世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

起業のモチベーション

2012年09月30日 | 仕事
またゾロ起業の虫が動き出した。


ボクの身体の中にはいろんな虫が生息していて、

時にモゴモゴと動き出す。


それは、旅の虫であったり、恋の虫であったりする。


これらの虫たちは厄介だけど、

ボクの生きる力になっていることは間違いない。




人はそれぞれモチベーションを上げてくれる自分の虫を持っている。


だけど、中には全くそうした善玉虫を飼っていない人もいる。

あるいは、飼っていても動かないか動きの鈍い虫だったりする。



それは、欲求と言い換えてもいいものかもしれない。

欲求は、どちらかといえば本能に近いものとしてとらえられる。


俗に言われる3大欲求とは、食欲、眠欲、性欲だ。



ボクの持つ恋欲と性欲は必ずしも一致しない。

色欲とも一線を画す。


ボクのいう恋欲とは、プラトニック性とストイック性が強いからだ。



起業欲に関しては、

権力欲や名誉欲、金銭欲、物欲といったものの影は薄く、

むしろマズローの言う五段階目の「自己実現欲」に近いものだろう。


そしてボクの場合それは極めて独立性の高いものであるようだ。



さらに、忘れてならないのが、貢献欲だ。

単なる起業ではなく、社会起業たる源だ。




ボクの旅欲は、本能に近い。

その旅欲はどこから来るのだろうか。


源は、好奇心だろう。

未知なるものを知ろうとする知識欲と言えるかもしれない。


そもそも、好奇心とは、

好学、好色、好食(飲)、といったものを内包しているものだ。



また、好奇心は冒険欲とか

挑戦欲とかと言い換えてもいいだろう。


欲求の中には恐怖心といった負の欲もある。



そう考えると、

起業も、恋も、旅も、勇気を伴う冒険欲や挑戦欲なくしては語れない。



ボクにとっては、

永遠にアドベンチャー、チャレンジャーであリ続けることこそ

真の欲求なのかもしれない。




【蛇足】

欲によるあなたの性格は?

という性格判断によれば



集中力が高く、ストイックな面がある。

知識を得たり自分を向上させたりするためには

自分1人の時間がとても大切なはずです。

恋愛では、

終始恋人とベッタリ過ごすことを好まない傾向が強い。

お互いのプライバシーを侵害しない、

一定の距離をおいた付き合い方を好みます」 とあった。


当たっているみたい。



エロ心

2012年09月29日 | 人生
先日起業意欲について書いたが、

http://blog.goo.ne.jp/dreamincountry/e/70a73edd2ba0e174cd78ddd660268cc7

その中の一つに


『エロワルZiZi(ジイジ)の会』

として立ち上げる初めての企画がある。


名付けて「アオザイサロン」


通称、「アオサロ」


ピンサロと間違いそうな如何わしい名前だが、

極めて健全(?)なサロンである。



内容は企業秘密なので割愛するが

平たく言えば、

ベトナムの民族衣装を着た色っぽいお姉ちゃんがいるバーのことだ。


何度も何度も書いたので耳タコができたかもしれないが、

アオザイは世界で一番色っポイ民族衣装だと、ボクは固く信じている。


腰上までスリットが入っていてわき腹が見える。

なんともムラムラくる衣装なのだ。


通常中にはパンタロンをはくが、

アオサロでは、ショーツ一枚にする。


想像するだけでも、ヨダレが出る。


そして、ショーターム。

その涎を垂らしたスケベオヤジ(失礼)に、うちわを持たせ扇がせる。




名付けて、モンロータイム




ヨダレが鼻血に変わるとき、お開きとなる。


なんだ、結局企業秘密を明かしてしまった。

のっけからもったいぶる必要もなかったのだ。



事業計画書も出来上がっている。

テナントも目途がついた。



後は、実際やるかわいこチャンを見つけるだけ。

ダレかー!やらない!?



キャッチフレーズは

アオザイを着て、マリリンモンローになろう!!

ほとんど、意味不明??



【追記】

『エロワルZiZi(ジイジ)の会』

の会員を募集しています。


年齢、性別、国籍は問いません。

青年部、女性部もありますから。


規約見たい方は、ご一報くださいネ。

サングラスにまつわる話

2012年09月28日 | 国際
中国へ行った時のお話。


公園のベンチでサングラスをわきに置いた。

ふと気が付くと

横に座っていた男がボクのサングラスに手を伸ばそうとしていた。


ボクは思わずサングラスを掴んだ。


そしたら隣の男が思いもかけない言葉を発した。


「何するんだ、それは俺のサングラスだ。返せ!」 と。

それから押し問答が続いている。



―――――――――――――――――――――――――――

韓国へ行った時のお話。


公園のベンチでサングラスをわきに置いた。


ふと気が付くと

横にいた男がボクのサングラスをかけていた。


ボクは思わず言った。

「すいません、それは私のサングラスなんですけど、

返してもらえませんか」 と。


そしたら隣の男が思いもかけない言葉を発した。


「何言ってんだ。これはおれのサングラスだ」


取り返そうとすると

「近づいたらぶっ殺すぞ」 と威嚇する。


そうして男は平然とボクのサングラスをかけ続けている。



――――――――――――――――――――――――

二つともウソのようなホントの話である。


なんとも身につまされる話ではないか。

あまりにも現状を言い得て妙である。




村上春樹氏が、

東アジアの領土をめぐる問題について、

文化交流に影響を及ぼすことを憂慮するエッセーを朝日新聞に寄せている。


寄稿エッセー全文を載せておこう。



             ◇

 尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はまだわからない。だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。

 この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。

 僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。

 たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。

 このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた。文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。

 今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。

 国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。

 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。

 僕は『ねじまき鳥クロニクル』という小説の中で、一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈(しれつ)な戦争だった。日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬莢(やっきょう)や遺品がいまだに散らばる茫漠(ぼうばく)たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。

 最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。

 安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲(にじ)むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。





―――――――――――――――――――――――――

彼を批判する気はさらさらない。

むしろ全くその通りだと思う。


が、

村上春樹を外して(意識しないで)読んでみると、どうか。


安酒の酔いに似て、

なんて行(くだり)は作家としてさすがだと思うが

何の解決策も示していない。



シリアも同様、

戦争はいけない、殺し合いはいけない、

争いはいけない、

など誰しも思い、誰しもいえる言葉だ。



それは政治家がやればいい、などと丸投げしてはいけない。

政治家に任せた結果がこうなのだから。



『「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」

という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ』


と結論付けてはいる。

そして、『それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなる』、という。



状況や次元および評価は全く異なるが

割腹で自害した三島由紀夫もある意味対極にあったのかもしれない。

(あれは一種のクーデターめいていたが)



もちろん、個人レベルで報復措置などある訳がない。


われわれは、原爆を落とした相手にも敬意を払う民族なのだ。

日本人は、静かな姿勢を示すことのできる唯一の国民である、

と言っても過言ではあるまい。


すくなくとも一人一人が、範となる態度を取るべきだ。



今や、経済のみならず

隣近所に中国、韓国の人はいっぱいいる。


そして、その方々は少なからず肩身の狭い思いをしているのではなかろうか。

蔑(さげす)む必要などさらさらない。


今まで同様、温かく接しよう。


それが我々にできる最小限の行動だろう。


サングラスなら差し上げてもいい。

ただ、島一つを差し上げましょうとはなかなか言えないのも事実だ。



過去にいつまでもこだわることなく、

未来の展望をしっかり見つめて

個人レベルでも今我々にできることをしよう。



それがいずれ大きなうねりになることは

言わずとも歴史が証明している。




【補足】

安部元総理が自民党総裁になった。

次の選挙で自民党が返り咲けば彼が総理大臣となる。


極右とみられる彼が隣国とどう接するか

よ~く考えて一票を投じたいものだ。







マスコミ戦略

2012年09月27日 | 仕事
昨日フリートークで3度目のテレビ取材があった。





ボクは、有料の広告宣伝は一切しない。

新聞やミニコミ誌、ラジオ、テレビ取材はすべて無料のものばかりだ。


30年以上前から一貫してその姿勢を貫いてきた。



なぜ広告をしなくて宣伝(告知)できるのか。



それは、4つの「お」を徹底しているからだ。


つまり、


面白い、

オリジナル、

おもてなし

教え



の4つの精神だ。



この4つの「お」の精神のもと、

口コミでマスコミ各社に伝われば、必ず向こうからやってくる。


何か「変わった」、「面白いこと」をやっているところがある。

評判いいらしいぞ、となれば誰だって伝えたくなる。





だから、広告宣伝費はゼロである。



特にこだわるのは、オリジナルだ。


誰もやっていないことをやる。

無かったものをやる。



ただ、それが世間に受け入れられるためには

他の3つの、「面白い」と「おもてなし」と「教え」が必要になってくる。


変わったこと、独自のことをいくらやっても

受け入れられなければ、単なる変人でしかない。


趣味の域ならそれでもいいだろうが、

ビジネスとなればまったく違ってくる。


お金を払ってでもお客様が来てくださるものでなければ成り立たないのは当然のことだ。






今まで以上に、口コミ力は猛威を振る。

言わずと知れたインターネットの普及だ。


とくに、SNS

さらにfacebook の活用。


駆使すれば、無料でいくらでも情報を伝えることは出来る。

使わない手はない。


      これが最高のご褒美

中国包囲網

2012年09月26日 | 国際
中国崩壊論。

そもそも中国がアメリカにとって代わって世界の経済を牽引するなどという

妄想を抱くこと自体が間違っている。

買い被りもいいところだ。


労働力の安さとマーケットの巨大さだけに目を奪われて

中国頼みで進出した安易な賭けは早晩破綻することは目に見ていた。


軍事力と経済だけでは世界の覇者にはなれない。

それに伴う品位が求められる。


――――――――――――――――――――――

断ち切れるか「尖閣」発の経済悪循環

という記事が日経にある。


ニューヨーク・ダウ工業株30種平均が
あと600ドル強で2007年10月に記録した過去最高値を更新するというのに、

日本の株価指数は安値圏に張り付いたままだ。

底入れが遅れている中国経済は、
尖閣問題をめぐる日中対立が長引けば、
外国からの投資も減って一段と低迷する恐れがある。

中国経済の屈折は世界経済の足を引っ張り、
円高圧力が高まって、日本経済も追い込みかねない。

日本は経済が弱体化すれば、ますます周辺国に足元を見られる。

この悪循環を断ち切りたい。

と。



中国人気質を理解し、

中国の政治経済が砂上の楼閣であることを見抜けば

こうした過ちは避けられたであろう。


――――――――――――――――――――

中国の行く末は、

東西南北から包囲し、崩壊させることにある。


領土問題を仕掛けられている

日本、フィリピン、ベトナムは手を携えて

中国の覇権主義を国際社会に訴えるべきである。


メコン流域に当たるタイ、ラオス、カンボジアも

国境紛争とともに国際河川の権利をもっと主張すべきだ。



加えて、中国内部から崩壊させなければならない。

南部のチベット、西の新疆ウイグル地区、

そして北のモンゴル自治区だ。




これらは独立の機運が高く、連携して一斉蜂起すべきである。

最悪流血の覚悟も必要だろう。


それでなくても、チベットでは焼身自殺が相次いでいるのだから。

欲を言えば、同時に北朝鮮の金独裁政権も崩壊すべきだ。


そうして「アジアの春」と呼ばれる民主革命が成就することになる。



東アジア経済圏が成立するかどうかは

この成り行きにかかっている。


一連の革命無くしてアジアがまとまることはないだろう。



安易にマスコミの煽りに乗ってはいけない。

今、しきりにミャンマーへの進出を促している。


堰を切ったように猫も杓子もミャンマー詣でが盛んだ。



東南アジアが経済的に発展し

日本が進出すべきであることは論を待たないが、


ここは慎重を期したい。


儲け主義は、すぐに土地と株に走る。

そして、工業団地化だ。


また同じ轍を踏もうというのか。


それより、現地の人を理解し、一緒にビジネスを起こす方向を模索すべきである。


もちろん、騙し騙されは付き物だ。

大怪我をしない程度にゲームを楽しむつもりで

ビジネスを仕掛ければ大負けすることはないだろう。


基本は、現地の人と一緒に楽しむことだ。

そのためには、利益を現地に還元しなければならない。



今、世界的に社会起業が求められている。

その道を誤るな、踏み外すな。


それが日本人の進む道であり

生き残る術なのだから。

快適入院生活

2012年09月25日 | 健康
思ったとおりだった。

とにかくゆっくり眠りたかった。

なんと、20時間はベッドに横になっていた。

18時間睡眠。
泥のように眠った。



内視鏡室のベッドに横になって、睡眠導入剤を注射されるとすぐに眠ってしまった。

その間に手術は行われたようだ。

まったく痛みも感覚もない。


3時間後、看護師さんに起こされたときは個室のベッドの上だった。

出された軽食を食べた後、すぐにまた眠りに落ちた。



この病院は、全室個室だ。バストイレ付。






ビジネスホテル並みの快適さだ。

しかも3食ルームサービス&ナース付き。


   手術後の軽食


   夕食


   朝食


看護士さんもニコニコとみんな愛想がいい。


食器は味気ないプラスチックではなく全部陶器だ。


これならもう一泊ぐらいしてもいいナー。

申し分ない40年ぶりの入院体験だった。


【追記】

もうフリートークに戻って仕事してますよ。

ビールも飲めるよ。

好きを仕事に

2012年09月24日 | 仕事
職業訓練関連の施設から講演のオファーを戴いた。

そこで、仕事について改めて考えてみた。


そうしたら、

つくづく好きなことを仕事にしてきたことが分かった。


お金やブームを追ったことはなかった。

むしろ、先駆けとしてリスクを背負って仕事を決めてきた。


常に、自分の好きからオリジナリティを優先してきた。


それが運よく時代のニーズにフィットしただけのことだった。


ブームはもちろんのこと、ニーズもあまり長続きはしない。

特に昨今その現象が顕著だ。

一年ともたないことも多い。



そんな中、10年以上続けてこれたのはある意味奇跡に近いかもしれない。



ニーズは

社会のニーズと

自分のニーズの両面で考えなければならない。


つまり、自分の好きと世間の好きが合致して初めてビジネスとして成り立つのだ。

社会のニーズだけを追った、いわゆる儲け主義は遠からず破綻する。

自分だけの好きで、世間に受け入れなられなければ

趣味の域にとどまる。



つまり、どちらかに偏れば、無理が祟って長続きはしないことになる。


言葉を変えれば


趣味は自己満足の世界だが、

ビジネスは自己実現の世界といえるだろう。

自己満足では飯は食えない。


自己実現と社会性(必要性)を兼ね備えてこそ

ビジネスとして成り立つのだ。


そのせめぎ合いこそが、仕事選びの醍醐味となる。


好きをビジネスに仕立て上げる。

まさに職人技である。


好きに関しては、ブレナイことだ。

旅が好きという基本路線は子供のころから変わらない。


旅という核の周りに数々の仕事の形態が考えられる。


ボクの生き方マップを作ってみた。



チョッと見づらいが、

旅を中心とした自分の守備範囲というか、

趣味範囲というか、

関心ごと、

関わり事が明確になる。


こうすることで

自分を知り、

強みが分かる。



そこから、

今まで何をしてきたか、

今何がしたいのか、

今後どうしたいのかがが見えてくる。


それによって行動指針が明確になる。


お試しあれ。

パーティ イン フリートーク on 9/22

2012年09月23日 | 国際
毎月一回行っているフリートークのパーティ。



いつも深夜遅くまで盛り上がる。


時間を気にせず、二次会の必要もなく、オーダーストップもなく、

毎回延々8時間のInternational long party だ。






昨夜も、みんなが帰ったのは午前2時を回っていた。




お泊まり組もいる。


その間、飲んで、食べて、騒いで、歌って、踊る。

マリアの歌も聞ける。






Party at Free Talk



ナントも自由なパーティなのだ。




こうして、友達の輪が世界に広がっていく。

カップルも生まれている。


たぶん結婚まで行きそうなカップルも誕生した。

愛を育む二人をみんなが応援する。


そんなアットホームなパーティが大好きだ。



10月は、20日(土曜日)だよ。

またfacebokkのイベントでお知らせしますね。


10月は、ハロウィーン・パーティも用意するよ。


来月もイベント盛りだくさん。


ますますフリートークから目が離せないよ。



あ、それから今月26日(水曜)のLunchEnglish (英語でランチ)のとき

テレビ取材も入る予定。



何といっても

「みんなで楽しく、明るく、元気良く」 がフリートークのモットー!

何でもありのフリートーク。


フリートークはみんなが世界へ飛び立つ滑走路。

助走をつけて、大空へ舞い上がろう!!

怒りの先にあるもの

2012年09月22日 | 人生
怒りの反対は何か。

悲しみではない。


憐みだ。


日本の尖閣諸島国有化に反発する中国での「反日」の動きは経済関係だけでなく、

文化分野にも拡大し始めた、と報道にある。


反日デモに便乗、ストで操業停止に追い込み、

賃上げ要求をしている日系企業の従業員も少なくないという。


日本製品の不買運動も活発だ。



かの国は、経済制裁だけにとどまらず、

出版規制による文化活動にまで及んでいる。



バカにつける薬はない

バカは死ななきゃ治らないなどというが、


民度の低い国はまさにその類に属する。



坊主憎けりゃ袈裟までの心境かもしれないが、

自分で自分の首を絞めているようなものだ。


天に唾するといってもよい。


ますます民度は下がるばかりだ。




あまりにお粗末な行動に呆れ果てて

怒りどころか憐みさえ感じるこの頃である。



経済や軍事では先進国になったが、

精神面ではいまだに未開の国である。


刃物を持ったキチガイほど怖いものはない。




確かに日本は、落ち目の国に成り下がってしまった。

経済も政治も。


だが、日本人の心まで亡国にしたくはない。


情けない話ではあるが、

どんなに落ちぶれても日本人としての矜持は持ち続けたい。


貧しくとも、心は錦で着飾っていよう。

そして世界に凛として一輪の花を咲かせよう。

世界の流れと日本の停滞

2012年09月21日 | 国際
世界は大きく変化している。

どう変化しているかというと


① グローバリゼーションの加速

グローバリゼーションとは何か。

それは、世界が一つに繋がっていくことを意味する。


そのつながりに入っていけず、指をくわえて傍観しているのが日本。

いつの間にか置いてきぼり。



② 経済体制の変化。

それは、社会主義統制経済でもなければ、

競争を前提とした資本主義自由主義経済でもない。


競争から共存へとシフトしている。

ここでも世界の繋がりの鼓動がある。


ポストキャピタリズムの後の形はまだ見えない。

見えるとすればそれは何か。



③ インターネットの進化

急速な情報社会の進展がますます世界を一つにしていく。

情報化に乗り遅れないことと、

振り回されないよう情報操作を誤らないことが肝心だ。



④ 生き方、働き方の価値観の変化

食べるため、お金を稼ぐためから人のため。

ライフスタイルの多様化。

仕事の選び方。



⑤ 世界構造の変化。

経済のみならず、

環境、エネルギー、人口問題、自然災害への対処の仕方を

個人の問題として考えなければならない。


国民から地球市民への意識の変化。




⑥ 加えて政府、政治の弱体化。

個人やグループ、コミュニティがより大きな影響力を持つ。




今日は変化とて停滞の課題を投げかけて、

日本の将来、変化に対応した日本人の行動、

めまぐるしく変わる世界の動向について


次回から折を見てつぶさに検証していきたい。



英語の歌を唇に乗せて

2012年09月20日 | 英語
学生の頃、ビートルズの歌をよく口ずさんだものだ。

カーペンターズもよく歌った。


訳もわからず真似て歌っていた。


だが、今考えてみると、

下手な英語でよく歌っていたものだと恥ずかしくなる。


映画もよく観た。


歌と映画は英語を覚えるのにとても役立つ。

英語を覚えるというより、

歌を口ずさみ、映画の内容を楽しみながら自然と英語力もついていく。


どうせ英語を勉強するなら一石二鳥を狙うべきだ。


試験を受けるためでない限り、

英語のための英語の勉強でなく、

生活の中の英会話力を鍛えるわけだから、

一緒に歌が歌えて、英語の内容が楽しめると得した気になる。



だが、残念ながら英語の歌はなかなか上手に歌えない。

発音もさることながら歌独特の表現力が必要となる。


ネイティブのように英語がしゃべりたいという人は多いが

ネイティブのシンガーのように上手に歌を歌いたいともう人も多いのではないだろうか。


CDでいくら聞いても、マネしてもなかなか要領を掴めないでいる。



幸せにもボクは、マリアの歌を毎日聞いている。

それでも実際歌ってみないとなかなかうまく歌えない。


そこで、

「マリア・コリーナの英語で歌おう会」を開催している。


彼女のギターに合わせて、楽しく和やかに歌声が響く。




それにつられて、道行く人も入ってきた。


韓国からの観光客だという。




ビールを傾け、一緒に歌った。




この日は、

"OB LA DI OB LA DA"

言わずと知れたビートルズナンバーだ。


さあ、みんな上手に歌えただろうか。

それより、みんなで楽しく盛り上がったことの方が嬉しかった。


そのあとは、みんなで食事へ。




昨夜に引き続き、飲んで―♪、飲んで~♪、歌った―♪♪

海外進出の条件

2012年09月19日 | 国際
何を基準に海外進出すればいいのか。

どの国の、どこで何をすればいいのだろうか。


今回に限らず中国の惨状を目の当たりにすると不安がよぎる。

大企業も、スーパーも、コンビニも、ユニクロも、

飲食店もことごとく被害に会い、閉店を余儀なくされている。


海外進出には当然リスクが伴う。

人件費が安い、景気が上向きで消費者が沢山いる。

これは共通項だろう。


安く仕入れて高く売る、のは商売の大原則だ。

今までは、安く仕入れるために人件費を極力抑えた

一種の搾取経済が成り立っていた。



だが、情報グローバリゼーションの現代、

旧然たる帝国資本主義的発想ではやっていけないことは自明の理である。


海外に進出するとき、特にアジアを想定する際に

アジア進出の必要性は十分に理解しているけれど

実際何をどうしたらいいのか分からない、


ということがまず挙げられるのではないだろうか。


さらに

日本の事業もやりながら新規にアジアビジネスを立ち上げるにはどうすればいいのか。


まず何を売ればいいのか。

どう展開すればいいのか。


現地に知人がいないし、言葉も通じない。

情報もPC上以外のことは分からない。

資金はどうするのか。

まずどこにアプローチすればいいのか。


こうした疑問が次から次と浮かんでは消え、

消えては浮かぶのではないだろうか。


こうした考えを抱く人は、そもそも

このまま日本国内で仕事をしているだけで本当に大丈夫なんだろうかと

将来に不安を抱いている人だ。


不安を抱いて当然だ。

不安がない人の方が怖い時代である。


海外(アジア)進出の課題は大きく分けて二つ。

① ビジネスモデルが構築できなこと

② 現地の人脈がないこと

―――――――――――――――――――――――――――――


いずれにしても、

現場に足を一歩も踏み入れないで語ることなかれ、と言いたい。


インターネット情報やセミナーに参加したくらいで

判断すれば痛い目に合うことは必至だ。


まず行って、現場を見て、

何かを感じて、そこから考えるべきだ。


そこで最も大事なことは、

自分の馬に合っているか、

そこの水が自分に合うか、


もっというなら、好きになれるか、ということだ。

好きになるのは、

その国自体であり、人であり文化、慣習であり、

食べ物であり、気候であり、臭いであったりする。


そして、宗教、政治。



嫌な国でいくら儲けるビジネスを構築したところで

長続きはしないだろう。


だからボクは、中国と韓国には歯牙にもかけない。


嫌われている国より、好んでくれている国の方がよっぽどやりやすいことは

分かり切ったことだ。



ズバリ、結論を言おう。

ベトナム、フィリピン、カンボジア、ラオス。


この4か国に集中すべきだ。


㊟ これはあくまでも、ボクの主観と好みによるものです。



【補足】

今回の尖閣問題でも、

アジアの国は、特にベトナム、フィリピンは中国からの侵略を受けているので

「日本を応援している」という。





The Philippines support Japan

戦争状態

2012年09月18日 | 国際
これは最早事実上の戦争状態といえる。

少なくともそう認識して事に当たらなければならない。


中国国民の過半数が戦争を望んでいるとも伝えられている。

だが日本人は、武器を使わない心理戦争を覚悟しなければならない。


これは、あくまで外交上の駆け引きである。


海上保安庁はあらゆる事態を想定して訓練を積み重ねてきていると信じたい。

あらゆる状態をシミュレートして、対処の仕方を叩き込んでいるはずだ。


これは企業戦略と通じるものがある。


うまくいくときは一通りでもよいが、

うまくいかないときは何百通りもある。


そしてその一つ一つに対処方法を想定し、

実際にシミュレートしておかなければならない。



果たして、中国はどう出るのか。

それに対して海保、日本政府はどういう手を打つつもりなのか。

自衛隊は?




中国が挑発行為に出ることは当たり前だ。

その対処法を一歩間違えば、中国の思わぬツボにはまることになる。


相手は、単細胞の気違いなのだから。


まともに対処しようものなら、難癖をつけてこちらが悪者にされることは分かっている。


体当たりしてきたらどうするのか。

上陸しようとしたらどうするのか。

上陸してしまったらどうするのか。

けが人や、死者が出たらどうするのか。

武器を使ったらどうするのか。


それでも不測の事態が勃発した時、

どこまで権限が与えられているのか。



的確な判断と行動が求められることは言うまでもない。


どう出ても、中国は日本を非難し、

犠牲者や過激派を英雄扱いするだろう。


バカの一つ覚えのようにいつもの作戦に出るだろう。

北朝鮮と体質は全く同じなのだから。


バカを相手の時ではないが、

襲いかかられてまで、手をこまねいていてはこちらが危ない。


細かく状況を撮影し、どんな場面に遭遇しようとも

国際的に正当防衛と言える状態を作り出すことが賢明だ。



日本人に犠牲者が出ることは極力避けたいが恐れていては、見透かされてしまう。

真のヒーローがこちらにあることを国際的に証明しなければならない。


そして国民一人一人が一丸となって事に当たる必要がある。

世界中が注視している。


毅然たる、しかも冷静沈着、正義を貫く姿勢が求められる。


ここで引けを取るようであっては、

ますます日本の価値は凋落の道を加速することになるだろう。


平和ボケの日本人、目を覚ませ!

心理戦争に備えよ。


震災の時見せた、さすが日本人と言える対処ができるや否や。

正念場だ。

刻々と変わる事態の進展に目を離してはいけない。

起業意欲

2012年09月18日 | 仕事
またまたアイデアが飛び出し、

起業意欲が噴出しだした。


「実現できるから頭に浮かぶ」

という言葉がある。


途方もないことでも

頭に浮かんだ夢は必ず実現できる のだ。




さて、今回は何か?


その前に、

起業するからにはどんなビジネスでも資金が要り、採算性が問われる。

だから、何をするにも「企画書」および「事業計画書」は必須となる。



発想から起業までのプロセスはこうだ。


① まず浮かんだアイデアを人に話す。


漠然としたことでもかまわないので出来るだけ多くの人に話す。

ほとんどバカにされる。

だが、実は馬鹿にされれればされるほどいいアイデアなのだ。


多くの人に賛同されるものは、無難で斬新さが薄く成功する確率は少ない。


だが、今回のアイデアは、妙に賛同者が多い。

特に男連中からの受けが良い。


だが今存在しないものだけに、リスクも少なくない。


パイオニアはすべからくリスクを負うものだ

そして、それを恐れない。


それには、周到な用意が必要だ。

もちろん、勇気と思い切りもだが。


綿密な計画性と

大胆な行動
が同時に伴わなければならない。




いろんな人に話をすると、

そこからまたいろんなアイデアをもらうことができる。


そこはこうした方がいいよとか、

こうすればもっと面白いよとか。


自分一人では考え付かなかったアイデアが話した分だけ返ってくる。


経費の掛からない企画会議みたいなものだ。




② ある程度頭の中でまとまりだしたら紙に書いていく。

殴り書きでもいい。

とにかく紙に書く。

あらゆる思い付きを落とし込んでいく。


数字にできるものなら数字を書き込むことで

より具体的で現実味を浴びてくる。


採算が取れるのか如何か、はっきりしてくる。

どう考えても無理なら、根本的に考えを改める必要があろう。


絵や図、グラフにできるものはできるだけ具体的に描く。




③ 次の段階は、

人様に見てもらうための企画書をまとめることだ。


まず、タイトル。

趣旨。

目的。

ターゲット。

課題
、などなど。


出版の企画書も同じようなものだ。




④ それと並行して、事業計画書も作っていく。

これが完全に数字だ。



設備投資。

入り込み客数。

客単価。

経費。

人件費。

売り上げ。

粗利、などなど。


そしてターゲット、告知方法





ボクは基本的に広告は打たない。

口コミと

無料の媒体
を利用する。



それだけに

オリジナリティが重んじられる。



もう一つ大切にしているもの。

それは、自分自身が楽しいかどうかという計りだ。

自分が楽しめないところに人が集まるはずはない。


そして、営業内容のハードとソフト。




⑤ さて、出そろったところで

後は行動あるのみ。


アイデアや企画が良くても行動に移さなければ絵に描いた餅だ。



まず人集め

中心となってやってくれる人材を発掘しなければならない。


これが一番肝心なところであり、難しいところだ。

逆に、見つかれば後は早い。



それから場所の選定

資金集めと続く。


協力者が現れるのはこの段階だ。


――――――――――――――――――――――――――

この手順を完全に実行すれば

夢は必ず叶う。


ウソだと思うなら、今後の成り行きに注目願いたい。

実証して見せますから。




ア、それからもう一つ大事なこと。

期限を設けること


今年中に目途をつけて

来年春、オープンします。



ここまで言い切る自分がホントは怖い。

だが、根拠なき確信があればこそ言い切れるのだ。


正直不安もいっぱいある。


ある意味確信犯になり切ること。



早速第二段階を行動に移そう(すでに移っているが)。






結局何をやるかだって?

発表までにはもう少し待って。


場所は福岡。

熊本も選択肢の中にある。


フリートークのフランチャイズ化も同時進行する。


いずれにせよ面白いものになることは間違いない!

老人格差社会

2012年09月17日 | 人生
いわゆる高齢者と位置づけされるお年寄りが

団塊の世代もその高齢者域に達しだしたところで、

3,000万人を超え、割合が人口の25%に達した。


だが、一頃の隠居老人の影は薄い。


気力体力が尽き、人生訓と説教癖の塊と揶揄される姿ではなく、

旅行に音楽会、おしゃれにグルメと、自ら楽しめる幸せな人たち(天声人語)である。


だが、本当にそういう人たちばかりかというと

そうではない。



団塊の世代は、高度成長期に支えられた最後の逃げ込み組だ。


脱サラを夢見て果敢に挑戦してきた世代ともいえる。

そこには成功組と失敗組が存在する。

ただ多くは辛酸を舐めた失敗組に所属しているようだが。


団塊の世代の中にも、

真の逃げ込み組と、脱落組がある。


2008年、リーマンショック前に定年を迎えて、

無事退職金を手にして、年金をもらえる組は余裕の老後が約束されただろう。


その時点で、借金なし、預貯金・資産あり、子育て完了した組であればなおさらだ。

そして何より、健康でなければならない。


その反対、

借金を抱え、預貯金・資産なし、子供はまだすねをかじる状態で、

健康を崩し患っている状態であれば、老後は悲惨である。


仕事がない分、ますます生活苦に悩むことになる。

中には生活保護に頼らざるを得なくなる。


ここでも、総中流社会から

富める者と貧しき者の二極化が進行している。


老後難民という言葉さえ生まれた。

悠々自適、楽隠居は今や死語なのだろうか。



年金と現役としての仕事による収入、

つまりダブルインカムがあり、

健康で、若さを保ち、子供たちも独立してれば夢ではない。


配偶者がいない方が、若さという面では引き立つ場合が多いようだ。

つまり、性生活にも貪欲であり続けられるからだ。



―――――――――――――――――――――――――――

「われわれは99%だ」 

というスローガンがウォール街を闊歩したことがある。


アメリカにおいてはその格差はもっと著しい。

米国の所得増はもっぱら1%層に偏っている。


それが中流層を空洞化させ、極貧世帯の急増を招いている。


だがこれまで、

富裕層に集まる富が下層へしたたり落ちれば経済全体が潤う、

という「おこぼれ効果」論が幅をきかせてきた。


だがそれはすでに機能していない。


しかもこの不平等の階層化が進み、逆転も難しくなってきた。

米国が「機会均等の国」といわれるのは、おとぎ話にすぎないともいう。


『世界の99%を貧困にする経済 [著]ジョセフ・E・スティグリッツ』より




日本においても然りだ。


総中流社会と言われ、社会主義のお手本のように言われた日本も

今や過去の話だ。


アメリカほど極端ではないにしろ

富める者と貧しき者の二極化が足早に進行している。


子供は減り、高齢者は増加の一途を辿る。

財源はパンクし、社会保障制度も風前の灯である。


内政外交とも稚拙な政治がまた拍車をかける。




だが諦める必要はない。

活路は、東南アジアにあることは先にも述べた。


ここでも、金銭格差より、

アイデアとやる気の格差が命運を左右する。


金、資金はあるところにはある。

それを運用するのはアイデアと行動だ。


そのための土台は、心身の健康にあることは言うまでもない。




誰しもが長生きすれば老後は経験する。

今後それも厳しい老後になることは間違いない。


だからこそ、若いうちから経験を積むことだ。

親は子供に、様々な経験をさせなければならない。


そしてどんな状態でも生き抜く力をつけさせなければならない。



豊かな老後は望めないにしても、

楽しい老後は勝ち得ることができる。


そのためには若いうちからの準備が不可欠だ。


その時が来て、うろたえても後の祭りにならない様に。