世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

今年も一年お世話になりました

2015年12月31日 | 100の力
いよいよあと数時間で2015年も過ぎ去ろうとしている。

今年もベトナムに始まり、

後半、ベトナムカフェオープンとベトナム三昧で突き抜けるかと思った矢先、

失速してしまった。


しかし、大きな出会いが待っていて、

最愛の人に巡り合いました。

苦しい中にも希望が見いだせた思いで新しい年を迎えられそうです。


未曽有の苦難を覚悟しつつ 最愛の人と過ごせたことをこの上なく幸せに感じています。

さて、人生最大級のこの難関をどう乗り切るか、

乞うご期待といったところで、

このブログともども来年もよろしくお願い致します。



 
性懲りもなく、この写真で今年を締めくくりたいと思います。

では、皆様もよいお年をお迎えください。

絶体絶命

2015年12月30日 | 100の力
二つの気持ちが揺れ動く。

一つは、愛に満たされ解放された気分。

もう一つは、

追いつめられているイヤーな気持ち。


心の中で、強気の自分と弱気の自分が攻めぎ合っている。

どちらも同じ自分なのに、

交互に現れてはまた葛藤を繰り返す。


弱気な自分が言う。

自分は愛される価値があるのかと。

それを問う度に彼女を苦しめる。

決して彼女に対する愛が不安定なのではない。

むしろ不動だ。

愛されることへの恐怖が襲うのだ。


何度愛に裏切られたことか。

相手を責めようとは思わない。

愛をつなげなかった自分の不甲斐なさが情けないのだ。

深い自己嫌悪に陥る。

ボクの弱気が彼女にダメージを与え、苦しめる。

その姿を見てさらに落ち込む自分がいる。

人はこうして鬱になっていくのかと、その入り口に立っている自分が見える。


一方、

この難局を乗り越えれば素晴らしい未来が待っていると説く自分がいる。

追いつめられたときこそ真価が分かる。

自暴自棄になるのか冷静でいられるか。


追いつめられ、それを乗り切って初めて人は成長し一回り大きくなる。

絶体絶命の瀬戸ぎわに立たつことで人は試される。

そして今がその時、進化を発揮する時なのだ。


今までもそうだったではないか。

幾多の難局を乗り切ってきた。

何度、もうダメだと思ったことか。

その度に歯を食いしばり自分に言い聞かせた

「ナニクソ!負けてたまるか!」と。

涙を流しながら耐え抜いてきた。


そして、いつもそこにはボクを支える愛があった。


今こそ彼女を愛さなけれならない。

彼女を強く抱きしめよう。

ボクが彼女を必要とするように、

彼女もまた僕を必要としてくれている。


自分に勝つことが、彼女に対する愛を証明することなのだ。


弱気の自分よさようなら。

負けてたまるか!

何度も何度もそういいかせる年の瀬。

ベトナムの女

2015年12月29日 | 100の力
足掛け9年付き合った女(ひと)と別れた。

彼女はベトナム人。

ハノイに住む。

年に4~5回ベトナムを訪れ共に過ごす。

いわば遠距離恋愛。

やはり長すぎた春だったのだろうか。


彼女のお陰でいろんな経験をさせてもらった。

いろんなところに連れて行ってもらった。

彼女のバイクの後ろで切る風の心地よさは、

時にボクを有頂天にさせてくれた。


店も開き、いろんな事業にも関われたのも彼女の功績が大きい。


おかげで「Miss Hanoi」という小説もできつつある。

もちろん彼女をモチーフにしているが、

この9年間いろんなベトナム女性を知ることもできた。

いつしか、いろんな意味でベトナム通になっていた。


このベトナム通が高じて日本にもベトナムお店を出した。

それも今終焉を迎えようとしている。

こちらは短い夏の思い出といったところか。


ここへきて立て続けにベトナムとの縁が切れかかっている。


これは何を意味するのか。

そろそろ卒業してもいい時期なのかもしれない。

一所に執着しないで

次のステップに進みなさいとでも言っているのか。


ボクはタビストである。

これまで世界一周を含む約60か国を旅してきた。

だが、ここ数年ベトナムに傾倒してきたし、

そうせざるを得なかった。


そこに窮屈さを感じていたことも事実である。

タビストは、ある国(場所)に縛られることを良しとしない。

タビストは自由であらねばならない。


遠距離は、タビストにとってはある意味都合のいい恋愛形態である。

離れている時は自由を満喫できた。

浮気をするといったせこい理由ではない。


その証拠に、彼女以外の女性とは恋愛関係になることを極力避けてきた。

束縛されたくなかったからだ。


タビストは、いついかなる時でも旅に出る態勢を整えておかなければならない。

そしてそれがどこであろうと世界の果てまで飛ぶ覚悟を要求される。


ボクが生活拠点を持たなかったのもそうした理由(わけ)があった。


さて、そろそろベトナムから卒業し解放される時が来たようだ。

そして、本来のタビストに戻るための旅支度を求められている気がする。

古い服は潔く脱ぎ捨てよう。


ただ、生きている限り、どこへ行っても人間関係は付き纏う。

そして、人間には男と女しかいない。


故郷へ帰り、そこで新しい恋人と巡り合う。

それは、

母体に戻り、生まれ変わることを意味しているようにも感じる。

あるいは何度も脱皮を繰り返しているのかもしれない。


タビストは渡り鳥にも例えられる。

北と南を季節ごとに移動するだけではない。

東西南北をいつでも自由自在に飛び回ることのできる渡り鳥。


時に大草原の渡り鳥であったり、

大海原の渡り鳥であったり、

大都会の渡り鳥であったりと変幻自在であり場所を厭わない。


姿を変え、形を変えながら否応なく歳を重ねていく。

すれ違う人の中に、足を止めて見つめ合う人もいる。

行きづりの恋に落ちることもあろう。


だが、留まってはいけない。

常に流れる水のように。

それがタビストの宿命なのだから。

SEDONA 愛と絆のはざまで

2015年12月28日 | 100の力
アリゾナ州のセドナに行かれた方もおられると思う。

あるいは行きたいと思う方もたくさんいらっしゃるだろう。

とくにスピリチュアルに興味があるかたならなおさらだ。

なぜなら、世界有数のパワースポットとして有名だから。




ボクは以前一週間ほど滞在し、噂以上のパワーを感じた。

その時生まれたのが、ラブストーリー『SEDONA 愛と絆のはざまで』だ。




夜中に突然ストーリーが閃き、モーテルの小さな机で一気に書き上げた。


その後、いくつかの文学賞に応募したり、

映画化を狙ってシナリオ大賞にも応募し、

最終選考まで残るも未だ日の目を見ずにいる。


久しぶりに、先日ある出版社から問い合わせが来た。

以前この作品を持ち込んだところだ。


ただ単に本を出すことが目的ではなく、

ベストセラーと映画化を目指している。

だから、どういう形で出版するかが問題なのだ。


小説であるからして、何らかの文学賞を取るのが早道かもしれない。

そう思って、久しぶりにこの作品を読み返してみた。

まだまだ、推敲すべき個所は多く残っているが、

一読者として新鮮な気持ちで読むことができた。


と同時に、やはり世に出すべきだという思いが急激に高まってきた。

もう一度挑戦してみよう。

そして、そのためにはもう一度セドナに行かなければならない。

強くそう思った年の暮れだった。


KISS & Peace

2015年12月27日 | 100の力
今、新たなミッションに向けて大きく舵を切っている。


キスで世界を平和にすること。


Kissの写真を撮っている。

世界を旅しながらキスの写真を撮る。

撮りためて世界各地で個展を開く。


またバカなことをとあきれる御仁もおいでだろう。

バカと言われてなんぼの生き方をしてきた。

バカも百回すればなんとかだ。


決してエロスではない。

グロスでもない。

アートの領域に昇華しなければならない。

長い道のりになるだろう。

タビストとしての本質的体質は維持したままだ。


賛否両論あるだろう。

議論を巻き起こすことも狙いの一つだ。

物議を醸す。

波紋を立てる。

やりすぎくらいがちょうどいい。


反対や批判を恐れていては何もできない。

敢えて非常識に立ち向かう。

非日常、非常識の中から革命は起きる。


人のやらないことをやることから世界は動く。


さてこの写真はどうだろう。



エロかアートか。

(そこまでやるか)


【追記】

映画の世界でも文学の分野でも、これは常に物議を醸してきた題材である。

取り立てて斬新というわけではない。

古くて新しい世界。

自分の領域であえて挑戦してみる。


【追記2】


苦労だって、楽しい

あなたがいるから

愛し合い、許し合い、支え合って生きる。



12月26日(土)のつぶやき

2015年12月27日 | 100の力

鬱の彼女をもちまして

2015年12月26日 | 100の力
横顔にどこか翳りを醸しだしていた。

確かに、表情の一辺に影が見られたが、

最初はそれは誰もが持つ暗さのように感じた。


彼女と初めて出会った時、

その沈んだ表情だけが印象に残った。


たまたまあるパーティのカウンターで隣り合わせただけで、

一言二言言葉を交わすだけで終わった。

お互い名乗ったが、彼女の名前すら記憶にとどまらないほど、

彼女は負のオーラを全身に纏っていた。

まるですべての訪問者を拒絶するかのように。


その約一か月後、

別のパーティで再会した。

パーティ会場の入口近くでビールを注文し、

ボクはしばらくホールの中央で踊る人たちを物憂げに眺めていた。

その時、グラスを片手に踊る小柄な女性と目があった。

彼女はボクを見てにっこり笑った。

一瞬、時間が止まったかのように感じた。

ステージのスポットライトが彼女だけを浮かび上がらせているかのように

彼女は光り輝いて見えた。


どちらからともなく歩み寄り、軽くハグをして再会を確かめ合った。

彼女はボクの手を引き、カウンターのワインを注いでくれた。

彼女は終始にこやかで、

あの時の彼女とはまるで別人かと思わせるほど輝きを放っていた。


ぼく達はグラスを持ったまま、ホール中央でスローなリズムに合わせて踊った。


次の日、ぼく達はこじゃれたレストランバーのカウンター席に並んでいた。

そこで彼女の意外な一面を知ることになる。


数か月前、彼女はその時付き合っていた彼氏を事故で亡くしていた。

そのショックでウツになり、薬漬けの日々を送っていた。

安定剤と睡眠薬を含め、8種類の薬を飲んでるという。

自殺さえも考えたらしい。

彼女は大きな瞳から静かに涙を流しながらポツポツと語った。

辛い思いを引きずりながら必死で耐えている姿がなんとも痛ましかった。

ボクの彼女に対して翳りを感じた第一印象は、あながち間違いではなかったのだ。


ボクに愛が芽生えたのはその瞬間だったのかもしれない。

彼女を救いたいという気持ちが沸々を湧き上がってきた。

彼女の笑顔はとても素敵で、ボクを魅了するのに十分だった。

その笑顔を取り戻してあげたいと思った。


それからボクはできるだけ彼女の側にいることにした。

彼女の手を握り、時にキスをする。

それでも彼女は時々ボクの胸に顔をうずめて涙を流す。


死んだ彼を思う切ない涙なのかもしれない。

それがいつの日か、喜びの涙に変わっていく日が来るのだろうか。




ボクの胸で眠るとき、

彼女の睡眠薬はいらなくなった。

安心しきった寝顔がボクの心も癒してくれる。


ボクの腕の中で彼女の静かな寝息を聞きながら、

ボクが彼女の薬になれる日もそう遠くない気がしていた。




それでも鬱にはなりません

2015年12月25日 | 100の力
本来ならとっくに鬱状態に陥っていても不思議ではない。

ところが、鬱になりえない性格なのだ。

何があったて動じない精神力を持ち合わせている。


自分には悪いことは起きない、といいかせている。

起きることはすべて好転する。


一見どんな悪い出来事、不幸なことでも

必ず良いことへつながるステップに過ぎない、と信じて疑わない。


今自分の人生を左右する大きな出来事が起きている。

それは一般的に不幸ともいえる代物だ。

あたふたと慌てふためいてもおかしくない重大事である。


だが、逃げることはしない。

正面から向き合う。

真っ正面から対峙する。


そのためは、今敢えてリフレッシュに努める。

気を静め、負の流れを切り替えるために。


久しぶりに海を眺めに行った。



自然に触れることで愛を育みエネルギーを頂く。

そしてこれから鋭気を養い重大事に取り組む。

その行方は、オイオイ発信していきます。

サンタからの贈り物

2015年12月24日 | 100の力
今年は最高のクリスマスプレゼントをもらった。

人生を変えるチケットを。


今ボクの周りでは劇的変化が起きている。

それは一見悲劇のように見える。

シェークスピアの4大悲劇張りのといったら言い過ぎだろうか。

彼は喜劇も数多く書いている。

人生には一見悲劇に思えることが、時間が経つってみると案外喜劇だったりするものだ。


苦しい時にはあえて楽しいことをしてみる。

じっとしてしかめっ面をしていても、事態はよくはならない。

むしろ、だんだん滅入っていき、ろくなことは考えない。


苦しかったら、

笑う、

動く、

そして踊る。


ということで、

昨日は踊った。


     クリスマスダンスパーティ




シェークスピアは云った。

All's Well That Ends Well、

終わり良ければ総て良し。