世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

夢地図 Dream Map

2012年12月31日 | 
来年に向けて

改めて「ドリームマップ」を作ってみた。


そのために必要なのはコア(核)である。

これまではいつも「旅」がボクの中心にあった。


それは変わらない。不変だ。


だが来年一年だけに限っては、コアになるものを変えてみた。


ドリームマップの中心に来るキーワードは、


「出版」だ。


ここに全精力をつぎ込む。

そのために、ある決意をすることにした。


それは、明日・元旦、新年の誓い(New Year's Resolution)としてDream Map とともに発表する。


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2012年は、人類にとって節目の年だったと思う。

地球滅亡はなかったが、

アセンションの意味を深く考えなければならない。


旧態依然とした意識を引きづったまま新年を迎えてはならない。


常に政治より経済が先行する。

日本の政治は逆行するが、経済は正直だ。


既に物質文明は終わりをつげ、精神文明へと変わっている。

そのことに気付かず、いまだにやれ車だ家だ、ブランドだと奔放している人は哀れとしか言いようがない。


物を捨て、身軽になって精神世界へと進まなければならない。


つまり、幸せの形は目に見えるものから見えないものへと変わったのだ。

だから、人の目なんて気にする必要は一切ない。


見た目の幸せと、心の幸せは必ずしも一致するものではない。

むしろ、真逆ということが多いような気がする。


もうみんなが同じ方向を向いて、同じものを求める時代は終わった。

それぞれが、違っても調和と共生の精神で心豊かに生きていく時代になった。


まだ争っている愚かな人たちがいる。

相手にしないで、愛する人のためにそれぞれの道を自分のペースでゆっくり進めばいいんです。



チョッと胡散臭くなってしまった。

別に宗教団体ではございません。

特に所属している団体はありませんのでご安心を。

日本人の不幸

2012年12月30日 | 国際
日本人は極めて優秀な民族である。

世界に誇れる民族である。

世界中のほとんどの人々が認めるところだ。


疑いがない。


だが、ただ一つ残念なことがある。

屈辱ともいえる欠如だ。


日本人は、中国韓国を除く多くに国で尊敬の念を持って迎えられる。

ほとんどの国は親日的だ。


まず、日本人の特徴としてあげられる言葉に

polite (礼儀正しい)がある。

サービス、笑顔、謙虚さにおいても他の国を圧倒する。


だが、裏を返せば、そのことが唯一の欠点に由来するものだともいえる。


多くの国、特に東南アジアに行くと

日本人にはリスペクトを抱かれていることを感じる。


ただ、逆にバカにされることが一つある。


それは何か。


日本人は、どこの国よりも英語が話せない、ということだ。

不幸なことにこれは共通した日本人への認識だ。


日本語という世界に稀をみる美しい日本語を話せる代わりに

英語力を奪われてしまったのは皮肉な巡り合わせだ。


日本語を話せることは、本当はそれだけでも幸せなのだが。

むしろ、英語しか話せないアメリカ人やイギリス人は不幸だともいえる。


とはいえ、現実は英語が話せないことは致命的だ。

日本の衰退の原因の一つだといってもいい。


日本人が、英語が話せるようになり

英語感覚が身につけば世界最強になれると思う。


英語感覚とは

積極性や交渉力などのコミュニケーション力のことを言う。


だからといって、日本人の奥ゆかしさや謙虚さを失っては本末転倒だ。

大和魂(武士道精神)とフロンティアスピリッツ(開拓、革新、チャレンジ精神etc,)を

併せ持つことが出来るのは日本人の特質だ。


世界のいたるところで英語を流暢に操る日本人を想像してほしい。

最強の日本人(優しくて力持ち)が世界を闊歩する日はそう遠くない。


そうあって欲しい。

成長戦略

2012年12月29日 | 人生
アベノミクスの経済戦略のことではない。

自分自身の成長戦略を描かなければならない。


人は、子供から大人へと成長していく。

それは、依存から自立へのプロセスといってもいい。


だが昨今、自立できないで依存状態にある大人が多い。

つまり成長が止まっている人。



順当に自立できても、それだけでは成長は止まってしまう。


では、成長を続けるため自立の先にあるものは何か。


それは、貢献だ。


まず自分の足でしっかり立つ。

その次は、他人の自立を助けることだ。

助けるというより、手伝うといった意識が必要かも。

陰から支えるといってもいい。


それには、働かなければならない。

働くとは、傍(側)を楽にすることだから。



自立とは、自分が自分のために生きることだが、

その先にある貢献は、

自分のために生きることより人のために生きることであり

その方がずっと難しいことは言うまでもない。


だがより充実した人生が送れることもまた間違いない。


遅ればせながら、今それにやっと気づくことができた。

ただそこに気づいて行きつくまでには多くの経験(失敗)を必要とした。

そして、多くの涙を流さなければならなかった。


今まで多くの人から温かさ、恩、情け、優しさ、そして笑顔を戴いた。

今度は自分の番だ。

お返しをしなければならない。


今その苦しみと同時に喜びをかみしめている。

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昨夜の講演で、そう言ったお話をした。



介護士になることを目指す方々への講演だった。

そこで、パッチ・アダムス(最後に注釈・動画あり)のことを引き合いに出した。



彼は言う、

「人を思いやるという人生を送ることによって、

自分の中で一番深い平和と安らぎを得ることができる」
 と。




それは、悟りに近いものがある。

そしてそのための修行と実践は厳しいものがある。

生半可な思考や行動では到底達しえない。


自分を投げ打って犠牲にしなければならない。

今それに挑んでいる。

身も心も捧げることにした。


これが、「貢献」だ。


成長に終わりなし、貢献に限りなし。


後見人より貢献人。

毀誉褒貶を顧みず、「寄与貢献」することに努める。



【追記】

来年は、出版することにしました。

まだ、出版社も決まってませんが。


そして、講演活動をもっと増やしていくことにしました。

自分の想いを伝えていきたいと強く感じたからです。


来年、自分に課したキーワードは、

「出版」「講演」 。


もう一つに人生(Another Life)に挑戦する。

命を懸けて。



(注釈)

パッチ・アダムス(Patch Adams, 1945年5月28日 - )は、アメリカ合衆国の医師。

クラウンドクター。本名はハンター・キャンベル・アダムス(Hunter Campbell Adams)という。

ワシントンD.C.の生まれ。

ホスピタルクラウン、クリニクラウンを始めた人。


ロビン・ウィリアムズの主演映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)の実在のモデルである。


現在も世界中でクラウニング活動の実践や、更なる普及に向けて講演活動をしている。

日本にも講演会の為に何度か来日している。(Wikipediaより)



パッチ・アダムス in 日本2011~Patch Adams Smile Baton~



Patch Adams Official Trailer #1 - Robin Williams Movie (1998) HD

玉名会談

2012年12月28日 | 国際
美人講師でおなじみのベトナムの女性(学生)起業家と

長時間に渡りミーティングを行った。


内容はベトナム事業展開についてのそれぞれの夢を語り合うことだった。



彼女は、まだ学生でありながら会社を興し、

ベトナムと日本の橋渡しを行っている。

そして、モデルやタレント業もこなす才色兼備なお嬢さんだ。



お互いパートナーシップを組み、協力し合うことを約束した。

そして、来年3月早速彼女のセミナーをフリートークで行うことを決めた。



昨夜の会談場所は、玉名温泉・司の湯。



ここまで来て温泉に入らずして帰るわけにはいかない。


彼女も一緒に(?)入るという。

もちろん、男湯と女湯に分かれて。



さて、一風呂浴びたあと、Dr.Fishでお馴染みのKくんと合流。





    K君が手がける司の湯のなかにあるセラピーフィッシュ


これまた、これからの事業展開、子育てについて世のふけるのも忘れて語り合った。


そして最後の〆は

何といっても玉名ラーメン。



これで身も心も温まった。


フリートークに帰ってきたのは、12時を回っていた。

連夜の午前様。


アー、昨日も充実の一日だった。

楽しいしい仲間がまた増えて、来年からの展開に大いに期待が持てる。




【追記】


「美人講師のワクワクアジア講座」

3月22日(金曜日)午後7時からフリートークにて行われる。


詳細は追ってfacebookのイベントでお知らせします。

この日彼女はアオザイを着てセミナーを行うそうです。

それだけでも必見の価値ありですゾ。

12月27日(木)のつぶやき

2012年12月28日 | お金

お誕生日会

2012年12月27日 | 人生
フリートークファミリーは

実にいつも楽しい企画をしてくれる。


その月の誕生日の人たちを一斉にお祝いしちゃおうというもの。

12月生まれは、ボクを含めてこの日5人だったと思う。

あんまり多すぎて、訳が分からなくなる。






それぞれに名前入りのバースデイケーキが。



こうした配慮が、マッタク泣ける。










この日はナント4次会まで。

カラオケとダンスで大盛り上がり。









午前3時半にお開きになった。


余りに楽しすぎる仲間たち。


来年はモットモット仲間が増えるだろう。

フリートークの大家族は全国に、そして全世界に繁殖中。



英語を駆使し、一人でも多くの人が世界中に友達を作り、

友達の輪がドンドンドンドン大きくなり

繋がっていけば、必ず世界平和は実現する。


そのために、身を削ってでも貢献する。


例えこの身がどうなろうと、

それがボクの使命であり、生きた証になる。

手放す勇気

2012年12月26日 | 人間関係
大事なもの、人を一度手放してみよう。

本当に大事なもの(人)なのかわかるはずだ。


と言うことで、今までの人間関係を全て消去することにした。

リセットするといってもよいだろう。


今までのしがらみを一度全部捨て去ると、どんなにスッキリするだろうか。



所有物を全て投げ捨て、関係性を全て捨て去り、

天涯孤独の身になることは理想的姿だ。


天涯孤独の身となるI get left all alone in the world.


幸か不幸か、ボクには身寄りがない。

家族はいるが物理的にも精神的にも遠く離れている。

家族は居ても、家庭というものからは程遠い。


ボクは小さいとき、親も兄弟もいない中で育った。

だから家庭への憧れを抱いていた。


だが、いざ家庭を持ってみると

それがいかに虚構の上に成り立っているのかが分かった。


血縁という家族の絆はあっても

家庭とは所詮他人との同居にすぎない。

夫婦と言えど、所詮他人の域を出ないのだ。


歪な環境で育ったことがボクを厭世家に仕立て上げた。

だからボクの笑顔の裏には厭世観が潜んでいる。

自殺願望は常にボクの中に生息している。


それを知る人は、いないだろう。


その虚しさを噛みしめたうえでの天涯孤独。


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天涯とは、身寄りがないという意味と同時に

「遠く異郷に、独り暮らす」 という意味もある。


孤独と言うより孤高でありたいと常に思う。



だいぶ前だが、新田次郎の「孤高の人」を読んだ。




社会人登山家としての道を開拓しながら、

日本アルプスの山々をひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”の物語だ。

その強烈な意志と個性により、

仕事においても独力で道を切り開き、

高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した

加藤文太郎の交錯する愛と孤独の青春を描く長編小説だ。



これは井上靖の「氷壁」と並んで、山岳小説の双璧を成す。




これらの本は、高所恐怖症のボクを山へ挑戦させてくれた貴重な本だ。

スキーへの興味もここから来てスキーバムへと突き進んでいった。


それがペンションを知るきっかけとなったのは皮肉なことかもしれない。


いずれにせよ本は、居ながらにして人生を一変させる力を持つ。



話を戻そう。


孤独は自由と対を成す。

つまり、自由でありたいなら孤独を恐れてはならない。

集団の中にいては自由が制約されることは言うまでもない。


また、孤独とは必然的に寂しさを伴う。

それゆえ、自由もまた寂しさと同居していると言えよう。



人間とは、常に自由と不自由の狭間で揺れ動いている生き物かもしれない。


時に現代は、いかに異国の地においてもインターネットという怪物が

人とのつながりを否応なく強いる。


それは良い意味でも、悪い意味にもなる。

所詮、一匹狼(a lone wolf)を気取るのが精一杯なのだろう。



【注釈】

孤高(ここう)とは、

個人の社会生活における1つの態度を表し、

ある種の信念や美学に基づいて、

集団に属さず他者と離れることで必要以上の苦労を1人で負うような人の中長期的な行動とその様態の全般を指す。


本来は俗世間との通行を自ら断って1人で道を求める者の姿を指しており、

私利私欲を求めず他者と妥協することなく

「名誉」や「誇り」といったものを重視する姿勢から、

周囲が「気高さ」を感じるような良い意味での形容に用いられる他に、


協調性を欠いた独自の態度を軽く批判する場合にも用いられる。

迎合主義の対極に位置する。

芸術家や指導者に多く存在する。

犠牲と覚悟

2012年12月25日 | 人生
今年一年を振り返ると

当たり前のことですがいろいろなことがありました。


ただ、流れに沿って(流されて)ただただ突っ走ってきたように感じます。

ある意味行き当たりばったり(バッ旅)だったようです。


それはそれでよかったと思っています。

概ね、順当な一年が過ごせたからです。

(まだ今日を入れてあと一週間ありますが)


ただ、流され来たようだといったのは

やりたいことがあまりに多すぎて行動に一貫性がなかったからです。


集中と分散を繰り返しながら収斂させていくことが自分のやり方です。

ただ、分散が過ぎたような気がします。


これからは、集中する時期です。

とはいっても、一本に絞るのではなく、


やりたいこと一つ一つにもっとエネルギーを集中させるのです。

つまり、できたらいいナー、などといった中途半端な気持ちではなく

必ずやる! 必ず出来る、といった覚悟を決めることです。


今まではどこか甘えがあったような気がします。

出来ない言い訳を自分でして、逃げ道を作ってしまっていたようです。


一生懸命やれば結果出来なくても仕方がない、的な甘えが。

それではいけない。


死んでもやる、的な決断と覚悟が必要なのです。

実際死んだらできないので、死ぬ(死んでもいい)つもりでやるが表現としては正しいでしょう。



それには覚悟と同時に、何かを捨てなければなりません。

つまり、犠牲者(物)が出るのです。


何かを掴もうとすれば、今持っているものを捨てなければなりません。

でなければ

骨をくわえて、水に映る自分の姿を見て加えていた骨まで失ってしまう犬の逸話のようになってしまいます。


新しい服を着るには、今着ている古い服を脱ぎ捨てなければなりません。

着重ねをしていくと、着ぶくれして仕舞には身動きが取れなくなります。


欲張ってはいけないのです。

本当の意味の断捨離とはそういうことなのではないでしょうか。


何かをやろうと思ったら、

まず、捨てる覚悟を決めること。

それから、トコトンやり抜く覚悟を決める。


地位を捨てる、見栄を捨て去る、財産を捨てる、

恋人を捨てる、家族を捨てる……。


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ボクの過去の経験から言うと

大学受験に失敗し、浪人生活を余儀なくされた時、

自ら頭を丸めました。

当時付き合っていた彼女を捨てて、受験勉強一本に絞りました。



脱サラをすると決めた時、

酒を断ちました。

付き合いの場でも、一切のアルコールを口にしませんでした。


その前に、女房に逃げられましたけど。(トホホ)




ボクは意志の弱い人間です。

だから、何かを真剣にやろうと思った時、

こうした形、行動から入ることはとても効果的だったのです。


気持ちや口だけで、よし、やろう!と決めても三日坊主になるのが落ちでしたから。


さて、今回は何を犠牲にして覚悟を決めようか。


それ以前に、自分は一体何をしようと(得ようと)しているのか、

夢の原点に立ち返ってじっくり考えてみよう。

スタッフ勢揃い

2012年12月24日 | 仕事
今年のフリートークでの仕事納めは

早々と23日で終わった。


この日、初めてオールキャストが顔をそろえた。




チーフマネージャー以外はパートタイムなので全員が揃うことは今までなかったのだ。


そしたらいきなりダーツゲームが始まった。




一緒に居合わせたゲストもさながらの熱気に圧倒されているようだった。

その空気は外国そのもの。



それも、5人とも国籍が違う。


フィリピン、アメリカ、トルコ、ペルー、そして日本。

まさにG5といった様相。


お互いの価値観の違いを受け入れ、認め合い、尊重し合うことで和(輪)は保たれる。


これが、G50になり、G100になり、G200を超えたとき

世界に平和が訪れる。


そして、手には銃に変えてダーツの矢(マグネット)を持ってゲームに興じる姿があるだろう。


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一日も早く、世界中でこうした風景が見られるよう日々の努力は続く。

世界平和への小さな貢献を重ねて行こう。


そうして世代を超え、国境を越えて世界平和の光をともすのだ。


一人一人の胸に、大きな夢を抱いて

来年も、一年一年、ひと月ひと月、一日一日を充実の時と捉えて歩んでいこう。



【追記】

フリートークは新年、1月8日(火曜日)から

通常通り午前11時より営業いたします。

また遊びに来てね。