世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

女たらし

2017年06月30日 | 100の力
ボクのイメージは

女たらし、

プレイボーイ

エロオヤジ(ジジイ)

といったところのようです。


はい、それでいいのです。

実際モテなきゃそんなイメージもたれませんし。


でもね、

素のボクを知る人は皆ビックリするんですよ。


かじさんて意外と真面目だったのね、って。

あっちこっちでやりまくっているのかと……。
 (表現が露骨でスイマセン)


そうなんです、

エロワルキャラを作っているのです。

女性の数も、手の指で余ります。
(別れた女房2人を含めても)

ですから、未だに女性の扱い方には不慣れです。


特定の彼女ができると、

よそ見はしません。

トコトン尽くします。


そんなクソマジメなボクがなぜ悪キャラを作っているのか。


だってそのほうが楽だから。

人生面白おかしく楽しめるから。


アー、あいつがまた、って思われたほうが

いろんなことをやりやすい。


バカやっても、

失敗しても

あいつがまたやってやがる、

ざま―見ろ、ですむ。


誤解も偏見もいろいろあるけど、

ボク自身は、何を言われても、どう思われても

どこ吹く風で、へのカッパ。


      汗だくでトマトちぎり


だって、

真摯な自分を知っているし、

自信があるのだから。



でもね、

そこにつけ込む女がいるのです。

ボクの弱みに。


ボクは仕事、性格柄

人を癒します。

痛い、困った、苦しい、助けてと言われると放っておけません。

特に女性に擦り寄られると。
(男はほとんどそうでしょうが)


それが弱点なんですね。

それで幾度となく煮え湯を飲まされ、

失敗を重ねているんですよね。


それにしても、

純な女がめっきり減りましたね。

いわゆる昭和の女というやつですか。
(平成も30年もたてば当たり前かも)


分かっていても、

泣きつかれるとね、

ついつい……ネ。








和解成立

2017年06月29日 | 100の力
「これにてこの裁判は終了します」

美しすぎる裁判官は、

「被告は原告に対し、〇〇を支払う」といった内容の

和解の主文を読み上げると

じっとボクの目を見てそう宣言した。


その間被告は終始顔をうつむけたままだった。


余りにボクの方だけを見て語りかけるように言うものだから、

思わず

「被告に対して言ってください」と言ったほどだ。


そういう訳で、

裁判は、

被告が全面的に支払いに応じるという形で

和解した。


       熊本地方裁判所前で


これで持って裁判は約一年で結審したことになる。


思ったより早かったのは

全て証拠が揃っていて、

被告が何も反論できなかったことに尽きる。


最初から結果は決まっていた出来レースだったわけだ。


それでも当初被告は、悪あがき(ウソをついて抵抗)を示したが、

どうにも動かしがたい契約書や領収書、メッセージのやり取りなど

証拠をつきつけられすぐに観念した。



判決に至れば分割返済という選択肢はなく、

和解により被告は分割して支払うことができるようになった。


ただそれには6~7年を要する。


今のところ、毎回裁判所で現金で支払いに応じているが、

これからは被告自身の意志による銀行振り込みになる。


長丁場なので、途中で返済が途切れる可能性がある。

その場合は強制執行ということになる。


あとは被告がつつがなく返済をしてくれることを願うのみである。



もうこれで、あの美しすぎる裁判官に会うことはない。

ボクは、ちょっと頼りなさげな裁判官に向かって

「ありがとうございました」と言って深々とお辞儀をした。

目を上げると、

彼女はボクを見て軽く頷いた。


それを確認するとボクは一抹の寂しさを覚えながら

法廷を後にした。


裁判官の目が心なしか潤んでいたように見えたのは錯覚だったのだろうか。
(いえ、錯覚です)




さて、今回の裁判を振り返ってみると、

訴状から、証拠集めまで弁護士抜きで一人でこなした。

いろいろとまた勉強になったし、

何よりもそのプロセスを楽しめた。
(加えて、裁判官に会えることも楽しみの一つだった)




また一つ「やればできる」という達成感を味合うことができたことも

さらなる自信につながる大きな収穫の一つだ。


我が身に降りかかる問題は尽きないけれど、

一つ一つ粘り強く取り組んでいけば、

解決できない問題はない。


いや、むしろ解決しないでもいい問題もあることに気付く。


正義の名に悖(もと)らないか、

天の声を確かめながら理路整然と詰めていく。


それは今話題の詰将棋に似ている。

冷静に、3~5歩(手)先を見据え、

相手の出方を想定して手を打っていく

理詰めの戦法だ。


決して焦らないこと。

むやみに妥協しないこと。


もちろん和解ということは、

相手の希望(分割という)を受け入れる必要はあった。

(ボクが被った心の痛手はなかなか癒えないけど、
被告に対する慰謝料の請求も放棄した)


相手を懲らしめる、

嫌がらせをするというような意図は全くない。


和解案に従ってちゃんと返済してくれればそれでいい。

単なる債権回収の手順を行っただけである。

それ以上は一切係らない。


ところで、

日本の裁判について思うに、

なぜ始まる前に宣誓をさせないのか。

ウソを言えば、偽証罪に問われることを明確にしないのか。


冒頭、書記官が事件番号をもごもごと早口で言うだけで、

起立もせず、

だらだらとけじめがないことに毎回違和感を覚えた。


どうも日本の裁判は、

厳格さに欠け、威厳を損なっているように思えてならない。










戸籍謄本をとってみて分かったこと

2017年06月28日 | 100の力
別件で戸籍謄本が必要となり、

区役所でとってきた。

(これまで戸籍抄本はとっても、謄本はなかなか見る機会がなかった)




当然のことだが、

そこには、「離婚」の文字が。


一昨年、2度目の離婚をしたことは事実であるが、

実際にこうして戸籍で確認したのは初めてだった。


安堵感と同時に、

何か改めて奇妙な自信が湧いてきた。

「アー、ボクは正真正銘の独身なのだ」と。

どこか疑っていた自分がいたわけではないが。


「離婚」=「独身」というこれからの可能性を秘めた響きがなんとも心地よい。

事実3度目の独身。


独身とは、

つまり、誰とでも、いつでも結婚できる権利を持つ。


いずれにせよ、

これは既婚者にはできない大きな特権(切り札=ジョーカー)であることに間違いはない。



戸籍謄本をよく見ると、

不思議なことに、

最初の結婚相手とのことは一切記載がない。


ということは、

これを見る限り、

ボクはバツイチ状態なのである。


まあ、今更体裁を取り繕う必要はないが、

バツイチといっても差し支えないということが分かった。

(例えば結婚相談所などに登録する場合など)


ただ、残念なことは、

前妻との子(娘)の表示も一切ないことだ。


下の娘はアメリカ人と結婚したが、

その記載はしっかり残っているというのに。
(除籍にはなっているが)


息子(独身)はまだボクの籍に中にある。

別れた女房の方には移っていないということ。

これは何となく嬉しい。



ただ、3度目(の結婚)はないと思っていた。

もう結婚はこりごりだ、と思うと同時に、

自分は結婚には向いていない、とも。

そこには自己否定が伴う。


まあ、普通(並み)の女(ひと)ならこんな(落ちこぼれの)ボクの伴侶にはなれないだろう。


ところがありがたいことに、

こんなボクに興味を示してくれる人は少なからずいる。


だが、みんなボクの回転速度(行動)に振り落とされていく。

例えば、

ボクがトルネードや台風だったら。


安易に近づけば吹き飛ばされるだろう。

それでも、必死でしがみついて

真ん中までたどり着けば、

そこは穏やかに晴れ渡っている。


さて、そこまでたどり着ける人は

果たしているのかいないのか。


ボクの最期の(?)女になるのは

誰?

(注釈: 最期とは、死を看取る意味)


ん?

もしかして、

孤独死?



【余談】


「離婚は男の勲章」と言えば言い過ぎだろうか。


離婚は決して悪いことではない。

(離婚推奨者ではないが)


離婚するためには、

どうしても結婚しなければならない。


結婚するという、

人生の一大難関を乗り越えたものだけに与えられる特権でもある。


(結婚しない、出来ないからといって、

その人の人格を否定するものでもない。

誤解のないように)




「瞑想の旅」計画中

2017年06月27日 | 100の力
次なる「瞑想の旅」先を検討中である。


今回の候補地は、

インド、ネパール、ミャンマー

そして、チベットだ。


全部を一気に周遊する手もあるが、

ここは無難に2~3か所にとどめようかと考えている。


チベット ― ネパール ― インドは一線でつながり、

陸路移動も可能だろう。




いずれにせよ、

今回は片道キップで行くことになるだろう。


そうすれば、

行った先々での移動はどうにでも変えられる。

期間もアバウトで、時間に拘束されることもない。




とりあえずラサ(チベット)から入るか。

その死生観に触れてみたい。


そして陸路で南下し、ヒマラヤを越えてネパールに入るのも面白いかもしれない。


       どこの国でも子供たちは無邪気だ


などと壁の地図を見ながらニヤニヤと思いに耽る

梅雨空の続く日本である。

(写真は本文とは関係ありません)



【独り言】

ボクはね、

一所にずっと住み続けるってことができないのかもしれない。
(いまさらですが)


「渡り鳥」、「流れ者」というコンセプトに

小学生の時から感化され、

生き方の中にもう染み付いてしまっているのですね。


愛する人と時を共有するには、

一緒に旅を続けていくしかないのです。




Men's YOGA

2017年06月26日 | 100の力
Men's YOGAに参加した。

1時間、たっぷりと汗を流した。


戦士のポーズ


久しぶりの本格的ヨガだったが、

結構きつい。

数あるポーズの中のほんの一部ではあったが。


     お願いね!ポーズ?(体をひねって体側を伸ばす)


ひとくちにヨガといっても、

いろんな種類のヨガがあり、

それによって効用も違う。

もちろん「笑いヨガ」もその一つ。


     戦士のポーズ2

普段自分でやっているものは

ナンチャッテヨガなのだが。



ボクの瞑想(YZKM Meditation)にもヨガを取り入れているが、

あくまでもそれはユルヨガである。

(座って、もしくは寝転んでやる)


瞑想とヨガは、

切っても切れない関係性にあることは言うまでもない。



何事もそうだが、

無理なく長く続けることがもっとも重要である。


それに自分の体に無理な負荷をかけると

かえって痛めることがある。


心も同じ。

メンタルの強さも人それぞれ。


ただ、

肉体と違って、ここまで曲げれば(無理すれば)痛いという感覚がない。

だからついつい無理して負荷をかけすぎてしまう。

そして限界に達すると心を病むことになる。

それは、完璧主義者に多く見られる。


ボクの瞑想は、

心と身体の柔軟性(ハートフルネス)を目指している。


心と身体は車の両輪だから

どちらが欠けても、

サイズが違っても不具合が生じる。


瞑想にもヨガの心得は大事、

そう思って取り組む日々が続く。





多動性障害?

2017年06月25日 | 100の力
ボクはADHDであると以前書いたことがある。


人はすべからく何らかの意味で障がい者である。

つまり、全ての人は何らかの障害を抱えているというボクの持論による

自己判断である。


ADHDとは、ご存じ「注意欠陥多動性障害」である。


さて、

今、一部で堀江貴文の「多動力」という本が読まれている。

ボクもパラッと読んでみた。
(例によって立ち読みだが)


かいつまんで言えば、


これから(すでに)はマルチの時代ですよと言っているのである。

マルチとは、言うまでもなくマルチ商法ではなく、

「マルチタスク」のことである。

つまり、

「いくつもの異なる事を同時にこなす力」を意味する。


そして付け加えるならば

マルチリンガルの時代でもある。


これらはボクがかねがねだいぶ以前から主張し、実践してきたことである。

(そういう意味からして、パクられたな的感覚があるが

相手は有名人であるからして仕方がない。冗談だが)




なぜなら、

ボクの仕事は常に流動的であり、

名目はころころ変わる。

時代に即した先見性をもってそれは行われる。


「飽きっぽさ」に関しては人後に落ちない。

だが、基本(軸)のところでは『旅』というコンセプトで一貫している。



肩書にしてもそうだ。

書ききれないくらいある。



瞑想ヒーラー(瞑想療法師)

「ドゥリーミンカントリー・インAso」 オーナー

「瞑想カフェ&ゲストハウス(Meditation cafe & Guest house)」 オーナー経営者

「阿蘇瞑想の森」  館長

「ヒーリング焚火バー&カフェ」 オーナー経営者

「Free Talk(英会話喫茶)」 オーナー

「日本焚火研究所」 阿蘇本部 代表

ゲストハウス 「ラブトリップ」 オーナー経営者

「世界を旅するブロガー」

そして、大学院生でもある。


これに、近い将来「心理士」が加わる。


ざっと10の肩書がある。


ましてや、

「自分の時間を生きる」ことにかけては引けをとらない。


もちろん、好きなことをして生きる上では

人の目なんか気にしていられないわけだ。


それにもとより、

完璧主義者ではなく

むしろ「いい加減主義」。

何事も70~80点で良しとする。


だけど、

こんな生き方をすると

波乱万丈は避けられない。


覚悟してかかられたし。





日本のタビストたち

2017年06月24日 | 100の力
世界を旅していて日本人と遭遇することがめっきり少なくなった。

代わって中国人がやたらと多い。


しかも、ひところの日本人のように、

集団で見かけることが多い。


これは国力というか国の勢いを意味する。

たしかに、

日本は衰退し、中国は躍進している。


そう言えば、ひところ多かった韓国人も見かけなくなってきた。


もう一つ気づくことは、

東南アジアにせよ、ヨーロッパにせよ

アメリカ人も極端に少ないことだ。


アメリカは今や完全に内向きになっているが、

日本と違って、

アメリカ国内だけであらゆるものが完結しているからに他ならない。

つまり、アメリカは人種といい産業といい世界の縮図なのだ。


その点日本はあらゆる面で後れを取ってきている。

それは目を覆わんばかりだ。


ただごく一部、世界に羽ばたき活躍している人もいる。




最近知り合った

Tabippoを立ち上げて商品開発を行っているNS氏や

世界一周学校の校長MN氏、

熊本のクレージーボーイ(いい意味で)も

ボク同様素っ裸で頑張っていることは実に喜ばしいことである。


ただ、

まだまだその規模は小さく、

マスターベーションの域を出ていない。


彼等は能力に長け、才能があるわけで、

もっともっと日本人、とりわけ若者を鼓舞して

世界へと導くべきだ。


シニア部門はお任せあれというところだが。





スペイン語の実用性

2017年06月23日 | 100の力
英語がしゃべれるのは当たり前。

マルチリンガルも珍しくない。


今回スペイン、モロッコの旅で分かったこと。


去年、キューバへ行ったときは英語が通じずほとんどスペイン語だった。

少し込み入った話になると

そこではボクのスペイン語力も頼りなかった。


だから、

いわばスペイン語本国だと、

もっとスペイン語を駆使しなければならないと腹をくくっていた。


ところがどうだ、

スペイン人のほとんどの人が英語を話す。


ホテルやレストラン、インフォメーションでは当たり前、

タクシーの運転手、バス乗り場、駅のチケット売り場、

地下鉄でのやり取り、

バスや列車内、船内でのやり取りなどなど。


ほとんど英語で片が付く。


これじゃ、ボクのスペイン語の出番がない!

と思って、

スペインのアルヘシラスからモロッコのタンジェに渡った途端、

英語が通じない。

むしろ、スペイン語なのだ。




モロッコはもともとフランス領だった。

だから、観光やビジネスに携わるモロッコ人はフランス語を話す。

挨拶もボンジュールである。


だが、ここタンジェだけを見ると、圧倒的にスペイン語圏内なのだ。

なぜなら、スペインと海を挟んで接していて、

スペインからの流入出がほとんどだからである。




これにはいささか苦笑した。

まさかモロッコでスペイン語が役に立つとは。


だがあとは英語が主流だった。


たまたま、列車の寝台車や

サハラ砂漠ツアーで一緒になった人たちがスペイン人ばかりだったこともあって

スペイン語交じりの英語を使うことが多くなった。


ガイドは、どこの国でも同じだが、

英語、スペイン語、フランス語を流ちょうに話す。



もちろん商売柄ではあるが。


非ネイティブイングリッシュ同士の英語は

人や国によって激しい癖があるが、

むしろわかりやすいことも多い。






【参考までに】


世界の人口別言語は圧倒的に中国語(北京語)であり、

10億人を優に超す。


続いて英語が5億人、

そして、スペイン語とヒンズー語が4億人と続く。

(そのあとロシア語、アラビア語となる)


だが、圧倒的に国の数からすれば

スペイン語が21ヵ国で母国語として使われて群を抜く。


しかも、アメリカにおいてさえ、

アメリカ人の1割が家庭でスペイン語を話しているという。


ボクが大学でスペイン語を専攻した時はここまで想定はしてなかった。

今になって、その選択が正しかったことに感謝している。


もしも第二外国語を何にしようかと考えてる諸氏には、

迷わずスペイン語をお勧めします。