世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

夢はいくつからでも現実化する!

2020年05月20日 | 
拙著『老春時代』のタイトル

「夢は60歳から現実化する」だが、

「夢はいくつからでも現実化する」と改めたい。


人は本気になったとき、

自分でも思いもよらなかった力を発揮する。


       (少しずつ家の形が出来上がっていく)


いわゆる「かじ場のバカ力」である。


文字通り、

バカにならなければならない。


いや、

本気とバカはセットである。




というわけで、

ツリーハウス創りも

いよいよ佳境に入る。


ここからが大変。


これまで以上に危険も伴う。

だが、

これからが腕の見せ所だ。


文字通り、足場を固めつつ

慎重に作業を進めていく。


コツコツと、

しかし確実に形は出来上がっていく。



ところで、

もう読みましたか!?


       <かじえいせい著 クローバー出版 1540円(税込み)>

これを読めば、

アフターコロナの生き方が分かる!!



【Asay-go -Rock】

人生は挑戦である。


挑戦とは、

自分の可能性を広げることである。


挑戦し続ける限り、

人は老いることを知らない。


反対に、

何も挑戦しようとしない人は、

急速に老いていく。













性愛を描いたら天下一品

2014年05月06日 | 
ボクの好きな作家が二人いる。


一人は五木寛之であり、

もうひとりが、渡辺淳一だ。


渡辺淳一は80歳でこの世を去った。



彼の性愛の描写が好きだ。

彼の小説は、彼の生き様そのものだった。


彼は医師でありながら小説を書き、

それがアダで医学会を去り、小説家になった異色の人だ。


当初は医学小説が多かったが

徐々に伝記や歴史モノに姿を変えていった。


そうしていつの日にか男女の性愛を描くようになった。


激しい不倫愛を描いた「失楽園」はあまりにも有名である。


彼の独自の恋愛論は、

生と死を生涯追究した作家がたどり着いた人間賛歌だった。


「小説を書くときは自らその場に行って、見て、体験しないとだめ」

と語り、恋愛小説にも女性たちと自身との体験が投影されていた。



彼の言動はボクに多大の影響を与えている。


女を抱かなければ、女は描けない。


彼の純愛とは、

男女は激しい愛におぼれ、理性をなくし、家庭を壊して、体も命も投げ出すものであり、

愛を燃えあがらせる障壁は不倫であり、幸せの頂点は死であったようだ。


ある女性から

「あんたみたいな男は最低、犬か豚以下だ」とののしられたというが、

それこそ男冥利に尽きる。


ボクも「サイテー(Suck!)」と何度言われたことか。


だが、晩年は男の孤独や高齢者の性を描いている。

誰しもが通る道である。


彼のように人生を謳歌し、全うしたいものだ。


ご冥福をお祈りします。

RIP(Rest in Peace)


といっても、天国で女をはべらせて遊んでいるだろうな。


(㊟ 一部朝日新聞の記事から抜粋)




【追記】

独白。


ボクもそろそろ作家としての道を歩もうか。

あまりゆっくりしてはいられない。


【蛇足】

だからといって、官能小説家になるわけではない。

それには圧倒的に経験不足、いや、ホント。



【蛇足2】

ボクのある作品を投稿したら、

卑猥な部分があると削除されてしまった経歴がある。


性描写は難しい。


渡辺淳一を師と崇め、性描写を真似てみたが、

足元にも及ばないのは言うまでもない。


真正面から性と愛を描くには、まだまだ修行が足りないということだろう。

もっと女を抱かなければ。joke!

クアラルンプール

2012年12月04日 | 
さてどこから歩き始めようか。

見るだけの観光はもう飽き飽きした。


名所旧跡やランドマークを回るのは疲れるだけだ。

観て食べてショッピング。


観光の定番だ。

スポーツや観劇、鑑賞ならまだいい。

ただ、モット人の暮らしが知りたい。


何も考え、どんな暮らしを営んでいるのか。

一辺倒の観光だけでは見えてこない。

ありきたりのツアーで回る観光旅行は

その国の表面をなぞるだけだ。

いいとこどりだけに終わってしまう。


―――――――――――――――――――――

幸か不幸は、ボクが取ったホテルはどうやら町の中心地から10キロ以上離れているらしい。

地図も何もないから、まず自分が何処にいるのかさえ分からない。

ホテルのフロントでも、なかなか詳しくは教えてくれない。

というか、知らないらしい。


何処へ行くのでもタクシーで行けという。

その値段も物価に比べて法外に高い。



ネットで見ると、観るべきところは数カ所に点在しているようだ。

クアラルンプールや世界一高いツインタワーはランドマークとして有名だ。

双方とも、景色はいいが、入場料が高い。


タクシーでの移動を余儀なくされる。

モスク(イスラム寺院)も、服装にうるさい。

トルコで経験済みだ。

短パン、ノースリーブでは入れてくれない。

腰に巻く布は貸してくれるが。


――――――――――――――――――――

いろいろ模索した結果、とりあえずチャイナタウンにまず行くことにした。


昨夜までの雨は上がり、晴れている。


バスで街まで出よう。



3リンギ(80円)

50分ほどかかってチャイナタウンに到着。





お土産屋が多い。

タトゥーの店もやたらとある。




こんな衣装も売っている。




イスラムの女性は、一般にブルカ(国によって呼び名は違う)と呼ばれる衣装を身に着けている。

イスラム教の聖典クルアーンにより、

顔と手以外を隠し、近親者以外には目立たないようにしなけらばならない。

だから一般に頭をふくめた体を隠す服装をすることが多い。


その反動か、下着やこういったセクシーなものを中に纏うのだろうか。

チョッと、ゾクゾクする。


誰か欲しい人、お土産に買って帰りますよ。


   その代り着て見せてネ。



裏手の食堂でタイ料理を注文。


    6リンギ(160円) から~い!






トイレは有料。


  10円ほど





それからテクテク歩いて



クアラルンプール発祥の地に建っている市内最古のモスク、マスジッド・ジャメ(Masjid Jamek)と

ムルデカ・スクエア(Merdeka Square/独立広場)へ。



――――――――――――――――――――――

一通り見たら、プトラLRT(Putra LRT)という電車で移動。





   自動券売機でトークンを買う。


    大体50円くらい








KLCCへ出るところが、間違えてKLセントラルへ。



マ、それはそれでイイ。

これが旅の醍醐味だから。



改めて電車でKLCCへ。

クアラルンプールのランドマークであるペトロナスツインタワーの下にある



巨大なショッピングモール・スリアKLCCへ吸い込まれるように入った。





伊勢丹もユニクロも紀伊国屋もある。



さて、ここからタクシーを拾ってブキッ・ビンタンへ行くのだが、

ここからが一波乱。


この辺りは、レストラン、カフェやバーが立ち並び観光客で一日中賑わっているエリアだ。

中でもジャラン・ブキッ・ビンタン(Jalan Bukit Bintang)は、あちらこちらにマッサージ店が。


まず、タクシーの運転主と値段交渉。

大幅に吹っかけられる。


半分に値切って(500円ほど)あっさり交渉成立。

それでも彼らには美味しい料金なのだ。


ところがところが、

「マッサージならいい店がありますよ、旦那」 とニヤリ。



この続きはまた明日。
















ボクの読書術

2012年08月11日 | 
本の書評を読むのが好きだ。


結構内容の本質に触れていてそれだけでも面白い。





読書は学生時代から嫌いだった。

じっと座って読む作業が苦痛だったのだ。


ある意味多動性障害かもしれない。

旅好きがそれを物語る。




本は買えば荷物が多くなるだけだ。

電子書籍もなんだかかったるい。


書評と目次で内容を推測するだけで十分。



最低週一回以上は書店に立ち寄る。

気になった本はそこで立ち読みする。


ナンチャッテ速読で一冊を読み切ることだってある。




amazonには「なか身検索」などがあったりして

さわりだけでも読むことができる。


それだけで十分と思わせる本が巷にあふれている。


―――――――――――――――――――――――――


今の世は

金をかけようと思えばいくらでもかけられるが、

反対に、ただで済ませようと思えばこれまた可能な時代である。


発想と工夫で世渡りができる、便利な時代ののだ。



浅く広くの時代。

深入りするとロクなことにはならない。


さわりだけで後の内容は想像できる。


おさわりもそう。

深入りすると命取りになることだってある。


度が過ぎると犯罪になる。


あくまでも想像力を働かせよう。

ブログの作法

2012年02月27日 | 
ブロガーである。



ブログの

メインテーマは


『旅』 であるが、




ボクにとって


旅が暮らし であり、


暮らしが旅 であるからして




その内容は


暮らし全般にわたる。






すなわち



生きざまとなって


ブログ上に登場する。






それでいて


ときに


小説家を気取るものだから



あることないこと


書き連ねてしまう。






先日


ブログが炎上しかかった。





人様のことを書くときは



特に


プライバシーに気を使うものだが





なにせ


狭い世の中である。




自ずとバレてしまうときもある。






そんな時は


避難轟々となるが



削除するか



お許し願うほかはない。








綺麗ごとや



強がりばかりを



書き連ねようという考えは



さらさらない。







ときに



泥臭く、



生々しくなるのも



致し方ない。







そのぶん



ボクのプライバシーはもちろん



人間性が



そのまま出てしまうことになる。







それを覚悟で書くのが



ブログであると


ボクは認識している。






つまり


私生活のガラス張りであり




ヌードを人前にさらすわけである。





不快に思う人は


読まなければいいだけの話だ。







そもそも


サブタイトルにあるように



ばらばらに暮らす3人の子供たちを



念頭に書いているものであるからして、





「オヤジ、何やってんだよ」


と言われる場面も多々である。





それを


他人(ひと)さまに



お読みいただくわけだから



見苦しいこと極まりないことは



百も承知だ。。








それでも


書きたい、



書かなければという



衝動が


ボクの手を動かす。






基本的に


朝のあわただしい中を縫って



書き上げてるわけで、




推敲もおろか


舌足らずな面は否めない。






毎度


つたない文、


内容であるが




これからも


お付き合いを願えれば


本望であり




ブロガー冥利に尽きる。




そこんとこ



ヨ・ロ・シ・ク。

性的描写

2012年02月25日 | 
昨日のブログは


かなり

顰蹙(ひんしゅく)を買ったようだ。




ボクの人格を疑った人もいただろう。




それはそれで

致し方ない。





とくに

言い訳はしない。


(といいいながら

これからの書くことは


かなり

言い訳じみているのだが)








ほとんどの小説家は


性的描写を


如何に上手く文章で表現するかを



常に考えているのではないだろうか。





いや

それに尽きると


いっても言い過ぎでなない


ような気がする。







小説家に限らず、


映画の世界もそうだし、



ほとんどの

アーティストは




それぞれの分野で


エロスの世界を

いかに表現するかに



工面しているように思われて仕方がない。






枚挙にいとまはないが



渡辺淳一や

大島渚


を思い浮かべれば

分かると思う。





それが

日常



他人(ひと)には


見せられない


甘味な世界であれば


なおさらのことだ。







映画は

視覚に直接訴えるだけに


上映禁止などの

問題を引き起こす。




今は

R18などの

制限を加えることで


あるていど逃げることはできるが。






ボクはまだ


小説家ではないが

(未発表の小説作品を

2点もってはいるものの)




一応


これでも物書きの端くれである。




少なくとも


ブロガーであることは



自他共に認める

位置にいるものと自負する。





ボクの小説 『セドナ』 を


ネット上で公開したことがあるが、


(まだ一部残ってはいるようだ)




性的描写を指摘され



その部分を削除されてしまった。




そのため


そこへの投稿を

止めた経験がある。







日本人は


特に




お金や


性といったものを



必要以上に

忌み嫌う傾向が強いように思う。




いわゆる

エログロの世界だ。





とくに


人前で


露骨に語ると



イヤーな目つきで見られてもしまうのだ。






ときに


ボクは



自分のブログで




その手の内容のを語ることがある。




だから

かなり


人格を疑われることになる。

(いいけどね)







小説も


ブログも、





それがどんなに実話に基づいていても



所詮


基本的には

フィクションの世界なのだ。





どこまでが


経験値で



どこからが


フェイクなのかということは



書いてる方は


読者ほど

さほど気に留めていない。





問題は


表現なのだから。








すべての小説家は



すべてのアーティストを含めて



空想、妄想の世界



生きているといっても


過言ではないだろう。


(だから

行き詰ると

ドラッグに走る奴もいる)







今回の


芥川賞の

「共食い」にしても


性的描写が何か所も出てくる。






作品の良し悪しは別として、




昨日のボクのブログは



それに

触発された面は否定できない。




単に


芥川賞作家を気取ってみたかっただけのことだ。



(言われなくても

遠く足元にも及ばないことぐらいは


自覚している)





まあ、



そんなところで


昨日のブログに関しては


お許し願えればと



勝手に思っている次第である。


(やっぱり

単なる言い訳になってしまった)






「他人(ひと)は



なんとでも


思わば思え、




ただ


我が道をゆくのみ」






アレンジはしたものの


坂本竜馬を


気取ってみた。






【補足】


「世の中の人は何とも言わば言え


我が成する事

我のみぞ知る」



が竜馬の有名な言葉ですね。




ついでだから


関連する名言を

いくつか下記しておきますね。







•人間というものはいかなる場合でも、

好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ ~ 坂本龍馬



•自分の価値は自分で決めることさ。

つらくて貧乏でも、

自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ ~ 勝海舟




•何でも思い切ってやってみることですよ。


どっちに転んだって人間、

野辺の石ころ同様、

骨となって一生を終えるのだから ~ 坂本龍馬




•我れあれば、則ち天地萬物あり。

我れなくんば、則ち天地萬物なし ~ 吉田松陰




•人間とは本来弱いものだ。

だが、信念とか使命感で行動する時は、

なぜか果てしなく強くなる ~ 中内功




•自分の持った夢に

自分の人生はおおむね比例する ~ 孫正義




•力不足だからこれはできないと思ってはいけない。

真心がその不足を補ってくれる ~ 上杉鷹山




•野心とは、己一代で何かを成し遂げようとする願望。


志とは、己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、

次の世代に託す祈り ~ 田坂広志




•およそ事業をするには、

まず人に与えることが必要である。


それは、

必ず後に大きな利益をもたらすからである ~ 岩崎弥太郎





•生業に貴賤はないけど、


生き方に貴賤があるねえ ~ 勝海舟

人生革命

2012年01月02日 | 
本の題が決まった。




『人生革命』



これでいこう!






今年は


みんな



自分の人生に


革命を起こさなければならない。






不安を抱かず、



勇気と自信を持って




それぞれの人生を形成し、



自分の力で



歩かなければならない。






向かう先は



どこか。




これすら


自分で決めなければならない。





自分で


先を見極め、


進むべき道を選び、



与えられたミッションに従い



ビジョンを描き、




歩き続けなければならないのだ。








何のためか?




それは


自分のためではなく、



世のため、人のため、





もっと具体的に言えば


社会のため



愛する人のためである。






社会は


自分を取り巻く世界であり、




地域であれ、


国であれ、



世界であっても一向にかまわない。






愛する人も


一人ではなく




自分にかかわる



縁がある人すべてだっていい。







それに見合う

自分のキャパを大きくするためにも



勉学を怠ってはいけない。






もう


今までの価値観では



何もかもが


通用しなくなっている。






これからの時代に見合った



斬新で


独自な価値観を




それぞれが創出していかなければならない。






これからの時代とは、



Borderless


Priceless


Selfless




が求められる時代。







そのためには


どうしたらいいのか、


何をしなければならないのか。







まだ


向かう先を探しあぐねている人、



何をしたらいいのか


戸惑っている人に





タビストとしての


ボクなりの考えを述べようというもの。





なぜ





『人生革命』



なのか。





人生の



何を

どう


革命しなければならないのか。





その

指針を示そうという内容だ。






この


企画書を



出版社に送る。




どういう答えが


返ってくるか。




今年最初の



ワクワクは


もう始まっている。

出版のオファーが来た!

2011年08月24日 | 
常々言っているように


ずっと出版の機会をうかがっている。



といっても

最近は

こちらから出版社にアプローチはあまりしていない。




ご存知のように


本が売れない時代、


出版社も様変わりしている。



電子書籍がどれだけ売り上げを伸ばしているかどうかは

知らないが


オンライン出版も


出版の一つの手だ。




それも試してはいる。




そんな中


某出版社から


出版のオファーが来た。





初めて聞く名前だが


東京の出版社だ。




どうやら


ウェブページから興味をもったらしい。







といって


糠(ぬか)喜びは出来ない。




問題は条件なのだ。


巷にある自費出版とは違うが



ボクの望む条件からはかけ離れている。





単に


本を出せばいいとは思っていない。




売れる本を出したい、


出すからには


ベストセラーにしたい、



少なくとも


10万部は売りたい。




並大抵ではないことぐらいは分かっている。


だが


妥協はしたくない。






だから

今回は無理だとしても



繋ぎは出来た。




向こうから興味を持ってくれたことは


強みだ。





これからいろいろ話を進めていきたい。





どんな小さなチャンスも見逃さない。



くだらないと思ったことでも


無視しない。





些細な 「縁」 こそ


大きな可能性が潜んでいるものだ。





それは


何かの兆しなのだから。

孤舟

2010年10月20日 | 
渡辺淳一の 「孤舟」 を読んだ。


例によって、本屋で立ち読みだが。


完全に速読はまだ出来ないので、飛ばし読みだが

15分ほどかかって読み上げた。



彼はボクのFavourit Writerだ。


ボクの推奨する 「エロワルジイジ」 の最先端を行っている感じがとてもイイ。


その場合に不可欠なインテリジェンスを十ニ分に兼ね備えている。



で、内容に思わず苦笑した。





定年後の夫婦の形を見つめる長編小説

定年退職して始まる本当の孤独をややコミカルに描く。



大手広告代理店を定年退職、バラ色の第二の人生のはずが、

待っていたのは、家族との深い溝、夫婦関係と親子関係の危機。



娘は独立、妻は家を出てしまう。

そこでデートクラブに入会し、ある女性に出会うが・・・。





テーマは、


人生最大の転機をいかに乗り切るかということにあるらしい。


Lost single の悲劇を避けたいなら


Marriage Single (マリシン) になるよう努力すべきだ。


つまり

配偶者(女房)に先立たれる前に、自立しておくべきだということだ。



ラブラブな人ほど Lost Single になる確率は高いらしい。

Pet Loss と同じような状態だ。






対策としては

別居結婚が理想だと思う。


お互い干渉しない。

割り切った関係になる。



それじゃあ、結婚している意味がない、

離婚と同じじゃない、というかもしれないが、



だが次の当て(再婚)がないなら、

離婚する必要もない。



離婚には結婚以上のエネルギーを要する。


経験がおありの方なら分かるはずでしょう。





ただ、どっちかが倒れればこの関係、バランスが崩れるから、

健康が第一だ。



そのために 「エロワル」 になるのだ。


「好奇高齢者」 を目指そう。