世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

学びの旅

2021年03月30日 | 


岐阜に、三日間滞在した。


2度目だが、

前回同様、友人がいろんな処へ案内してくれ

何から何まですっかりお世話になった。




岐阜と言えば、

戦国時代の舞台。



岐阜城の斎藤道三、

ボクの大好きな織田信長のお墓(崇福寺)




    (信長、信忠父子の廟所 )



           (位牌堂)







そして、

関ケ原、徳川家康。



   (まさにここが天下分け目の決戦の地)



     (関ケ原の女武将隊)




歴史の勉強に限らず、

現場に行くことで

それは脳裏に焼き付く。


歴史を訪ねる旅が好きだ。







ツリーハウスに泊まりませんか

2020年08月06日 | 
暑い日が続きますね。


暑い中、マスクをすれば熱中症の危険があります。


でも、ここは地上8mの別天地

マスクはいらないし、

朝晩は寒いくらい。


バンブーツリーハウス "Owl Cabin" は宿泊施設として正式登録しました。



定員は2~3名です。


一人一泊2000円(平日料金)~です。

小学生は半額。
幼児無料。






併せて 車中泊、テント持参も出来ます。


トイレ、洗面所、シャワーは別棟の共有スペースがご利用になれます。


夏休み、

森の中で、木の上で過ごしませんか!?


瞑想教室もしていますよ。










宿泊施設として

天草の旅

2020年07月31日 | 
幼少のころから、

中高生時代を通じて

海水浴やキャンプと言えば天草だった。


山は阿蘇、

海は天草と言われるほど

熊本は風光明媚で山紫水明に恵まれている。



数十年ぶりの

天草周遊の旅を堪能した。



天草と言えば、

言うまでもなく

天草四郎、隠れキリシタンの歴史が眠る。


世界遺産になった教会も久しぶりに訪れた。


     (大江天主堂)



     (海辺の崎津教会)


      (中は、珍しい畳敷きだ)


        (世界遺産の崎津集落)

一昨日は

気の置けない友人夫妻と

温泉宿で伊勢海老尽くしの料理に舌鼓を打ちながら、

酒を酌み交わした。





天草には4~5人の友人が住んでいる。


そのうちの2か所を訪ね、

旧交を温めることができた。



海で泳ぎ、

地元料理を心ゆくまで堪能し、

お天気にも恵まれた贅沢な素晴らしい旅だった。



パートナーと、

友人たちの、

愛と友情、

及び、

自然の恵みに感謝。







海外より海岸

2020年07月30日 | 
業を煮やして海に来た。




ここは西海岸。

といっても、

熊本県、天草の下田温泉です。


梅雨も明け?夏空の下、

久しぶりの海でひと泳ぎ。




やっぱり海は良い!

旅は良い!!


ゆったり、温泉に浸かり、

夕食も伊勢海老尽くしで、大満足!



友人夫婦と痛飲した。



今から、

ぐるり天草を回り、

友人家族を訪ねる。





今こそ旅をしよう!

2020年05月09日 | 
「世界一周タビスト」である。


ただただ、

好きなことをやって生きてきた。

今も、これからも。


       (2階部分の床根太を敷いている)


そして、それ(好きなこと)は終始一貫ブレない。


それは、一言でいえば、

「旅」である。


旅とは?

これも、一言でいえば、

「違った景色を見ること」といえる。


動けば、いろんな景色が見えてくる。

ココロの景色も。


行動に移せば、

周りの景色を変えることができる。


発信(発言)すれば、

人の心さえ動かすことができる。


そして、何より自分も変化(進化・成長)する。


そう、

旅とは、畢竟

変化することである。


それには、

挑戦し続けなければならない。

安住してはいけない。


        (月とツリーハウスと)


移動距離の問題ではない。


今、海外には行けないし、

国内も動きづらい。


だけど、

身の周り、

考え方に変化をもたらすことは出来る。


それこそが旅の目的なのだから。


そうして今も旅を続け、

環境も

自分自身も変化し続けている。



【追記】


旅のモチベーション、3K


好奇心

向上心

向学心


旅がもたらす、3K


感動

感激

感謝














疎開地

2019年07月13日 | 
ゆったり、のんびり、

ビーチリゾートのフーコックアイランドから

またまた喧騒とカオスの街、ハノイに帰ってきた。


         (早速行きつけのマッサージ屋さんへ)


そして、帰国の日が明日に迫っている。



たまたまだが、

熊本に大雨警報で避難勧告が出た6月30日、

豪雨の中やっとの思いでベトナムのハノイに着いた。


それから4~5日

九州各地で大雨が続いたそうな。

(大した被害が出なくてよかった)



その間のハノイに来て約10日間、、

雨が降ったのは一日だけで

あとは晴天が続いている。


気温も高いが、九州とほぼ変わらない。


そして昨日までいたフーコック島でも、

幸運にも5日間、毎日晴天続きだった。



雨期だというのに。

「晴れ男」の面目躍如といったところだ。


ベトナム来たのは、

別に九州の今回の大雨を避けて意図して来たわけではない。

まあ、6月から7月にかけての梅雨時には

日本にいないことが多いのだが。

(二年前は、沖縄にしばらく滞在していたが)



日本では、

今後も何が起きるかわからない。

(いや、必ず何かが起きる)

だから、

いざというときの疎開場所を決めておくとよい。


国内はもちろん、

海外にも。


3年前の熊本大地震の後、

避難場所での車中泊から、

一旦福岡に疎開し、

丁度この時期もベトナムにいた。



なぜか落ち着く。

と思ったら、

その理由が分かった。



九星気学で言えばボクは「七赤金星」である。

「七赤金星」は、

「湖」が象徴する特性を持つ。

自然界では沢の意味がある。


沢は水が集まり出来るもので「湖」 、「沼」、「湿地」などをあらわし

湖や沢を好むと言われる。


ハノイは漢字で「河内」と書く。

文字通り、

池や湖、沼、湿地が多い。


          (田園が広がるハノイの風景)

そしてボクは必ず旧市街のホエンキエム湖畔に宿をとる。

なぜか引き寄せられるように。

きっと波動が合うのだ。



ボクの住んでいる日本の阿蘇の地にも、

木・火・土・金・水と言われる

中国4000年の五行思想が揃っている

パワースポットである。


これも偶然の成り行き、

というより、

必然的引き寄せの賜物と思っている。


地震、台風、大雨の時の

防災グッズの常備は当然として、

何か有事の時のこうした疎開場所も決めておくといい。


強運を味方につけるのは

こうして動くことだ。


チャンスは必ず来る。

そのことを信じて、日々精進し、

諦めずに努力を続けること。


そして、

いざチャンスが来た時に見逃さないこと。

(絶好球を見逃し三振するな)








夏・海・恋

2019年07月11日 | 
ギラギラと輝く太陽の下、

思いっきり弾(はじ)けよう!




夏が好きだ。

海はいい!

恋はもっといい!!


一足早く、

海でひと夏の恋を満喫。






ここは夏、真っ盛り、

恋も真っさかり。


貝は選り取り見取り、食べ放題。

(他意はありません)




周りは海だらけ。

(島だけに)



陸(おか)釣りに飽きたら、

たまには海釣りも楽しい。



砂浜のブランコもね。


        (童心に返って)


この夏は、

嫌なことも、歳も

みーんな忘れて大いに楽しもう!










Phu Quoc Island (フーコック島)

2019年07月09日 | 
海からいきなり滑走路へとスムーズなランディングで

飛行機はフーコック国際空港に到着した。

インド洋に浮かぶモルジブの時と同じように。


そこはベトナム最後の秘境と言われる長閑なビーチリゾート。

南シナ海へと続くタイランド湾に浮かぶベトナム最大の島だ。


ハワイの気候とプーケットのリゾート感を併せ持っている。


そもそもべトナムは南北に縦長い国であり、

東は海に面し、西側は山に囲まれているため、

フーコックは綺麗な夕陽がみられるベトナムでも稀有な場所として知られる。



北側はすぐそこにカンボジアがある。


島の見どころは満載だが、

何といってもホテルステイでのんびり過ごすのがいい。




それだけにリゾート感あふれるホテルを選んだ。




と言っても、ここは物価の安いベトナム。

朝食付きで一泊3000円しない価格で泊まれる。

(だからlong stayができる)


昨日は夕方着いたので

ちょっとビーチを散策して

瞑想を行った。




周りにはおしゃれなレストランやバー、スパが並んでいて、

花々とともに目を楽しませてくれる。






今回の旅もちょうど中盤を過ぎたところだ。



旅の疲れもたまっているので

今日は一日SPAでノンビルするのいいかもしれない。








ハノイ最後の夜は

2019年07月08日 | 
ハノイに来て8日間があっという間に過ぎた。


11年前に、JICAで初めてハノイに来た時

当時のベトナム人の彼女は

いつもボクをバイクの後ろに乗せて

どこでも連れて行ってくれた。


その時、

これは「ローマの休日」の逆バージョンだと思った。

だが、その時の彼女のバイクは、

ホンダだった。


今回は

"VESPA".

映画さながらのシーンを彷彿とさせられる。

(最近PiaggioのVESPAが流行っている)



彼女の柔らかい腰に手を回すの好きだ。

それに、

心地よい風が甘い髪の匂いを運んできてボクの鼻腔をくすぐる。


初めて彼女の家まで行った。



そこからハノイで最も美しい湖と言われる

Ho Tay(西湖)をドライブ。




途中買い物をしながら

ビュッヘスタイルのレストランで食事。


       (日曜の夜はにぎわっていた)


      (生演奏も楽しめる)


ハノイ最後の夜は

彼女とともに過ごした

♬もう一つの日曜日(^^♪だった。








スッポン

2019年07月05日 | 
一昨日のヤギに続いて

昨日はすっぽん料理を戴いた。

(どんだけ精力つけるんねん)


     量り売り(約2K)



ベトナムは中国と同じく、

なんでも食べる。

美食家ならぬ雑食家としては、

嬉しいかぎり。



スッポンは

コラーゲンたっぷり。


        唐揚げ


       鍋料理


40度のウオッカで割った生き血を一気飲み。



緑色は胃液?






この有り余る精力をどう処理しよう?






そうだ病院へ行こう!

2019年07月04日 | 
普段はほとんど病院へは行かない。

薬も飲まない。

その分、時間やお金が節約できる。


ベトナムにスゴイ日本人がいると聞いた。

「ベトナムの赤ひげ眼科医」と呼ばれる服部匡志(ただし)氏。

ベトナムで無償の医療活動を続けて10年。

ベトナム人から絶大なる信頼を受けている。


彼はベトナムのみならず、

広く東南アジア、キューバ、さらには熊本の眼科にも携わっていたことがある。


その先生の眼科医院が近くにあったので見に行った。



(かなりのベトナム人の患者さんが来ていた)


せっかくだから、

ついでに診察も受けることにした。


普段パソコンやスマホばかり見ているので

目が疲れ気味。

(普段は「アトミのルテイン」を服用している)


一応、目がかゆいという症状で検診を受けた。




ハノイの埃による軽度の結膜炎でしょうということで

目薬を処方してもらった。



(左は、ロシア製の人口涙液で
右は、アイルランド製の抗アレルギーの点眼液)


白内障は大丈夫らしい。



海外で病院に行くのは

社会見学を兼ねて。


時間があるとき。

それに保険(海外旅行保険)があるからキャッシュレスだし。


海外に長期滞在する時は、

病院も慣れておかないとね。


International Hospitalだが、

結構ベトナムの医療水準は高いようだ。


いろんな局面からその国を知るのは重要なことだ。



「暮らすように旅をし、

旅しているように暮らす」 -Asay-



【補足】


服部匡志(ただし)氏の経歴


 1993年に京都府立大学医学部を卒業後、大阪・京都・熊本・福岡・静岡など日本各地の病院にて、その経験と眼科医としても研鑽を積み上げていき、網膜硝子体手術分野では日本のトップレベルの技術を持つと言われている。

 氏がベトナムに渡航するきっかけは、2001年10月、母校・京都府立医科大学で開催された「臨床眼科学会」でベトナム人医師と出会ったことである。そのベトナム人医師は、眼科医師として高い評価が認められる氏に対し「ベトナムでは、多くの患者が治療を受けられずに失明している。あなたのその技術でどうか救ってほしい」と懇願され、氏は「長い人生には、そんな時代があってもいいか」と気楽な気持ちで勤務していた病院を辞め、当初3ヶ月間のボランティアの予定で単身ベトナムに渡ったという。

 しかし、最初のベトナムでの経験は、けっして順調ではなかったという。現地の医療状況は想像以上にひどく、医療器材も不足、日本でなら助かるのが助けることができない。多くの患者が助けを求めているのにどうしようもできない自分の無力さを痛感したという。更に、個人的な活動として、公的支援が得られず、自らの貯金約500万円をつぎ込み眼内内視鏡やレーザーなどの最新の医療機器を日本からベトナムに持ち込み本格的な眼科治療を開始した。また、同氏の患者重視の考え方はなかなか受け入れられず、当時のベトナム国立眼科病院は、急患の有無に関わらず手術は午前中のみであった。しかし、同氏は、一台しかない手術台を午後も使えるように申請し、更に他の新しいことも教育・指導を施し、その改革に3ヶ月もの努力を要したと言われる。「患者を自分の家族と思い、患者の立場にたった医療を」という同氏の誠実な言葉は、家族を最も大切にするベトナム人の心を捕らえ、徐々に受け入れられていったという。

 爾来、ベトナムでのボランティア治療は6年近くも経過したが、この間、毎年、増殖性硝子体網膜症や白内障などの手術を1000件近く実施、これまでに失明から救われた人たちの数は6000人以上に上るという。国立眼科病院は、手術1件につき1ドルの手当を支払っていたが、氏は、患者のあまりの貧しさにこの手当を治療費が払えない人たちの治療代にあてている。それでも支払えない人たちには、出会いの運命を胸に、失明の放置はできないとして自ら治療費を肩代わりすることもしばしばあるという。
また、現地での活動を通して、貧困者は眼が悪くなっても病院に来ることさえ難しい状況にあることを知り、自ら医療機器や眼内レンズなどを持って地方を回り、無償で白内障手術を実施している。こうした巡回治療を受け救われた患者数は、2000人以上に上るといわれる。
 
 さらに一人で孤軍奮闘しても治療できる患者の数には限界があるため、自分と同じように手術が出来る医師の養成にも取り組みこれまで30人以上の医師を育てている。また、金銭を受け取らずどんな相手でも心血を注いで治療を続ける同氏の姿に、以前は時間が来ればどんなに緊急の患者がいても診療をやめてしまうのが普通だった現地スタッフの間にも何とか患者を救おうという意識が芽生えて来たという。

 しかし、同氏の活動は、JICAなどの日本政府による公的な技術援助活動ではないため公的な支援を受けるのが難しいのが実情である。
2003年8月、読売新聞アジア版が氏の活動を紹介。この記事を読んだ服部則夫・在ベトナム大使の尽力で、同国への医療器材の支援が実施され、1年に1地域ずつ、これまでに3地域で実施されている。しかし、氏自身はベトナムでは収入がなく、現在は定期的に帰国してスポット勤務医師として資金を工面、ベトナムと日本の二重生活で奮闘しているという。

 2004年5月には、町村外務大臣より、ベトナムの医療技術の向上のみならず、日本とベトナムの草の根レベルでの相互理解と、友好関係の促進とその功績が讃えられ、感謝状が贈呈されている。また、ベトナム政府・保健省・各地の省からも氏の献身的な医療技術の教育・指導と、貧困地域における無償の白内障手術の付与は高く評価・感謝され、多くの賞や感謝状が授与されている。また、関係医療機器提供会社も氏の献身的活動を評価し、氏の活動を通じて提供された医療機材・器具は非常に多く多岐にわたっているという。このように、同氏の物心ともにもたらしたベトナムへの眼科医療の貢献は、広く深くわが国とベトナムとの友好増進に寄与しているといえる。
また、同氏の活動は、貧困地域への無償白内障手術の供与や眼科医療技術の教育・指導など、その活動暦にも明らかなように周辺国であるタイ・ライス・インドネシアにまで及び、東南アジア諸国の人々への献身的な草の根医療分野の「目に見える貢献」という国際交流活動として高く評価されている。

 「いい年をして、ベトナムでボランティアなんて」と揶揄されることもあったといわれるが、氏は「眼科医として、これからもひとりでも多くの人の眼に光が差し、生きる喜びを取り戻せるように活動を続けたい」と話している。

 そして、今後、さらにこうした日本とベトナムとの関係を発展させるため、あらゆる枠を越えた眼科センターをベトナムにつくりたいと抱負を抱いていると言われる。そこには、ベトナム以外のラオス、カンボジア、ミャンマーなどからも研修医師を受け入れ、そこで学んだ医師たちが自国に帰り困っている人々のために力を尽くす。そんなシステムを作りたいとの夢を持っているという。







旅は裏切らない

2019年07月03日 | 
何度訪れても、

どれだけ滞在しても

ボクを飽きさせない街が

世界に二か所ある。


一つは、

ニューヨーク。


そして、もう一つが

ここ、ハノイだ。


だが、その圧倒的違いは、

物価にある。


ベトナムは、

何もかも物価が安い。


ホテルも、

食べ物も飲み物も、

交通手段も。

とにかくコストパフォーマンスが良すぎる。




ここ3つ星ホテルでも、

ビュッヘスタイルの朝食付きで

一泊、なんと、

1800円。

だからこうしていつも長く滞在できる。


それに、人が実に陽気でいい。

ボクの大好きなラテン気質なのだ。


カメラを向けてもほとんど嫌がらない。

むしろ、ポーズをとってくれるほど。


日本より小さな国なのに、

人口は一億人に迫ろうとしている。


マーケットとしてのスケールメリットがある。


ビジネスのネタがそこら中にあるのも嬉しい。

若いのに、

ベンチャー意識が高いのも嬉しい。


ただし、不思議と

移住しようとは思わない。


そもそも放浪癖があるから。

一か所に定住できないんだよね。


困ったものだ。



【追記】


今回の旅の目的はいろいろある。


愛する人に酷い裏切られかたをした傷を癒す傷心旅行のつもりだった。

裏を返せば、

彼女、ひいては奥さん探しの旅かもしれない。


他人は、

「何しに行くの?」

と目的を聞くけれど、

そんなのいちいち理由付けしなくてもいい。


行きたいから、行く。

ただそれだけ。


行ってみれば分かることもたくさんある。

あとで、

あー、自分はこのためにここへ来たのだと、

気付かされることはよくあることだ。


考えて行動するより、

とりあえず動いてから、

後で考える典型的タイプ。


このブログのタイトるにあるように、

「人生の全てを旅が教えてくれる」から。


人には、特に女には散々裏切られた。

(占い師を名乗る魔女は最悪だった)


だが、

今まで旅に裏切られたことはない。


だから、

これからも、旅を続ける。

そして、

もっともっといろんなことを体験し、

学び、成長に繋げていく。



ところで、

昨日は面白い子に出会った。

今までにないタイプだ。


まだ海のものとも、山のものともわからないが、

「縁」というものを信じて無理せず歩んでいこう。


また裏切られることを覚悟しつつ。

(ここは学習しないし、成長しないな <;^_^A>)


ま、すべては自己責任(自業自得)だし、

いつまでも初心(うぶ)であることも良しとしなければ。


よく言えば、

素直、謙虚。

はっきりいえば、

バカなんですよ、いつまでも。

(そこが若さと元氣の秘訣なのだが)


ただ、

どんな状況になっても

「人生を楽しむ」
ことができるのが救い(特技)かも。


そして、

それこそが「旅の醍醐味」、

「タビスト冥利に尽きる」といえるのです。


「旅は楽し、
人生もまた然り」
-Asay-


「旅をしないから、ウツになるんだよ」 -Asay-











ボクが動けば歴史が動く

2019年07月02日 | 
昨日午前中、ある実習生送り出し機関を訪問した。



その時、

激論?を交わした。

「<特定技能>はまだ制度化されておりません」

「サービス業にも外国人労働者を送り込みます」




同じ時刻、

ボクと入れ替わりに日本を公式訪問しているベトナムのフック首相と安倍総理大臣は、

「特定技能」に関する二国間協定の覚書に調印をしていた。



夕方には、話しは180度転換した。

「特定技能」進めましょう、と。

山が動いたのだ。



タビスト冥利に尽きる。


  (影の外交官?)


現状に甘んじることなく

二手、三手を読んで動く、

というのがボクの信条である。


いわゆる、「先見の明」だ。


ガンジーは云う。

「正しいと信ずることを行いなさい。

結果がどう出るにせよ、

何もしなければ何の結果もないのだ」と。


「直感」に従って動く。

そして、

「気概」と「信念」を持って動く。


「感性は旅によって磨かれる」 -Asay-





あー、スリランカ

2019年04月24日 | 
またショッキングな事件が世界で起きた。


スリランカは、

ボクの好きな国の一つだ。

何度でも訪れたいと思っていた。


          (世界遺産シーギリア)


瞑想修業が最大の目的ではあるが、





アーユルベーダーも楽しみの一つだ。


       (マッパになって)


そんな国で

何と同時多発爆弾テロが起き、

300人以上もの死者が出た。


1980年代からの内戦も収まり、

安全な国になっていた。

(だから訪れたのだが)


もうしばらくは行けない。


友人がコロンボにいる。

メッセージでチャットをした。



彼女は無事だったが、

すぐ近くで爆発したらしい。


夜間外出禁止令が出ており、

令状なしで拘束される。


日本も他人ごとではなくなる日が来るのだろうか。










髭とタトゥーとサングラス

2018年11月20日 | 
旅先では、髭を伸ばすことが多い。

そもそも、長年、髭男であった。

田舎暮らしだったこともあって。


髭と田舎(自然)、

髭と海外は、

どこかしっくりくる、と

勝手に考えている。



洗礼された?都会では、

どことなく胡散臭く写ってしまう。


今年になって、

両腕にタトゥーを入れた。

(ホーチミンで)


日本ではまだヤクザ視されることが多いが、

海外では、当たり前化している。

(温泉には入りにくくなったが)


サングラスを多用し、

タトゥーを入れ、

髭を蓄えるのは、

ある意味、威嚇になる、のではと感じている。




海外では日本人はナメられやすい。

吹っ掛けられたり、ボラれたりと。


なめんじゃねーよ、という一種の意思表示。

(フィリピンでは奏効した)


牽制する意味でも、

それなりに効果があるように感じる。


もちろん、

言動に於いて

毅然たる態度は不可欠だ。



【追記】

つい数日前、

マレーシアで、6才の日本人の子供が

連れ去られそうになる事件があった。
 
幸い事なきを得たが、

現地の警察も大使館も当てにはならない。


ボク自身も

4才、10才の子を連れて

世界を旅した経験を持つので

よく分かる。


マレーシアは

海外移住で人気の国。

イスラム教徒が大半で

中国系も多い。


今後、日本に於いても、

十分起こりうる。


自分や家族、愛する人は

自分が守らなければならない。