生に失敗はつきもの。

失敗を恐れていては、何もできない。

失敗したことのない人は、

何も挑戦しなかったに等しい。


正直、病気も怪我もしたくないし、失敗はしたくない。

だが、そうは問屋が卸さないのが現実。


けがの功名というものがある。

失敗や過失、あるいは何気なくしたことなどが、

よい結果をもたらすことのたとえである。


失敗や、病気、けがなどをネガティブにとらず、

あくまでもよくなるための必然的手段としてとらえることが大事である。

より良き次のステップのための飛び板のようなもの。

強く踏み込めばいい。


不幸中の幸いというが、

不幸の中にこそ幸いが潜んでいると思えばいい。

不幸を不幸として悲観し、悲嘆にくれるから

その中に潜む光明に気付かない。


いま、すべてに日の光が差し始めている。

まさに夜明け前の漆黒から、何筋もの光が覗きかけている。

ご来光を拝むときのように、

素直で、謙虚で無垢な気持ちになって

これから昇る陽の光を一心に受け止めるのだ。


好転の兆しが見えてきた。

人生はこれから輝きを放つ。


2月24日(水)のつぶやき

2016年02月25日 | 100の力

成長期

2016年02月24日 | 100の力
「ツライ時、苦しい時、悪い時こそ成長する」


第何次成長期だろうか。

肉体的成長はとうに終わり、

むしろ退化しているというのに。


精神、心の成長は死ぬまで続く。

もちろん、努力次第であるが。


寛容になり、忍耐力、許容力が増す。

怒らなくなる、

憎まなくなる、

妬まなくなる、

待つことができるようになる。


生きる時間が短くなるのに、

気が長くなるのはなぜだろう。


不思議と焦らない。

イライラしない。


けっして何かを諦めたわけではない。

むしろ夢は大きく膨らむばかり。


今起きている諸々の難題を一つずつ処理していけば

さらなる大きな成長ができる。

今まで以上の明るい未来が待っている。


「努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。

多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する」 

と、ヘンリー・フォードはいっている。


努力が報われるまでには時間がかかるのが常だ。

タイムラグがある。

だが、努力は必ず報われる。

信じることだ。

そして、楽しみながら根気よく待つこと。

絶対にできるという確信を持つこと。


成果が出ないからと言って途中で投げ出しては、

それまでの努力さえ水の泡となる。


諦めずに、あーでもない、こーでもないと努力を続けていれば

期待した成果は出なくても、何らかの結果出る。

それは全く違う期待以上の思いがけないものであったりする。


しかも、結果が出る時は、急激である。

突然世の中が変わって見えてくる。


それが成長である。

夢に向かって努力を止めない限り、

人は、死ぬまで成長し続けることができる。

信じて止まない。

2月23日(火)のつぶやき

2016年02月24日 | 100の力

解体

2016年02月23日 | 100の力
Scrap and Build

新しい何かを構築するためには、今あるものを壊さなければならない。


残したままで新しいものを作ろうとするから、

余計なものが増えていく。


性格も、体質もはたまた体制も改善(変革)するためには、

古いものや取り巻く柵(しがらみ)を壊さなければならない。


昨夜は、一階のシャワーブースを解体し

2階のテラスへの移設作業に取り掛かった。


      深夜の作業

これから、スペースづくり、組み立て、配管設備(水、ガス)など

まだまだ作業は続く。


身も心も、そして周囲の環境も一新するためには、

既存のものを壊すことから始めよう。


少しずつ。

焦らず、コツコツと、

ユックリ急ごう。

2月22日(月)のつぶやき

2016年02月23日 | 100の力

想像から創造へ

2016年02月22日 | 100の力
From imagination to creativity and activity

英語劇(Action English)に参加した。


     東京からやってきてくれたAndy

3つの単語を書いた小さな紙を渡された。

その単語を使って、場面を設定し、演じるというもの。


想像を働かせて、状況を作っていく(創造)。

そこに正解はない。

それはパントマイムのようでもあり、

オーディエンスもまた、それが意味するところを想像すして推測る。


最後は、やや長いスクリプトを渡される。

そこでも同じ試みがなされる。


コミュニケーションツールは言葉だけではない。

理解し合うためにはコトバ以外にそれに付随する

・顔の表情だったり

・声のトーンや大きさ

・姿勢やしぐさ

・思いやり、尊敬する心

・違いを認める、否定しない などなどが必要となる。


演劇の視点から、伝え方だったり受け止め方だったりを教えてくれた。

英語漬けの一日は、脳の活性化にも役立つ。





新しいことへの挑戦は、脳が大好きなドーパミンを放出する。

感動や好奇心が促すのだ。


ドーパミンは脳の回路を活発にして、老化防止にも役立つ。


ただし、

新しいことへの挑戦は、失敗のリスクを同時に伴うことを意味する。


ここにはセーフティーネットが必要となる。

失敗してもひどいことにならないという安全網のようなもの。

それは、家族であったり、友人であったり、愛する人である。


幸いボクにはそれがある。