世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ビッグ・トラブル発生

2011年11月30日 | 
案の定、


大問題が発生した。



念のためと思って


航空会社に問い合わせてみた。



予約が入ってない。



ナニッ!!



必ずこういうこと起きる。




ならば


予約を入れ直すことが先決だ。




頭を切り換えて


一旦白紙に戻す。




日本で調べたときには



もう席がなかった。




なのに


こちらで調べると


まだ結構空席ありになっている。



どういうことだ?




いや


こういうことなのだ。




疑問に思ってはいけない。


可笑しいと思っても


これが現実なのだ。




現実に抵抗しても

いつまでたっても埒は開かない。




現実を受け入れなければ


次に進まない。






ナント


もっと便利な時間で席が取れた。




値段は余り変わらないようだ。





とにかく



今日のフライトの席を確保することが先決だ。




まだある。



Siemreap のホテルに


時間の変更を連絡しなければならない。




空港で


ピックアップしてくれることになっているからだ。





さあ、



これでも油断できないのが


海外の事情。





とにかく


柔軟に考えて



状況にわせて



的確に判断し、



即時に対応していくことが要求される。





つまり


文句タラタラ行っても仕方がないのが


実情なのだ。





これで


無事カンボジアに着けるか?




そして


女性に会うことはできるのだろうか?


のっけからトラブル続き  これが旅の醍醐味

2011年11月30日 | 
経由地の

台北で2時間の遅れ。



その上

ハノイのホテルを頼んでいたのだが



連絡を入れると

ホテルがなくなっていた。



こういったことは


すべて想定内。




盗難に遭ったり、

暴漢に襲われたり、



事故に遭ったりするのは

極力避けたいが、



こうしたトラブルは


日常茶飯事で

うろたえる必要はない。




むしろ


楽しむ術を考えた方が良い。




最近は


こうしてインターネットが


どこの空港でも使えるようになったのが


嬉しい。




ただ


日本の空港は遅れている。



日本のホテルにしてもそうだが


インターネット環境においては


後進国だ。





さて


なんとか


ハノイの安宿の確保はできた。




そういえば


facebook が開かないのだった。




中国同様


ここは共産圏。




中東のような



自由化、民主運動の広がりを恐れている。





日本では


facebook による連絡網が発達しているので



その点は不便を感じる。







夕方


カンボジアのシエムリアップに飛ぶのだが



エアラインのコンファームを入れているところだ。




これも当てにならない。





ダブルブッキングや


予約が入ってなかったりするからだ。






なんと言っても


カンボジアで



女性を探さねばならない。





彼女は


アンコールワットの近くで


前回、一度だけ会った。




も一度


同じ場所へ行ってみたいと思っている。




運良く会えればいいのだが。




この旅は


まだ始まったばかりだ。






スムーズにいく旅は


面白くない。





人生も


旅も




予定通りに行かないから


面白いのだ。




もちろん



後で笑い話にできるほどの


トラブルであって欲しいが。




シリアスな問題は


ごめんだ。





小さな問題を


多く処理することで




問題解決能力が


養われていく。




慌てず


怯(ひる)まず、




冷静に処することが望まれる。





とはいえ


正直なところ

トラブルは厄介だ。





できることなら



スムーズにいって欲しいものだ。





それでも


問題は必ず起きる。




さて、



今日もどんな問題が待っているのやら。




やれやれ、だ。

ハノイに着きました

2011年11月29日 | 結婚
やっとハノイのホテルにチェックイン。


今、SKYPE でFREE TALK のみんなと話しました。


facebook が規制がかかっていて開きません。



とりあえず、

このブログで状況伝えていきます。




明日は、


カンボジアに行くので


そこではfacebookつながるかも。



とりあえずご報告まで。


またネ。

ベトナムとカンボジアへ その目的は?

2011年11月29日 | 
また


旅に出る。




何をしに行くのかと

よく聞かれる。




ちょくちょく行くので

仕事ですか?

とも聞かれる。





仕事といえば

いつも仕事を兼ねてはいる。




つまり


単純に遊びや観光に行っても




つねに


ビジネスチャンスを考える。




ビジネスとは


遊びの中に転がっているものだ








観光ですかと聞かれることも多い。



観光というには


もう何度も行きすぎて



物見遊山的には

余り観るところはほとんどない。





ハノイは15回目だし、



カンボジアも2度目だ。







観るのは



観光名所ではなく


人だ。



もっぱら

暮らしている人々だ。




Peaple Watching は


ボクの趣味の一つである。





どの町に行っても、


どの都会へ行っても




人の行き交う姿を見ていると


それだけで楽しい。





そして


何かを感じる。




何かとは、


何か?




ただ

「何か」 なのである。




その 「何か」 は


行くたびに変わるから


なかなか説明できない。




「何か」 としか言いようがない。




しかし


その


感じる 「何か」 にこそ


ビジネスチャンスが隠れているのだ






人のニーズ、

社会のニーズが分る。




ただ

ボーッと見ていると


見逃してしまう物にこそ


ビジネスの種が潜んでいる。





いつもそういう目で見ている。




とはいえ

いきなりビジネスに結びつくわけではない。



まず、


アイデアが浮かぶ。



「何か」 ひらめく物がある。




そこから


具体的案が形をなして


ビジネスとなって発展していくケースが多い。




もちろん


そうなんでもかんでも、とはいかない。



そして

仮に

ビジネスにまで発展しても



うまくいくかどうかは


また別物だ。








いくつか


具体例を示そう。





ベトナムに関しては


当初

コーヒーに目をつけた。




世界第二のコーヒー生産国であることは


余り知られていない。



あんな暑い国なのに


街はカフェだらけだ。




濃いドリップ式のコーヒーに


練乳をタップリ入れて


甘~くして飲むのが一般的だ。




これに氷を入れた


アイスコーヒーは


特にボクのお気に入りでもある。





今回の

インターナショナル・カフェ

『フリートーク』 だって




その延長線上にあることは


言うまでもない。





単に


ベトナムのカフェをマネするのではなく


その他の要素を取り入れた複合的な形を



オリジナルとして作り上げる







焼き物にしてもそうだ。


ベトナムには

バチャン焼きという



有名な焼き物がある。




 『招き犬 ラッピー』  を作ったのも


そこだ。









さて今回は?



ベトナムの魅力の一つは



いうまでもなく

女性だ。




それも


アオザイを着た女性だ。



世界で一番


色っぽい民族衣装だと思っている。




それは


以前にもこのブログに書いたことがある。





そこで


ピンと来た。





どういう風にか。






今回は

着物を持ち込んでいる。


日本の着物だ。




これを


アオザイに仕立て直すのだ。



日本の着物の


生地、柄のアオザイ。






ウ~ン、



想像しただけでも


ムラムラ




いや


ワクワクする。





今や日本で着物を着る人は少ない。


着物専門のリサイクルショップでは



ウールや正絹の着物が



ナント



なんと






100円で売っている。




日本でも


アオザイを着物に仕立て直しているところはある。




しかし


仕立代が高いのだ。



2~3万はする。






今回



着物を5着ベトナムに持ち込む。




試作品として


作ってもらうためだ。





仕立代はまだ聞いていない。



数百円でできるかもしれない。





できあがった


着物のアオザイを



数千円~1万円ぐらいで売れれば



ニーズがあるかもしれない。



ベトナムでも、日本でも。






ざっとこんな考えだ。




手の内をばらしてしまったら


先にマネするやつが出るかもしれない。




マネされる物なら


いずれはそうなる。




ボクのやり方をマネしたからと


うまくいくとは限らない。





マネからは


マネーは生まない。





オリジナルでなければ


付加価値はつかない








さて


そういう訳で



またまたベトナムに飛ぶのだが



着物ビジネスは


あくまでも




ついでである。






主たる目的は


当然





遊びだ。






食べて、


飲んで、



観て



寛ぐ。




これに尽きる。





旅とは

そういうものなのだ。





さて


そろそろ飛行機のチェックイン時間が迫っている。





今回も


福岡から


台北経由で


ハノイにまず飛ぶ。





それから


明日は



カンボジア・シエムリアップへと飛ぶ。




カンボジアへ行くのは


2回目だが、




もう一度


アンコールワットを訪れてみたかったからだ。





それともう一つ



大事な目的がある。






それは




それは







ある女性に会いたいためだ。



その女性を探さなければならない。




見つかるかどうかは分らない。



だけど、

その女性を見つけて



会うのが目的だ。




それだけでも



ムラムラ



いや



ワクワクするではないか。







もちろん、

ビジネスの種を探すことも

忘れない。




では、では


行って参るでござる。

今年、成長したのか

2011年11月28日 | 人生
昨日に引き続き、


自分のことを振り返ってみた。





今年



自分の身に起きた大きな変化は


今まで再三述べてきた



 「フリートーク」 


を4月にオープンさせたことだ。




そして


この一点に


賭けてきた。





この出来事は



ボクの生活を


一変、一新させ、




これは


苦行ではないかと思えるほど

ボクを鍛えてくれている。





そして


これは


天災や事故などと違って




自分で意図的に

仕掛けたことなのだ。





すべての

義務と責任は



自分自身にある。





何もムリしてまで

そうする必要はなかった。




オープンさせなければ

こんなに苦しむことはなかっただろう。




こんなに


散財することもなかっただろう。



とうとう

なけなしの金を

はたいてしまった。







ジッとしておけば


何事もなく


無難な生活が送れたかもしれない。




ボクは


一度、

49歳でセミリタイア生活に入った。



無借金生活に入り、


ほとんどの物質的欲望は


叶えられていた

(錯覚だったが)。





そのまましておけば


悠々自適の生活が送れたかもしれない。




だが

やり残したこと


やりたいことがヒョイと出てきたのだ。




それに


セミリタイア生活などは



退屈で

退屈でたまらない。



まるで刺激がない。



昼行灯(ひるあんどん)のように


昼間からボ~ッとしているのは


耐えがたい。






このままだと


おそらく



いや、確実に



認知症か


アルツハイマーを患っていただろう。





『遊遊自的』 の方が


性分に合っている。






やりたいことが


頭をもたげると


居ても立ってもいられなくなる。




何かに押されるように


突き進んでしまう。




まるで


神の手が



いや

悪魔の手かもしれないが


背中にくっついているかのように。


(願わくば


女神様なら

抱いておきたいところだ)





始めた後で


アーア、

「辞めときゃイイのに」


と何度思ったことか。




だが


自問自答してみる。




もし、やらなかったら


絶対に


後悔する。




「やりたい虫」 が


蠢(うごめ)きだしたら


もう無視できない。




どうやら


勝手に虫が動き出してしまうようだ。





そして

とうとう



ドツボにはまる。




これが


ボクの人生の

パターン。








動かざるを得ない

も一つの理由は、




実は



そんな自分が好きなのだ。




飽くなき挑戦を続け、


もがき苦しむ自分の姿が。




根っからの


ナルシストなのだろう。


プラス

「M」 の気が・・・?。





だが


誰しも


まず自分を好きにならなければ




人を愛することすらできないのではないだろうか。




ましてや

嫌いな自分を

誰が愛してくれよう。





人はだれしも


自分が一番可愛いいはずだ。








と言うわけで


今年


自分が成長できたかどうかは



未だ不明である。




来年になって初めて


分るだろう。





とりあえずは

丸一年過ぎてみないことには。




来年の4月。





入試を控えた


受験生のように



今は


がむしゃらに

勉強中 (修行中)といったところだ。




ただ


合格しても(一年が過ぎても)


猛勉強(修行)の手を緩めることなどできないが。







改めて

過去を振り返れば




「やらなきゃよかった」

と思うことは


一度もない。




すべてがうまくいった訳ではないが

(むしろ失敗の方が多い)


失敗ごとも含めて




すべて


「やってよかった」 

と思うことばかりだ。




だから


今の自分がここにある。








老婆心ながら

後輩諸氏に言いたい。




「やりたいことは


やりなはれ」


(なぜか松下幸之助風になってしまった)




昨日と同じことを繰り返すのだが



「やらずに後悔より


やって、反省」 



する生き方を選ぼう。




どうせ





死んでいくのだから。




わっはっはっは、と


 『笑って死ぬ』 




これが最高な生き方だと思う。





生まれたときは、


自分(赤ん坊)が泣いて


周囲が喜ぶ。





死ぬときは、


周囲は泣いてくれるが

自分が(棺桶の中で)笑う。




これが


理想的な人生だと言われる。








あのとき

「やっときゃよかった」


などと



死んでも思いたくない。




やりたいことは


やり尽くした。




思い残すことは一切ない。




たとえ


今死んでも





そう言える 「気概」 と



「覚悟」
 で



一日一日を送る。





そして


毎晩

寝る前に



「ありがとうございます!」

と感謝を述べ





高らかに笑うのだ。


ワッハッハッッハ!!




【今日の補足】



頭 (を使い) も、


体 (を鍛え) も、


心 (を磨く)
 
 も



死ぬまで


鍛えなければ



衰退してしまうだけだ。





人は


死ぬまで


成長し続けることができる。




生涯


 『成長期』

でなければならない。

何故、成長できないのか 

2011年11月27日 | 人生
今年も残すところ


一ヶ月余り。




今年を振り返り


どんな成長と遂げたか?



自問してみた。







その前に、



成長しない人とは


どんな人を言うのだろうか。





自分を含め、


周りの人のことを考えてみる。






去年の自分と


今年、


あるいは

今の自分を比較して



どんな変化があったか。





一歳年をとっただけで、


生活環境が


全く変化していないかもしれない。




あるいは


逆に

後退しているかもしれない。







成長できない人には


共通点がある。





自分を


決め込んでいる人。





自分は


こんなものだと思い込んでいる人。




こういう人は



変わりたくても

変わりようがない。





つまり


そこから全く動こうとしないのだ。




ある意味


現状に満足しているか





もしくは


動けば


今の均衡状態が崩れると


考え(恐れ)ている。





だから


変化を嫌う。







成長するには



何らかの変化を遂げなければならない。





言い方をかえれば




成長は


必ず

変化を伴う。




もちろん


動いただけで、

何かが変わればいいというものでもない。






成長や


発展を望まない人はほとんどいないだろう。





だが


何かをすれば


そこには


失敗や


後退という危険性が潜んでいる。





そこに


恐れが出る。




何かをしたいという


欲望より



失敗するかもという


恐れが勝ると


人は動かなくなる。





恐れに打ち勝つもの、




それは




勇気だ。



恐れという


心のブレーキを外すことが肝心だろう。







次に、


成長するには、





自分を取り巻く環境が変わるのではなく



自分自身が変わらなければならない。






ところが



成長しない人は、




周りだけを変えようとして


自分自身を全く変えようとしない人に多い。





勢い


何事も


周りのせいにしたがる。




これでは


自分が変わりたくても


変わりようがない。







先に述べたように



変化とは、



良くなるだけでなく


悪くなる場合もある。





ただ

何もしないから


悪くならないとも限らない。




何もしなかったために


状況がが悪くなることは



よくあることだ。





どうしても


何らかの手を打たなければならないときがある。



つまり


動かざるを得ない場合だ。






明らかに


何かしなければ

状況が悪化する場合、




何もしないで悪くなるより


何かをしたから

何かをしようとしたから



何かに挑戦したために




状況を悪くしてしまったほうが



後悔は少ないような気がする。






精一杯努力した結果であれば




諦めもつくだろう。




「人は


何かをして


後悔するより




何もしなくて


後悔する方が多い」




と言われる所以かもしれない。





ほとんど



死ぬ間際になって気がつくらしい。






失敗は


成功のための



布石なのだ。






後退は



成長のための


試金石なのだ。





そう考えれば




失敗も成功の礎となる。




ジッとしてないで


まず



動いてみよう。




キット


何かが見えてくるはずだ。






【今日の補足】



もう


人のせいや


環境や世の中といった周りのせいにするのは




辞めよう。




愚痴を言うのは


辞めにしよう。




それを言ったからといって


何かが変わるものではない。





すべては


自分のせい。



身から出た錆なのだから。






ただ


良いことが起きたら




人のせいにしよう。


その場合は



  「お蔭」   という。





自分を過信しない、



つまり


自惚れない、



天狗にならない。







誰かのお蔭で



運良く


たまたま


良いことが起きたのだ。




深く感謝しよう。






そして


今度は



自分が


誰かのためになることをしよう。




そうできるよう



ひたすら

自分を磨こう。





そうすることで


回り回って

またまた



良いことが起きる。





人は


そうして





成長していくものだ、


と思う。

11月26日(土)のつぶやき

2011年11月27日 | 結婚
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この動画はお薦めです -- ぺちゃくちゃナイトKumamotoVol.1 かじえいせい http://t.co/0eAvGxg6 via @youtube
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ぺちゃくちゃナイトKumamotoVol.1 かじえいせい

2011年11月26日 | 生活
ぺちゃくちゃナイトKumamotoVol.1 かじえいせい



これが


昨夜の

 「ぺちゃくちゃナイト」   本番です。



プレゼンター


14人のうち


4番目の出番でした。







内容や、


パワポ作り



発表の仕方など


いろんな人のアドバイスを受けました。





結果、


初めてにしては


まずまずのできでした。




こうの機会を作ってくださった


皆さん、


オーディエンスの方々に


感謝いたします。






これからも


ますますポリッシュして




自分の限界(以上)に


挑戦を続けていきます。








この 「ペチャナイ」 は



福岡や


北九州でも行われているそうです。




ぜひ、


皆さんも


挑戦してみてください。





自分を見直す、


自分をより知る機会にもなりますよ。





ボクも


最後に


「See you again」


言っていますので、


再度挑戦を目指します。




ご指導の方も

よろしくお願いします。



 Don't Settle.


Keep Challenging!
 




【補足】

今日午前11時25分からの


KKT (熊本県民テレビ) のニュースに


出るそうですよ。



ぜひ観てネ。

変人になろう

2011年11月25日 | 人生
 『変』 

年末恒例の


今年を象徴する漢字というわけではない。




気象条件や

自然環境が変わってきていることは



誰しも感じるところだろう。



むしろ


「変」 が 「変」 でなくなってきているところに


危険性が潜む。







だが



こと人間においては


相変わらず



『変』 が遅い。





人はなかなか


変われない。




変わろうともしない。






自分を固定しておいて


周り(の人)を変えようとヤッキだ。





町おこしに必要な人材の定番である


「若者、ばか者、よそ者」 も



『変』 を意味するものだろう。



つまり


上記3者は、


「変」 であることが根底にある。






過去のほとんどの


偉業や発明は



「変人」 によってもたらされたといえる。





これからは



今まで以上に



「変人」 が求められる時代になるだろう。





今までは



常識的に



普遍(不変)的に



生きることが


ある意味美徳とされた。





調和ばかりを重んじる余り、



出る杭は打たれることを恐れて



目立たず、


叫ばず、



物言わず


をひたすら貫き通せば




無難に生涯を終えられた。



(物言えばどうなるかは

巨人のお家騒動がいい例だ)





だが


これからは(いや既に)



企業の面接でも



「あなたの変人度は?」


等と聞かれたりもする時代である。




変人度の度が過ぎて


奇人であったり、


変態だったりするのは




論外だが、




多少の変人度があった方が


好まれ、


興味深いは間違いないだろう。





つまり



「変わり種」 が重んじられるのだ。




スティーブ・ジョブズが


「Be foolish」

といったのも



そういう意味だろう。




different

freaky


eccentic


various


oddball


weird



などが


外資系企業で求められる人材の



キーワードとなっている。








いままで


肩身の狭かった


(そう思い込んでいる) 変人も



これからは




もっと自信を持って


表舞台に躍り出てはどうだろうか。





そのほうが



人のため、


社会のため、


世界のためになるのだから。

ドン・キホーテのように

2011年11月24日 | 人生
自分の原点が


何だったのか。





小学生の頃


抱いた夢がある。




それから


半世紀が過ぎた今も




変わらず


往時のままの夢を追い続けている。







どんなに打ちのめされても



いかなる挫折を味わっても



幾度となく裏切られても、







未来を信じ、



人を信じ、




自分を信じて





ただひたすらに



愚直に


素直に、




真っ直ぐに





諦めることなく


追い求めてきた。







どんなに





罵(ののし)られようと



非難されようと




嫌われようと



憎まれようと






笑われ


馬鹿にされようが、





夢を諦めなかった。






夢は膨らみ、



成長し、




ときに



形を変えることもあった。








草原は限りなく広い。




大草原の先には



さらに


草原が広がり



ボクを

待っている。





朝日の昇る草原もあれば



夕陽を優しく包んでくれる



草原もある。






ボクは




さらなる大草原を求めて






ただただ




ドン・キホーテのように



前に進むだけだ。





【補足 or 蛇足】


ドン・キホーテって


ディスカウントストアの

ドンキホーテ

じゃなくて、



セルバンテスの

「ドン・キホーテ」
 だよ。



知ってる?