世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

外国人労働者

2014年01月31日 | 国際
多くの新興国や発展途上国から日本に来るには

特殊な場合を除き、一般的には次の3つの方法しかない。


留学生。

研修生。

そして、日本人と結婚することだ。


単なる短期の観光でも厳しいビザが必要であり、

なかなか日本には入国できないのが現状だ。



そんな中、日本政府は研修生としての枠を大幅に増やそうとしている。


なぜか?


震災復興特需で建設案件が増大したことに加えて、

安倍政権が発足してから大型の公共事業が相次いだことで、

建設労働者不足が深刻になっている。


この状態にオリンピック特需が加わるわけですから、

人手不足はより深刻になっている。


政府はこうした事態の打開に向けて、

技能労働者を中心に外国人の受け入れ拡大を進めようとしているわけだ。


日本人は、労働人口の減少に加え、

賃金安から建設業につくものが少なくなっているのが現状だ。



それでなくても、これから日本には外国人が増えることは免れない事実である。


これは、日本に居ても外国人とかかわらずに生活することがますます困難になることを意味する。


日本人の英語力を伸ばすことは言うまでもなく、

外国人と接するためのダイバーシティ(多様性)とインスクルージョン(内包性)能力を磨くことが急務となるだろう。


それがこれからの日本の世界的位置づけを決定づけるものと考える。

日本人の一人一人が、世界に門戸(心)を開くべきである。

「女は家で育児が合理的」

2014年01月30日 | 家族
ひさびさの家族論。


NHK経営委員で埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏(67)が、

女性の社会進出が出生率を低下させたとし、

男女共同参画社会基本法などを批判するコラムを産経新聞に寄せ物議を醸している。





このところお騒がせなNHKだ。


長谷川氏は、

「『性別役割分担』は哺乳動物の一員である人間にとって、きわめて自然」と述べ、


日本の少子化問題の解決策として、

女性が家で子を産み育て男性が妻と子を養うのが合理的と主張。


女性に社会進出を促す男女雇用機会均等法の思想は個人の生き方への干渉だと批判し、

政府に対し「誤りを反省して方向を転ずべき」と求めた。


「反フェミニズム」論としてなかなか勇気のある発言だ。


共稼ぎがあたり前のようになっている現代。


ただ、 専業主婦を志向する人は増えている。

2012年の内閣府世論調査では性別役割分業を支持する人が半数を超え、

1992年以来初めて増加に転じた。



「夫は外、妻は家」という性別役割分業が、少子化対策になるのか、

という議論は古くて新しい。


こういう時いつも引き合いに出されるの北欧やフランスだ。


北欧などでは役割分業ではなく、

女性も男性も外で働きながら育児をしやすいよう支援して出生率が回復した。


スウェーデンでは保育所などの支援が手厚く、

父親の育児休業取得率が8割という調査結果もある。


フランスは労働時間の短縮などで出生率回復に成功した。


「先進国の少子化対策の常識は性別役割分業とは逆で男女共同参画が前提」

とフェミニストはいう。


「経済が右肩上がりだった時代でなくなった今、

夫婦2人で働かないと立ちゆかない世帯も多い。

育児も仕事も分け合う方が若い世代の現状には合うし、合理的です」

とうそぶく(boast)者もいる。




だがチョッと待ってよ。

二つの観点が抜け落ちているのではないか。


一つは、

本当に経済的に苦しいのか?ということ。


家や車のローンを抱え、外食をし、服や持ち物にあふれ、

スマートフォーンを持ち歩き習い事に勤しむ。

それでは苦しくもなるでしょう。

子供にも辛抱ということを教えないと。



もう一つは、

肝心な子共のことが無視された議論になっていることだ。


親の都合だけで議論が進んでいる。

残される子供の気持ちは一体どうなんだ。


親がなくても子は育つ、かもしれない。

親が共働きで育った子供も、平気だよというかもしれない。



本心だろうか。


ボクも子供の頃一時期両親がいなかった。

言わなかったが、決して平気ではなかった。

子供心に寂しかった。


お母さんにいて欲しかった。

これが正直な気持ちだ。



ひところDINKという言葉が流行った。

"Double Incom No Kid" (子供無しの共働き)の意味だ。


子共を作る作らないは個人(夫婦)の問題だが、

子供のいる家族は、子共の気持ちも尊重して然るべきだ。


少なくとも小学生、または10歳くらいまでは子供のそばにいてほしい。



子供が手を離れれば、好きなようにやればいい。

それからでも遅くはない。



【今日の格言】


「船頭多くして船山に登る」

Too many cooks spoil the broth.


船に船頭が二人いたらおかしくなるように

家に大黒柱や主婦は二人はらない。



ただ、昨今、

母親が働きに出て、

主夫が子供の面倒を見ることはあってもいいかもしれない。



議論は尽きないだろうが、

歴史がそれを証明するだろう。




【追記】

ヨーロッパの教育、子育て、家族観については、

これも一概に日本に取り入れることはできないだろう。


必ずしもいいとは限らない。

この議論は、また別の機会に。

英語ができると海外に行ける??

2014年01月29日 | 英語
英語ができるから海外に行けるのか、

海外に行くから英語ができるのか。


鶏が先か卵が先かの議論を待つまでもなく、

これは後者が的を得ていると思う。


つまり、英語ができなくても海外に行くことで

自ずと英会話力は付いてくる。


ボクがそのいい例だ。


旅を重ねるうちに自分の英語力が伸びていくのを実感してきた。


中には机上で英語をマスターした人もいる。

経験を積まず、頭の中だけでマスターしても、

会話の中身が伴わなければ、文字通り机上の空論(an armchair theory [plan])になりかねない。


英語はあくまでも会話、コミュニケーションの手段であって

大事なのは何を語るか、どう話すかといったその中身である。



英語にかかわらず、

物事を成すのには大きく分けて二通りのやり方がある。


準備万端にして本番に望む人と、

ある程度の準備で、本番で鍛えられていく人。


ボクは後者である。

これは善し悪しではなく性格の問題でもある。


英会話にても言える。

冒頭の、まず英語がしゃべれるようになってからやっと海外に出る。

ところが、あれほど完璧だと思った英語が、海外で通じない。

そこで愕然とする。


一方、無謀にも全く喋れなくても海外に飛び出し、

赤っ恥をかきながら現場現場で生の英語を体得していく。


資金にしてもそうだ。

何か事業を起こすに、資金を貯めて始める人と、

とりあえずあるものから始めていく人。


資格を取って始める人と、

資格なしでも始める人。


実践型と理論型というわけ方もできる。


どちらが成功の確率が高いか、

どちらが近道か、


それは分からない。


だが面白味があるのは、飛び込み型というか、実践型だろう。

無鉄砲なものほど後の語り草にもなるし、面白い。


さあ、準備に時間とお金をかけるより、

そこそこで思い切って飛び出してみないか。


案ずるより産むが易し(it is easier to do something than worry about it)というではないか。


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フリートークの英語のイベントが目白押しになってきた。

English events are packed.

English Salon,

英語でしゃべり隊、

ANJ

English game cards などなど。



そして今度、

「英語でドラマ」 を開催しようかと思っている。


字幕なしで英語のドラマや映画が見られたらどんなにいいだろうか。

誰しも思うことだ。


ドラマには生きた英語が満載だ。

ドラマを見ながらどうやれば英会話をモノにできるか、などをアドバイスする。


詳しくはfacebookのイベントでお知らせします。

乞う、ご期待。(Don't miss it!)



【補足】


英語の習得は、何より楽しんでやることが大切。


何事もそうだが、眉間にシワを寄せ(frown)、

苦虫を潰したような顔(making a sour face)をしながら覚えてもつまらない。


実際人と話をする時の表情になるから。



何を犠牲にしてきたか

2014年01月28日 | ライフスタイル
人は、何かを得るためには何かを捨てなければならない。


ボクは、旅をこよなく愛し、自由を尊んできた。

そのために何を捨ててきたのだろうか。



一般に、人は孤独を忌み嫌う。


孤独には寂しい、惨め、後ろめたいというイメージがつきまとう。


だが、ボクは孤独が好きだ。

週に一度阿蘇の別荘で独り過ごす。

山懐の自然に抱かれて孤独を楽しむのだ。


ただ、昔から独りが好きだったわけではない。

好きになった。

好きにならざるを得なかった、と言ったほうが当たっているかもしれない。



自由を愛する人が、

自由のために家族もなく、生涯一人で生きているのと違い


ボクの場合、2度の結婚と、3人の子供を得ることができた。


2度結婚に失敗したというより、

2度も結婚できたと思う気持ちが強い。


まあ、相手から見れば無責任男に映るだろうが。

だが、3人の子供たちは立派に成長した。

ボクはそれを誇りに思っている。


もちろんそれは母親たちのお陰であり、

父親のボクは反面教師に過ぎなかった。


今でもボクは彼女たちに感謝している。


幸か不幸かボクは二人の嫁さんに逃げられた。

だが、子供たちはそれぞれ家庭を築き、仕事を持って自立している。


ボクはその間ただ一途に自由に我侭に生きてきただけだ。

よっぽど母親たちが偉かったに違いない。



そういう訳で、お陰さまで未だにボクは自由を満喫している。

それもこれも、ボクの両親、そして二人の嫁、三人の子供たちのお陰である。


それを想うたびに、ボクはなんて幸せものなのだろうと感じてしまう。


だからこそ、自由の中にいて自分なりに何か恩返しをしなければと

目下、社会起業という形で仕事に打ち込んでいる。


ただ、人はこれさえもボクを身勝手、我が儘、いい加減、無責任だと決め付けたがる。


だが、所詮自由とはそんなものなのだ。

開き直ることも一つの処世術だと心得ている。




自由と孤独はセットになっている。

孤独に耐えられなければ自由を得ることなどできない。


幸い、ボクは孤独さえも楽しむことができる体質を持っている。

というか、ボクにとってはいかなる状況も孤独で有り得ないのかもしれない。


どこにいてもネットでつながり、

どこに行っても愛人、オッとそうじゃなかった、友人が出来る得意技を所有している。


独りでいることが決して孤独ではない。

誰とも繋がりのないことが孤独なのだ。


ボクはむしろ、二人でいるとき、大勢でいるときの方が孤独を感じる時がある。

大都会で孤独を感じたことは何度かあった。

だが、自然の中に身をおいて孤独だと思ったことは一度もない。

宇宙との一体感が心を満たしてくれるからかもしれない。


ただ自然の驚異を感じたことはある。

嵐の時地響きのような音に襲われた恐怖は今でもトラウマになっている。


おそらくボクは死ぬまで自由を手放すことはないだろう。


では、そのため何を犠牲にしてきただろうか。

Nothing.

何もない。

ボクはすべてを手にしてきたといっても決して過言ではない。


こう言うと、強欲で傲慢で嫌な奴だとまた嫌われそうだが。


たとえそうだとしても、

犠牲にしたものがあっただろうかと感じてしまうのは事実だ。


なぜなら、今までの出来事、犠牲にしたであろうことも

すべてが意味のあることだと思うからだ。


今のボクには家庭がない。

それは家庭を犠牲にしたことになるのだろうか。


否。

少なくともボクの中ではそうは思えない。


家庭が自然消滅したことで、ボクはさらなる自由を得た。

それで孤独を感じたこともない。


世間的には、

家庭がない = 可哀想 = 孤独 = 不幸

という縮図が映るかもしれない。


だが実際は、

家庭がない = 自由 = 孤独 = 好きに旅ができる = 幸せ

なのだ。


家庭がなくても、

家族はいる、愛する人はいることが救いなのだとは思う。


人は自分の居場所を求めてさまようかもしれない。

だが、ボクは居場所を捨てて自由を満喫する。


流浪の人生こそ、ボクの生き方なのだ。



【追記】


好きな人と一緒に旅をすることも素敵なことだと思う。

(ボクは今まで充分それをしてきた)


だが、一人旅はもっと素敵なことなのだ。

そして、行った先々で現地の人と繋がる。



二人の世界はexclusive(排他的)になりやすい。

だが、孤独の世界はinclusiveで (内包的、誰でもを受け入れる)いることができる。


二人の世界は、ある意味そこで完結しているが、

孤独(独り)の世界は未知数であり、あらゆる可能性を内包している。


二人の世界は安定を求めるが、

孤独(独り)の世界は変化を呼び起こす。


二人の世界は不変に美を求め、

孤独(独り)の世界は危うさに陶酔する。


孤独で自由であることは、なんと美的であることか。

1月27日(月)のつぶやき

2014年01月28日 | 音楽

日本人よ、目を覚ませ! 
   世界の流れに耳を傾けよう goo.gl/eOMdZm



リバース・イノベーション

2014年01月27日 | 国際
国や人には誇りがあって然るべきだ。


だが、いつしか誇りが奢りに変わるとき

その誇りがアダ(wastefulness、uselessness、falsehood)となる。


アメリカがそのいい例だ。

アメリカは誇りと奢りの狭間で揺れ続けている。


今、日本もその域に達している。

”Made in Japan” という技術に溺れたのだ。

”Made in Japan”といえば、世界に誇れる響きがある。


家電や自動車、造船技術や道路、トンネル、橋などの製造は世界に誇れるものがある。


ところがいつしか、

”Japan as No,1” という言葉に踊らされ、

お山の大将になってしまった。


情報社会の今、技術は驚く程の速さで世界に流れ

追いつけ追い越せとばかりに新興国が頭角を現した。


追われるものの立場として、

日本は負けじとさらなる技術革新に走る。


そしてあとを振り返った時、

誰もついて来ていない事に気づく。


みんな違う道を走っていたのだ。

日本を横目で見ながら、並行した別の道を走っていた。

あるものは日本を追い越してしまった。



技術力こそ最高と勘違いした日本は併走する他国を尻目に

ますます独自の技術革新に溺れていく。


そしてその度に、世界の流れから取り残されてしまうのだ。


日本の人口が増加し、経済成長の真っ只中にあるときはそれでよかった。

だが、今、人口は減少し、極端な高齢化社会を迎えた。


一度知った甘い蜜の味はなかなか忘れられない。

バブルの夢よ再びと期待する愚か者も後を絶たない。


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日本は目覚めなければならない。

謙虚になって全く違う目線から物事を見なければならない。


薄く、軽く、便利さの追求はほどほどで良いのだ。

日本は多くの革新的情報の多くをアメリカから仕入れてきた。


そして、アメリカより優れた技術やサービスを編み出してきた。

コンビニ然り、ディズニーランド然り。


日本独自のサービス精神でアメリカを抜きん出た。

だが、何事も行き過ぎは禁物だ。


そして、奢りに溺れては本末転倒だろう。



日本人はもっと謙虚になって耳を澄ますべきではないか。

もっともっと世界に目を向けるべきではないだろうか。


一部の日本人はそうしてまだ世界に残っている。

だが、まだほとんどの日本人はぬるま湯に浸かり、

コンフォートゾーンから抜け出そうとはしない。


日本の技術は世界最高だという過去の亡霊にとりつかれたままだ。


ボクはかつて日本をダメにした三要素を上げた。

塾と保育園とパチンコだ。

(この議論は、過去嫌というほどしてきた)



そして今、新たな脅威が日本を席巻している。

それは、


それは、


コンビニだ。

その空間で、生活の大半が完結する。

恐ろしいくらいだ。


コンビニエンスとは便利さを意味する。

人類の進化は便利さの追求にあった。

そして一度手に入れた便利さはもう手放すことができなくなる。


それはアダムとイブ以来一貫して変わらぬ原理だ。


つまり便利さ、快感の裏には苦悩が控えている。

日本人はそこに早く気づくべきだろう。


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話を元に戻そう。


日本は未だ、「良いものは売れる」という「日本神話」に取り憑かれている。


だが、世界の流れは、


「そこそこ良くて、安いもの」が主流となっている。


「日本製品は優れている」 ことは今でも世界中が認めるところだ。


だけど、「高くて無駄が多い」ということも世界の常識となっていることを忘れてはならない。

スマホの機能をどれだけ駆使しているか、

テレビやエアコンの機能を全部使っているか、を考えれば一目瞭然だ。


"Simple is the best" こそが世界の主流なのだ。



日本人は、誇りを保ったままもっと素直に、謙虚になって

物事を考える必要があるのではないか。



世界を旅すれば、不便なことがいっぱいある。

水も電気も道路も整備されていないところがまだいっぱい残されている。


それでも人々は逞(たくま)しく生きている。

必死で生きている。


そこまで戻る必要なないが(また戻れないし)

少しは便利さという無駄を削ぎ落として生きてみないか。


少しは不便さを味わって暮らしてみないか。

世界の声に耳を傾けてみないか。



日本人はあまりに優れた民族であるからして

ややもすると独りよがりに陥ることがある。


それがかつての戦争をもたらしたことは否めない。

今また、いつかきた道を歩もうとしている危険が迫っている。


もっと謙虚に、素直になって世界を見渡してみよう。


そこには日本人が見習うべき姿がある。

日本人が置き忘れた大切なものがあるはずだ。




マルチリンガルへの道

2014年01月26日 | 国際
偶然とは思えない。


現在、ベトナム語と中国語を並行して学んでいるが、

中国語、特に広東語とベトナム語はすごく共通点があることに気づいた。


そして、調べてみると驚くべきことが判明した。


ベトナム語の語順はは中国語と共通点もあるし

音の上がり下がりの声調も、中国語とどことなく似ていると感じた。


ただ発音は本当に難しい

…口の開き方とか舌の位置とかの微妙な違いで音と意味が全く違ってくる。




そもそもベトナムは

中国南部の越にいた京(ジン)族が南下してインドシナ半島に居を構えた国である。

そして、紀元後千年間は中国に属していた。


そのため日本同様漢字文化が浸透していた。

現在もお寺とか行くと漢字で書かれたものが残っている。


ベトナムと言う国名も“越南”の中国語読みである。



驚くべきことに、日本語にも似ている。



今日のベトナム語の実に95%近くが中国語(漢語)から来ているといわれる。

日本で我々が日常使っている2字熟語なども同じようにベトナムで使われている。


だから、多くのベトナム語の単語は漢字に置き換えることが可能だ。


例えば、

ありがとうはベトナム語で Cam on (カーム オン)と言うが、

漢字に置き換えると「感恩」となる。


どの言葉がどの漢字に該当するかがわかってくると、

知らない単語でも推測できるようになってくるらしい。


この点は、漢字を理解する日本人にとっては非常に馴染みやすい言語と言える。


しかも、動詞や形容詞の活用もなく、

時制表現も非常にシンプルで、

他言語のように活用を覚えるのに労力をさく必要がないのはありがたい。


例えば「注意」って日本語で「ちゅうい」、というが、

ベトナム語でも「チューイー」って言う。


「意見」も「イーキエン」、

「研究」は「ギエンキュー」、

「天然」は「ティエンニィエン」、

「準備」も「チュアンビ」

これらは全て中国語から来ている言葉だ。


その他、結婚、水産、公安などもほとんどそのまま読める。


分かりやすく言うと今日のベトナム語の単語のほとんどが漢字に当てはめることができるのだ。


広東語と北京語の違いより、

広東語とベトナム語の違いの方が少ないと言いうから驚きだ。




このように言語に興味を持つと、

その国の歴史にも興味がわいてくる。



ボクの大学は外国語大学で、スペイン語(イスパニア語)を専攻していたが、

当然、スペインはもとより、ヨーロッパの歴史、文化、


さらには中南米のそれらにも興味を抱いて調べたものだ。



何かに興味を持ち、そこから掘り下げていけば、

なんにせよ奥深く知識が広まるのは間違いない。



ひとつ外国語をマスターすれば、

他の言語も面白いように吸収していくことは新たな発見といって良いだろう。



英語のみならず、できるだけ多くの言語に挑戦してみよう。



We're good team.

2014年01月25日 | 
フリートークの新しいマネージャーが来て3ヶ月になる。


一旦は落ち込んだゲストの数も徐々に持ち返している。

彼の努力のおかげであり、感謝している。


彼はアメリカ人であり、料理もでき知識にも長けている。


あくまでも彼は彼のスタイルを貫く。

ボクは彼のやり方にほとんど口を出さない。


彼を尊重し、信頼して任せているからだ。

彼は言われなくても自分の立場を理解している。


彼は言う、


"We're good team"

チーム、いい響きだ。



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ボクはアメリカが大好きだ。

アメリカに憧れ、アメリカを目指し、アメリカを真似した。


ボクのアメリカへの憧れの原点は、

TV映画「ルート66」だった。



「ルート66」は。 1960年から4年間全米で放映され、

日本では1962年から122回にわたった放映され人気を博した。


中学生だったボクは、食い入るようにこのドラマを見たものだった。


内容は、

ふたりの若者が、

ロスアンゼルスとシカゴを結ぶこの道路を

コルベットのオープン・スティングレ-でドライブしながら

その途中で遭遇する出来事を演じたロードムービーだ。




主人公の「ルート66」の旅の中での出会いを通し、

豊かな人間性をつかんでいくストーリーは当時のアメリカの人々の精神そのもので、


60年代の日本のあるべき姿とかぶって見えた。


アメリカ行きたい、

あの道を走って旅したい。


そして、このドラマを通じて

旅には人生ドラマがあることを当時から感じていた。


そしてボクはこの「ルート66」が通るすべての州を制覇した。



それは、

イリノイ、ミズリー、カンザス、オクラホマ、テキサス、

ニューメキシコ、アリゾナ、そしてカリフォルニアの8州だ。


ナットキングコールの歌の中にも地名が出てくる。


Route 66
- Nat King Cole

If you ever plan
to motor West
Travel my way take
the highway that’s the best
Get your kicks on Route 66

It winds from
Chicago to L.A.
More than two thousand miles
all the way
Get your kicks on Route 66

Now you go through Saint Louis
Joplin, Missouri,
and Oklahoma City
looks mighty pretty
You see Amarillo, Gallup,
New Mexico, Flagstaff,
Arizona
Don’t forget Winona, Kingman,
Barstow, San Bernardino


Won’t you get hip
to this timely tip
And take
that California trip?
Get your kicks on Route 66

Won’t you get hip
to this timely tip
When you make
that California trip?
Get your kicks on Route 66
Get your kicks on on Route 66
Get your kicks on Route 66



カーラジオから流れる"Route 66"を聞き、

感激で涙しながらこの道を走ったものだ。


何度となくアメリカを訪れている。

良いも悪いも含めてボクには永遠の憧れの国である。


皮肉にも今、ボクはそのアメリカに勝った唯一の国、ベトナムに日参しているのは

運命の悪戯というやつだろうか。


ベトナムには未だにアメリカの匂いがしない。

対局をなしてそこがまた良い。




今年はアメリカを訪れるつもりだ。

カリフォルニアへ。


イマージョンキャンプの基地としてのゲストランチを開くために。

その下見に行く。


同行したい人はご一報を。


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ボクの夢は、すべて子供の頃に根付いたものだ。

それを引きずって今までずっと生きてきた。


”World Dream” を果たすため。

継続こそ力なり

2014年01月24日 | 人生
始めることに精一杯で、

そのあとのことを考えない。


始めることが最大の目標となってしまう。

つまり燃え尽き症候群だ。


「東大までの人と東大からの人」という本がある。

つまり東大に入ったもののそのまま燃え尽きてしまうケースと

そこから伸びる人の違いを書いた本だ。


田中將大投手のヤンキース入りが7年総額161億円という破格年俸で決まった。


甲子園の決勝ででハンカチ王子と言われた斎藤投手に敗れるものの

早稲田大学、日本ハムと進んだ斎藤投手との落差がはっきりした。


田中は甲子園で負けたことで発奮し、

斎藤はあそこで燃え尽きてしまったのか。


人生は下駄を履くまで、

いや、棺桶に脚を突っ込むまでわからない。



だから、死ぬまで諦めてはいけないのだ。

死ぬまで勝負は続いてるのだ。


生きる、生き抜くという覇気を無くしてはいけない。


死ぬまで成長を続けなければならない。

人生には3つの坂があると言われる。


上り坂と下り坂。

そして、まさかだ。


山あり谷ありが人生の常だが、

下ってもまた昇ることを忘れてはいけない。


そして、常にまさかに備えることも大切だ。


生きているうちは、命は継続している。

ならば、挑戦も継続して然るべきではないか。


使い古された言葉だが、

継続こそが力である。



イチローなどの野手と違って、

松坂に見られるように投手の寿命は短い。


田中の長い活躍に期待したい。