世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

地球はボクのプレイグラウンド

2014年05月31日 | 国際
『地球はわが家の教室』はボクの著書の一つが

世界一周を題材にした子育て書だ。


地球シリーズとして、

『地球はボクのプレイグラウンド(遊び場)』を記している。

出版社も探している。



遊びの領域や種類は日を追うごとに変化しどんどんと広がっている。


「異業種ランチ会」でも新たな発見があった。


障害者施設の経営をされている方が、

農作物も手がけておられる。


そして面白いのがこれ。




ハート型のしいたけ。


ハート型といえば、

友人がハート型のスイカを大ヒットさせた。

海外からも数カ国引き合いが来ているそうだ。

彼もなかなかのヒットメーカーだ。


あすからベトナムだが、

トマトやメロンと共にこのハート型のしいたけも売りこんでこようと思った。


アジアに向けて県産の農作物を輸出する話は別のところからも頂いている。


きのこをコーヒー粕から育てる話は2年ほど前にカリフォルには届いていて、

既にベトナムでの生産を打診していたところだ。


ただ、その前にコーヒー粕からのバイオマスの懸案が出てきた。

そしてそのAgendaが先ほど送られてきた。


BIOMASS POWER PLANT at VIETNAM

MEETING AGENDA


なかなかの重責だ。


連夜の飲み会、カラオケで消耗した体を引きずっての渡越。


世界を遊び場にするのは命がけだ。




【追記】


世界を遊び場にしている遊び仲間のK氏からの情報をお伝えしよう。



不動産価格や利回りの傾向は、国々の発展過程で変わりつつあります。

■発展度100の香港

• 不動産利回り2%から4%
物件価格3500万円から

※新築と中古の価格差が激しいので平均値は出していません
※40㎡中古3500万円から新築1億円以上(地域築年数により大きく異なる)
代表的な存在は香港でしょう。香港の現在の平均的な不動産利回りは3%から5%です。
地価の上昇や不動産物件の価格高騰は凄まじく、40㎡前後の1ベッドルームの販売価格で1億円は珍しくありません。想定賃料が30万円前後ですので、4%の利回りが出たら十分といった感じです。
ですが香港はインカムゲインは非課税ですので、日本のような重課税に悩まされることはないようです。また銀行金利が日本と同じようにほぼゼロに近いので、流動資産は金融資産や不動産に姿を変えやすい傾向にあります。
国民性や、国の発展の過程から国民全体が金融や投資に明るい環境も後押ししているのも背景としてあるのでしょう。
香港は不動産下落になると数年前から予測されていますが、可能性濃厚かと感じています。
ですがそれは一過性でしょう。10から20%程度落ちてまた上昇する感じではないでしょうか?地方というものが存在しない香港は価格の高騰が原因で調整という下落がそろそろかと考えられます。


■発展度80%のマレーシア

• 不動産平均利回り3%から5%
物件価格100万リンギット(約3000万円)

※ヒアリングした会社の数字より
次にマレーシアですが、マレーシアではクアラルンプールやジョホールバルが不動産投資で名を上げていますが、当初からインカムゲインではなくキャピタルゲインがメインとされています。
それは外国人の最低購入価格が規定されているからでしょう。
昨年までは、外国人が購入する不動産は、1400万円以上などと制限がありましたが、実際の現地価格ではそれ以下で十分な物件が出回っていました。なので購入価格から賃貸価格を見ると2%から3%の利回りが出れば十分という物件も多く、ローン購入した場合は少し賃貸価格が下がればたちまち持ち出しということも考えなければ行けない投資となる恐れがあります。
また現在はマレーシアで外国人が購入できる不動産は100万リンギット以上(約3000万円以上)になりました。
当然税制の違いもありインカムゲイン、キャピタルゲイン共に課税対象で、固定資産税もあります。


■発展度60%のタイ王国

• 不動産平均利回り6%から9%
物件価格400万円台から購入可能(平均購入価格は平均800万円前後)

※弊社の販売実績より
タイの不動産は現在6%から9%前後利回りが平均的です。(地方では10%から12%もあります)
人口増加率はやや横ばい傾向ですが、日本と同じ一極集中でバンコクの価格は下がりにくい背景があると考えてよいかと思います。
またマレーシアと同じくタイは中進国で、今後両国共に所得水準は先進国入りすると考えられているので、キャピタルゲインもインカムゲインも望める国です。現在は横ばい価格でありながらも地価の上昇は継続しており、スピード感はないものの今後の所得増でまだまだ上昇は見込めるでしょう。ここ10年が成長の継続が見られる期間かと考えられます。
固定資産税、相続税、贈与税がないのが大きなメリットです。
日本の税法の改訂で、5000万円未満の海外資産は申告義務がなくなりましたので、海外にプールする資産形成にはベターな安定度でしょう。
タイのコンドミニアムの詳細はこちら


■発展度30%のカンボジア王国

• 不動産平均利回り12から15%
物件価格200万円代から購入可能(平均購入価格は平均400万円前後)

※弊社の販売実績より
この発展度は僕の個人的な指数を表す数字ですが、アジア圏の中では一番低い存在なのが、カンボジアです。
ですがこの指数の低さは発展段階を表すもので、そのまま成長率と今後のポテンシャルを示すものと考えてよいでしょう。
ようはイメージとして日本や香港まで伸びしろが70%ほど残っている感じです。もちろんこの数値の低さはその分リスクも含みますのでそこは要注意です。
カンボジアの現在の平均的な不動産利回りは12%から15%は出ています。もちろん税制も日本より格段と低く、上がりはじめの今の仕込みで数年で利回りが20%以上も考えてよいかと考えられます。
もちろん政治的な安定度には欠けますが、米ドル建て収入という通貨の安定感もあります。まだ全体の法認知度の低さや前例の少なさから潜むリスクは予測しがたいところもカンボジア特有のリスクだったりもします。


ですがこれらの指数が上昇するに連れてリスクが軽減されて、

利回りが落ちるのは全体としての当たり前の要素だったりもしますので、

どのポジションに張るのかは皆さんの嗅覚次第でしょう。


どの国も現在価格で買えるのは当然ながら今しかありません。

安定を考えるのならタイ、

少しリスクを取って良いのならカンボジア、

ステイタスなら香港でしょうね。



というわけで、

Good luck!!

助成金のもらい方

2014年05月30日 | 仕事
NPOメンバーと商工会議所へ行ってきた。


助成金の申請の仕方を聞くためだ。




障碍者のカフェ&バーを開く。

障碍者の人たちが経営し、

障碍者の人たちが自由に出はいりできるサロン形式の店にしたい。


もちろん、健常者もお客さんとしてくることはできる。



今、その中心になって行動してくれるのがM君だ。


助成金は最高200万円まで下りる。

企画は独創性が重要視されるという。


障碍者のための、障碍者による、障碍者のカフェ&バー。

バリアーフリー、ユニバーサルデザインといった手法を取り入れる。


関心のある方は、いろんなアイデアを聞かせてほしい。

協力してほしい。

支援して欲しい。


場所、店舗を決め、

店舗設計から、運営の仕方、設備などいろんな形で力を貸してほしい。


M君に言った。

「店の名前は何にしようか」

彼は嬉しそうに笑った。

「何にしましょうかね」


彼に決めてもらうことにした。

もう気持ちは経営者になっているようだった。



障碍者に優しい街づくり。

障碍者が引きこもらずに積極的に街に出てこれるようにしたい。


仲間がいる、悩みや夢を打ち明けられる。

障碍者だって夢がある。

障害者だって恋人を作りたい。

障碍者だってSEXしたい。


6月20日は、初めてのミーティングを持つ。

すでに10人ほどの障碍者の方たちが集まりそうだ。


なんと、大阪からわざわざ来て来て下さる方もいる。

こんなに嬉しいことはない。



他県にも広めたい。

海外にも広めたい。

パラリンピックのように、

障碍者が主役になれる場を広めたい。

4か国首脳会談

2014年05月29日 | 国際
インド、台湾、インドネシア、日本のアジア首脳が集まり、

バイオマス。プロジェクトについて戦略会議を行った。




訪越を直前に控え、

ホーチミンの工科大学との共同研究に臨むにあたり、

ボクの役目と全体の流れを確認しあった。





今回の訪越は、今まで以上に重い意味を持つ。


予定では、

2日の納豆料理コンテストの後、

4日にホーチミン工科大学を訪問する。


そのあと、熊本県産の野菜を輸出すべく

マーケットリサーチを行う。


ミッションが多岐にわたり、かなり専門的になってきた。



5,6日ごろホーチミンからハノイに移動するのだが、

ハノイでも同様のミッションをこなさなければならない。



これらはすべて現在縦覧中のNPO法人の事業に当たる。


国内では、福祉事業を推し進めているが

これも今から市役所に出かけて情報収集を始めなければならない。


これは主に副理事のN氏と、当事者のS君が担当することになる。


7月の認証を前に、

いよいよ活動が本格化してきた。



みんなみんな精力的に動いている。

酒宴もカラオケも120%で臨む。

決して手抜きはしない。


ぶっ倒れようが死ぬ気でぶつかる。

それ自体がミッションだから。

20代で何をなすべきか?

2014年05月28日 | 人生
こういう質問を受けた。

20代に何をなすべきか。


正解になる答はない。

あれば苦労はしないし後悔もしないだろう。


だが、言えることはある。


「後悔しないよう、やれる事はすべてやれ」、ということだ。


ただ、20代の時自分がどうだったか、

それを今どう思っているかは答えることができる。


全く後悔はない。

燃え尽きた20代だった、と思う。


だから、20代は20代で燃え尽きろと言いたい。


どう燃え尽きたのか。



ボクは一浪したため19歳で大学に入った。

そして、大学でも留年したため、24歳で卒業し、

かろうじて念願の総合商社に入った。


そして、30歳で脱サラし、今でいう起業した。

それから35年、紆余曲折はあったものの

ほぼ思い通りの人生を歩んでいる。


これまで歩んできた自分の人生に全く後悔はない。

あの時こうすればよかったとか、ああなればよかったという思いは一切ない。


これは本当だ。

もし生まれ変わっても、今までの人生を歩むだろう。




さて、20代の話に戻ろう。


前半は、大学時代と総合商社の新入社員。

浪人はしたものの思い通りの大学に入学し、

思い通りの(第一志望ではなかったが)総合商社に入社した。


だが大学時代の5年間が貴重だった。


浪人したことはボクを強くした。

挫折から一気に自信がついた人間に変身したのだ。


志望の大学へ入ったものの、

失望のもと、学生運動へとのめり込んでいった。


まともに学校に行ったのは一年間だけだった。


あとは、ゲバ棒と、と投石と火炎瓶に象徴される闘争と

資金を稼ぐためのバイトに明け暮れた。


通常の学生からは大きく逸脱していった。

もちろん、悩んだ、苦しんだ。


闘争に敗れ、キューバへの亡命も試みたが、失敗。


その過程で出会った女性と恋に落ちた。

そして結婚した。

学生結婚だった。



彼女のおかげで、復学し曲がりなりにも卒業した。

そして、高校時代からの憧れであった総合商社に入社した。


そして入社一年目、子供を授かった。


だが、どこでどう間違ったか、3年後、離婚。


その頃から、商社マンとしての生き方に疑問を持ち始め、

30歳で退職、

それと同時に再婚し、自営の道へ。



今思えば、あまりにも激動の20代であった。


浪人から、志望校へ入学、

失望から学生運動へ加担、

一旦は大学を離脱、亡命を企てるが失敗。

学生結婚、

憧れの総合商社に入社、

子供の誕生、

離婚、

脱サラ、

再婚。


20代の10年間にこれだけのことがあった。


そして、その何一つ後悔はないのだ。

なぜなら、その10年が今の自分を育て上げたからだ。


今までの自分に満足している。

あの時もっとこうしておけばよかったなどとは、思わない。



あの一連の出来事を経たからこそ、

今の自分がある。


そのどれ一つ欠けても、今の自分はないだろう。


今までの自分に不平不満、後悔はない。

だから、20代はあれで良かったし、

あれしかなかったと言える。



だから今の20代の君に言えることは、

30年後、後悔のないように過ごしなさい、ということしかない。


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とはいえ、経験上言えることがある。


学生時代数多くのバイトをこなした。

生きていくために。

ただただ必死だった。

少しでも稼ぎのいいものを見つけた。

血を売り、死体洗いもやった。


一日、3つのバイトを掛け持ちしたこともあった。



学生で起業したり、

勤めたことがない起業人も珍しくない昨今だが、


ボクは、サラリーマンになってわずか6年間だったが、

多くの勉強をさせてもらった。

しかも給料をもらいながら。


総合商社という会社に入ったことが良かった。

たった6年間の間に、


財務、為替業務を一年間やり、

営業へ。

鉄鉱石の輸入、

そして、石油化学関連の営業部へ。


繊維、車、医薬、食品といった多くの知識を身につけた。



金をもらって勉強をさせてもらえるのは、

学生とは180度違うことなのだ。


だから、何が言いたいのかというと、

経験上、


多くの職種の仕事を経験することと、


金をもらって勉強をする期間を持つこと

はいいことだ、ということだ。


一見、自分夢、やりたいこととは違うことかもしれない。

だが、それが役に立つ日、意味をなす日は必ず来る。

やってて良かった、と思うことばかりだ。



中高年になって、これを繰り返す人間もる。

つまり、転職人間だ。


こう言えばまだ聞こえはいいが、

要するに、起業もできず、転々と職を変え人に仕えて一生を終える。


それでいいというなら、一向に構わないが。

ボクは、そんな人生は嫌だ。



浪人、留年、離婚、退職といった

一般に不幸、気の毒と思われることが、

ボクにとっては大いなる福音となったことは皮肉なことなのかもしれない。


だが、人生とはそういうものなのかもしれない。



直接の答えにはなっていないと思う。

なぜなら、冒頭に言ったように、答えなんてそもそもないのだ。


同じ人生などとは、誰一人としてないのだ。


ボクのように生きろなどとは口が腐さっても言えない。

ただ、他山の石として、自分の信じる道を歩んで欲しい。


ボクは何一つ後悔はしていない。


だから、

30年後、40年後、絶対後悔しな20代を送って欲しい。


その時その場で、燃え尽きろ


転落から次のステップがある。


必死でやれば、願いは叶うことを知った。

願いが叶ったからといって、それは人生の成功を意味しない。

成功とは単なる通過点に過ぎないから。


死ぬまで心臓が止まらないように、

生きてるかぎり、歩みを止めてはならない。



10代後半からずっと抱いていた夢があった。

そしてそれは20代でも実現することはなかった。


しかし、絶対実現させたいと夢を抱き続けてきた。


そして、47歳でやっと実現させた。

それが、世界一周だった。


30年越しの夢。

だから、20代の君が抱いてる夢は

今すぐ実現できなくても、

諦めない限り、必ず実現できる、ということだ。


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小学校時代からずっと抱き続けた夢があった。


それは今も変わらない。


それは、


「海外」というキーワードだ。

君は、宇宙起業家(アストロプレナー)になるという。


そしてそれには、20代のうちに何をすべきだと思うか、と問う。


君のキーワードは「宇宙」だろう。


だから、そのキーワードをずっと持ち続けることが最も重要だと思う。


そうすれば、20代に何をすべきかは

その時点その時点で見えてくるはずだ。


失敗を恐れず、

目の前に飛び込んできた課題を、逃げずにこなすことだ。


それが試練であったら、挫折であったりするかもしれない。

だがそれはそれで天(宇宙)からのギフトであり、

君を成長させる最も効果的なものなのだ。



恐るな、逃げるな、

目の前に降りかかった難題に果敢に挑戦してほしい。


それが冒頭の「やれること」なのだ。

だからこう言い換えることができるだろう。


身に降りかかったことを全てこなせ。

そうすれば失敗しても決して後悔することはない。


むしろ特に20代は、失敗が大きな意味を持つ。


だから、あえて言おう。


20代は何をなすべきか。


「多くの失敗をしなさい」

お風呂で読書

2014年05月27日 | 健康
久しぶりに湯船に浸かった。

いつもはシャワーだけの生活だ。


半露天だから、外の景色と空気を楽しみながらゆったりと浸かる。


昨日もワインと本をを持ち込んで長風呂をしてしまった。



半身浴で本を読み耽る。


ワインは体の中から温めてくれる。


この日の本は

ベトナムの "Love Story"だ。




ベトナム語でなく英語で書いてある。

これらの本は現地で手に入れる。

ペーパーバックだとだいたい200~300円で買えるから手頃だ。


英語力をつける方法の一つに

英語の本を読む、それも音読することがある。


黙読だけより音読は数倍の効果がある。

せっかく読むなら声に出すことだ。



そして内容も"Love Story"ながら

Modern Vietnamese Politicians とあるように

現代ヴェトナムの政治家たちのラブストーリーなのだ。


そのため、ベトナムの政治学や歴史、文化、風習など多くのことが学べる。

内容はそれほど難解ではない。



ボクのお風呂での読書癖は学生時代からのものだ。

特に浪人時代、寸暇を惜しまず場所問わず受験勉強に励んだ。


屈辱の時代だったが、後にそれがボクを大きく成長させた。


当時は、主にマメタンと呼ばれる小さな英語の単語帳を持ち込んでいた。

それはひとえに受験のための勉強だった。


だから、ボクも日本人の大半がそうであるように

英会話はできなかった。



英会話については、

受験のために覚えた英単語はほとんど役に立たなかった。


同じく、英文法もだ。


だからボクは言う。

英会話を学びたかったら

単語は覚えるな、文法は勉強するな、と。


実際の英会話のほとんどは、

中学の時習った2、000語くらいでこなせるし、

英文法通りに話すことは少ない。



ではどうすればいいか。


フレーズや短いセンテンス(文章)ごと丸暗記すればいい。

どういうフレーズやセンテンスかというと

自分が想定するシチュエーション(状況)にあったものを選べばいい。


状況とは、買い物であったり、レストランであったり、ホテルであったりだ。

それには、英語のドラマを見ることをお勧めする。


ドラマには実際に使える生のフレーズやセンテンスがいっぱい出てくる。

それを書き留め、声に出して丸暗記するまで言ってみることだ。


こうした一つ一つの積み重ねで、自然と英語がしゃべれるようになる。

もちろん海外に行くことは必須だ。



何かをやるとき、一つの目的ではなく、

複数のことに効果のあることをやることが効率的であることは言うまでもない。


一石二鳥は当たり前、三鳥でも四鳥でも狙えばいい。

二兎でも三兎でも同時に追いかければいい。



風呂に入って体をきれいにすることだけでなく、

リラックスして心を癒し、

ワインでほろ酔い、

読書で知識と英語力を高める。



一年で最もいい季節である。

ついつい長風呂をしてしまう。


のぼせだけには気を付けよう。

デジャヴ

2014年05月26日 | ライフスタイル
まるで一週間前の月曜日の再現だ。

雨、二度寝、起きたらお昼を回っていた。


    これが見苦しい寝姿。誰が撮ったかは聞かないで。


疲れが200%を超えている。


毎日が旅の生活だから、知らず知らずのうちに疲労が蓄積するのだろう。


週に一度、阿蘇の別荘に帰れば溜まった洗濯を深夜にする。

シーツも合わせて2回洗濯機を回す。



400日間(一年2ヶ月)世界一周の旅の中にどっぷり浸かっていた時も、

一ヶ月に一日ぐらいは泥のように眠った記憶がある。


Working like a dog, sleeping like a log.

たしかビートルズの歌にあったな。


移動の中での睡眠は、とっているようで完全ではないのだろう。



起きたてのコーヒー(ベトナムコーヒー)とサンドウィッチ。



これがボクの朝食だ。

いや、もうランチになるのか。


雨音をショパンの調べにたとえて、ゆったりと朝食(?)を取る。


あすから3週間、また旅の生活が始まる。


旅といってもビジネス絡みだから、ほとんど休んでいる感覚はない。

張り詰めた神経を引きずったまま、旅の生活は流れていく。


戦士に休息がないように。


今夜は、明日から3週間分の旅仕度をしなければ。

といっても、ほとんどスーツケースの中身は前回のまま残っている。


下着とTシャツを4~5日分入れ替えればいいだけのことだ。

旅先では2~3日おきに洗濯をする。


クリーニングに出したり、

コインランドリーを使ったりはしない。


その都度手洗い、いや、足洗だ。

シャワーの時に足元において足で揉み洗いをする。


日本で足美人が揃った温泉に行ったことがある。

そこはみんなが足洗をしているからだ。


こうすると一石二鳥で足もキレイになる。

特に旅先では湯船にどっぷりと浸かることはほとんどない。


最近は熱帯地方が多いから、洗濯物は最小限で済むのが救いだ。

それに乾きも早い。


こうしてタビストの日々は過ぎていく。

デジャブを繰り返しながら。


死ぬのはいずにしても旅先なのだ。

畳の上で死ぬ気は毛頭ない。


それがタビストの宿命なのだから。

ワンデイ・トリップ to Fukuoka

2014年05月25日 | 
母校の大学の九州の支部長クラスの集まりが福岡であった。

大阪外国語大学(現大阪大学・外国語学部)だ。




会長も大阪から駆けつけてくれた。


九州の同窓会活動をもっと活発にするようにとパッパを掛けられた。

「九州在住のOBに火をつけに来ました」と。


ボクはほとんど同窓会には出ない。

年寄り臭いのだ。

過去の思い出話に花が咲く。

あの頃は良かった的な話に終始する。


そこに夢や希望はない。



我が母校のモットーを改めて聞かされた。


「地域に生き、世界に伸びる」


Think locally, act globallyに通じるいい言葉だ。


Live locally, grow globally といえるだろう。


それでボクの心は決まった。

予算がつくということもあって、買って出た。




講演会を開こう、

セミナーを開こう、

パーティを開こう。

異業種交流会をしよう。


みんな海外を目指す優秀な卒業生のはずだ。

今こそ語学を活かして日本を救わないと。


いま散り散りばらばらの卒業生を集結させなければ。


よくよく乗せられやすいタイプだ。

また、ミッションが増えてしまった。



ホントは寿司をご馳走になりに行っただけなのに。



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せっかく福岡に行ったのだから数々のミッションをこなさなければ。



かねてからお会いしたかった講演家のK氏の事務所を訪ねた。



彼は日本全国を講演で駆け回っている。


本を100冊読むより、一人の人に会いにいく。


彼も家族4人で世界一周を成し遂げた強者だ。


たぶん、家族4人で世界っ週を成し遂げたのは

世界広しといえど彼とボクだけではないだろうか。


いわば旅仲間だ。

同じ匂いがする。

だから話が合う。

初対面で打ち解けた。


彼もユニークでバイタリティーにあふれる活動をしている。

仕事のできる男は旅をする

見習うところが多かった。



続いてTravelers Cafeへ。






そして、International Barへと足を運んだ。


やっぱり外国人の数が違う。


熊本の4倍いるという。

もちろん、「フリートーク 福岡」を出す最適な場所を探す事も忘れなかった。


〆は、屋台でしょう。




結構天神あたりにも屋台が増えていた気がした。

ボクは熊本にも屋台を復活させたいと思っている。

具体的に場所や案も練った。


だが今持って実現していない。


福岡は相変わらずいい街だった。

バイオマス事業

2014年05月24日 | 仕事
ボクの手がける事業の一つに

バイオマス事業がある。


一口にバイオマスといってもいろいろあるが、

ボクが目指すのはコーヒー粕の利用だ。


もともとコーヒー粕を使ったきのこの栽培が目的だった。


コーヒー事業は、

栽培、焙煎、カフェ事業にとどまらない。


毎日捨てるコーヒー粕をいかに再利用するか、

これが課題だ。


コーヒー粕には、消臭効果や殺菌効果があることも知られている。




ベトナムはブラジルと並ぶ世界一のコーヒー生産国である。

ただ、世界の主流のアラビカ種と違う、

マイナーなロブスタ種のコーヒーを主に生産している。


フランス式フィルターやいれかたも独特だ。

もちろん味も違う。

(フリートークで販売してます)



コーヒー粕を使ったバイオマスはそのベトナムで行う。

提携先のインド系の会社「BRCORP}と組んで進めている。


昨日は、エネルギー事業の第一人者であるS氏を交えて

三者で打ち合わせを行った。



6月の渡越(ベトナム行き)の目的は

納豆料理のコンテストが主だが、


バイオマスの研究機関である

ホーチミンの大学を訪ねる。


そこでバイオマスの第一人者である教授にあって構想を話すことにしている。



これは国家事業であり、

また、地球環境を改善するのに一役買う大事業である。



おそらく多くの読者はそんな大事業は不可能だろうとお考えであろう。

不可能を可能にするのがボクのドリーム・クリエーターとしての仕事だ。


そしてそれはまだ始まったばかりなのだ。


納豆世界普及事業と同時並行して進めていく。



これらは、今年9月にネパールのカトマンズで行われる

国際会議で発表することになるだろう。


もち英語でのプレゼンだ。

将来は、TEDでプレゼンすることも目指している。


さらに来年のこの世界会議を熊本で開催すべく準備も進行中だ。


熊本から世界へ、そして宇宙へ。


夢は果てしなく膨らむ。



【追記】


原発反対を叫ぶ皆さん、

環境問題い興味のある方々、


バイオマス事業に参画されませんか。


地球を救おう。

口説き英語

2014年05月23日 | 英語
英会話の上達の一番の近道は

外国人の恋人を作ることである。


しかも、日本語のあまりできない相手を。


日本人は女性の方が外国人にモテる。

日本人女性は世界中から引っ張りだこだ。


特に、トルコ、モロッコなどに行けば、あっちこっちから声がかかる。


だから日本でモテなくても悲観する必要はない。

海外に行けば必ずボーイフレンドは見つかる。



問題は日本男子だ。


日本国内でも相手にされないくらいだから、

欧米ではなかなかモテない。

特にアメリカでは悲惨なものだ。


ボクも一時期モンタナに彼女がいたが、

アメリカ女性の自己主張の強さには圧倒されたものだ。



だが、日本男子よ、諦めることはない。

東南アジアに行けば活路は大いにある。


特に、ベトナム、フィリピン、カンボジア。

ボクのモテぶりを見ていただければ一目瞭然だろう。


若い男子より、

中高年のオジさんの方が持てるからこれまた驚きだ。


結婚できない中高年は日本に見切りをつけてさっさと東南アジアへ行きなさい。


今実際ベトナムとフィリピンから具体的に引き合いが来ている。

ほとんどが20代だ。


50、60のオジサンも対象だから、遠慮はいらない。


婚活ツアーも行っている。

実績もある。


ただし、やはり英会話力は必須だ。

少しは喋れないと進展はしない。


ただ、日本語のできる女性も増えている。

それは、日本が好きだから、日本に住みたいからという願望の現われだ。


そういう女性もご紹介できる。

興味を持たれた方はご一報を。


とりあえず頑張って英会話力を磨こう。

口説き術もご伝授します。


ついでにビジネスも構築して

国際結婚で人生一発逆転を狙おう。

会うべき時に、会うべき人に、会うべくして会う

2014年05月22日 | 国際
昔から「縁は異なもの味なもの」と言われるが


人との出会いはすべて意味をなしている。


「人間は一生のうち会うべき人には必ず逢える。

しかも一瞬も早過ぎず、一瞬も遅過ぎない時に。


しかし、縁は求めざるには生ぜず。

内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、ついに縁を生ずるに至らずと知るべし」

と哲学者で教育者である森信三も言っている。



彼が言うように、問題はそれに気づくかどうかである。


気づくためには、

まず、何か意味があると意識して思うことだ。


そして、この人にとっての自分の役割は何なのだろうかと考えることだ。


凡人は、

まず、この人は自分にとって得かどうかを考える。

自分に何らかの利益をもたらすか否かと考える。



そして、何も得にならないと思うと、相手にしない。


お客さんがいい例だ。


買ってくれそうなお客さんは丁寧に接するが

買わない人にはぞんざいに扱う。


買わない人にも、何かお探しですか?

何かお困りですかなどと声をかければ会話が成り立つ。


そこから思わぬ付き合いに発展することはよくあることだ。



そうした親切心で言っているにもかかわらず、

なかには何か下心があるのではないかと勘ぐる人がいる。


だが、悲しいかなそう言う人は邪(よこしま)な考えを持っている人なのだ。

自分の利益しか考えないから、

相手の利益を優先に想う気持ちが理解できないのだ。



「縁を大切に」

口では誰しも言うが、行動で示している人は少ない。


なかには、ボクを偽善者呼ばわりする輩がいる。

曇った心では澄んだ心は理解不能だろう。


そう言う人に共通なことは、

いつも愚痴をこぼしていることだ。

それも本人のいないところで。


不平不満に苛まれ自らストレスを溜め込んでいく。

嫉妬と憎しみが充満している。


偏見に満ち、パラノイアに陥っている。


心を閉ざし、

いつも眉間にしわを寄せて般若(はんにゃ)ってる。

貧相な顔をしている。


そしてだんだんと孤立していく。



だが、ボクはそういう人にも心を尽くす。

いつか必ずわかってもらえる日が来ると信じているから。



そういう人がいることを認め、

そういう人を受け入れる。


そうして、縁が縁を呼び助け合いの精神が広がっていく。


どんな人にも、

たとえ、主義主張が違っても、

多様性と内包性の精神を失わず接しなければならない。

第三次世界大戦は起きるのか

2014年05月21日 | 国際
携帯に一通のメールが届いた。




ベトナム語だ。

訳してもらった。


デモには参加しないように、という内容だった。

政府機関から送られてきた。


反政府デモではなく、

反中デモに対してであることは明らかだ。



団体や個人がでもを呼びかけるメールを不特定多数に送ることはできる。


どこかの国は、デモを煽るメールを一斉送信しているらしい。



それに比べて、なんと慎(つつ)ましやかなことだろうか。

国民に自重を促す。


社会主義国ならではのやり方かもしれないが、

賢明な方策だと思った。




一党独裁。

選挙はない。

まだまだ汚職や賄賂が飛び交うお国柄。


到底民主主義とは言い難いかもしれない。


だが、国の指導者が賢明であることと

国の体制は関係ない。


立派な立憲民主主義国家であるはずの我が国の指導者は

戦争がしたくてたまらないらしい。


一方、一党独裁の国であるベトナムはそれを必死で食い止めようとしている。

もちろん、そんな単純な構図でないことは分かっている。


主権、領土、国民を守ることは国の責任である。

だがそのやり方はそれぞれ違う。


社会主義だからダメ、

共産国だからダメ、

民主主義だから良い、

資本主義だから良い、という構図ではない。


タイであれ、インドネシアであれ、インドであれ、

あるいは、アフガニスタン、イランといった国々でも選挙はある。


だが選ばれた指導者如何でその国の安定が脅かされる。


アラブの春ならぬアジアの春は来るのか。


そしてエジプトシリアのようにそのまま不安定な様相を呈するのか。


経済学的に見れば、

マルクス経済学は死んだのか。

ケアンズは生き残るのか。



同じ共産国でも指導者によって随分と国情は違う。


毛沢東の文化大革命を引きずる中国、

ホーチミンを父と掲げ、ドイモイ政策で一気に発展を図るベトナム、


カストロが依然として率いるキューバもアメリカと目と鼻の先にあって健在だ。



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話は変わるが、

第三次対戦は起きるのだろうか。


分からない、としか言い様がない。


だが、もし起きればどうなるのか。

予測はつく。


今の情勢だと、中国とロシアという二大大国が手を結び、

それにイラン、北朝鮮が追随するだろう。

全て、核保有国だ。


連合国側は、アメリカを核に日本、EU及び周辺諸国、

そして東南アジア、インドなどなどが加わるかもしれない。


もちろん国それそぞれの温度差はある。


もしこういった構図で戦争になれば、核戦争は避けられないだろう。

そうなれば、地球人口の約半分30億人以上が死ぬと言われる。


地球は事実上壊滅するだろう。

かろうじて生き残った地域は独自の社会を構築せざるを得なくなる。


それは極めて社会主義に近くなるとも言われている。


日本は限りなく理想の社会主義国に近いとも言われる。

立憲民主社会主義共和国だ。


確かに、すべての国が日本のような国になれば、平和が訪れるかもしれない。


戦争をしない国だけの世界。


確かに、世界三次大戦が起きれば

そのあとの世界四次大戦は石と棍棒で戦うだろうと揶揄されている。



プーチンや習近平は21世紀のヒットラーやムッソリーニになるのか。

イランを加えた三国同盟に至るのか。



世界の指導者が賢明であることを祈るばかりだ。

越中紛争は日本にとってチャンス

2014年05月20日 | 国際
南シナ海の領土問題で越中紛争が激しくなっている。


このブログで書いたように、

もともとベトナムと中国の関係は良くない。

ベトナムには中華街のない稀有な国なのだ。

日本人街はある。



越中関係は、日本と中国、あるいは韓国との関係に似ている。


日本にとってチャイナリスクがあるように

中国にとってもベトナムリスクはもともとあったものだ。


今回の暴動で中国系企業は閉鎖に追い込まれ、

在越中国人4、000人も母国に引き上げている。



加えてサプライチェーン(部品供給)にも支障が出ている。


キャノンやホンダといった日本企業は平常通り稼働している。

が、一部中国からの部品が滞れば影響は出るだろう。



もともと中国頼みで旨い汁を吸おうと考える方が身勝手すぎるのだ。

それは日本にも言える。



一時的に影響は出ることは避けられないが、

長期的にはその間隙を日本企業が埋めればいいだけの話だ。



タイも、全土に戒厳令が出た。

ならば、ベトナムの隣国カンボジアもしくはラオスが狙い目だ。


カンボジアは王国であり、ラオスはベトナムと同じ社会主義国だ。


今の所大きな紛争はない。

それに、どちらも大の親日国である。


ただ、両国とも中国の影響が強いので

同じテツを踏まにようにだけ気をつければ良い。



日本も中国抜きでも経済は成り立つ。


困るのは中国だ。


今回の越中紛争は中国の断末魔である。

早晩、中国の不動産は暴落する。


株も暴落するだろう。

今すぐ中国からは手を引くべきだ。



その根拠の一つは、あるメルマガによれば、


シャドーバンキングの問題だ。

中国政府がその取締りを行うために、金融緩和の姿勢を崩している。


もうひとつの原因は、

労働生産年齢人口の頭打ちである。


どこの国も労働生産年齢の人口が最も多くなる年が頂点になり、

その後、経済が成長しなくなっていく。


その変わり目の時期に、何らかのバブル崩壊が起きるのだ。


その例を示そう。


日本 1990年:土地・株の資産バブルの崩壊

アメリカ 2000年:ドットコムバブル崩壊

2008年:サブプライムローンバブル崩壊

スペイン2000年~2010年:ユーロバブルの崩壊


そして 中国 2014年~2015年:不動産バブル崩壊

というシナリオになる。


理由は、単純にGDPが減少し 国内需要の減少するためである。


不動産にしても、食品にしても。。。 全ての分野で減少傾向になる。


ちなみに、中国は一人っ子政策の付けで

この人口減少の影響はかなり大きなもの になると予測されている。



今回あり得るパターンとしては、

シャドーバンキング の取り締まりからの、不動産市場のバブル崩壊だ。



相当大きな崩壊になると予測できるので、

一刻も早く中国からは手を引くべきだ。



そういう意味でも今回の越中紛争は起きるべくして起きた、

日本にとって良い機会と捉えるべきなのだ。



今こそ日本は

東南アジアから中国帝国共産主義を追い出し、

進出する絶好のチャンスである。


もちろん経済援助という形でであることは言うまでもない。

あくまでも、かつての日本や中国のような帝国主義に陥ってはいけない。



【追記】


ちょっと過激に走りすぎたきらいがある。

身の回りに気を付けよう。

I will watch my back.



あの、だれよりも中国を知る男(?)石平氏の

「バック・パッシング理論」、

「バランシング理論」が面白い。


それについては長くなるので別の機会に。

興味ある人は彼の公式ページを見てね。

グローバル人材教育アカデミー

2014年05月19日 | 国際
日本経済はなぜ伸び悩んでいるのか。


技術力はある。

だが、それに伴う人材のグローバル力が圧倒的に欠けているのだ。


国内のマーケットにはすでに限界がある。


自ずと海外に進出しなければ伸び悩むのは当然のことだ。


そこで足踏みしているのが現状だろう。

日本は「技術で勝って、ビジネスで負けている」と言われて久しい。

これこそ日本人のグローバル力の欠如を見事に言い当てている。



日本人はもっとグローバルセンスを磨かなければならない。


グローバルセンスとは何か。


世界を知ることだ。

そして、それに対応するセンスにほかならない。


日本人はあまりにも世界を知ら無さ過ぎる。

知っても、机上の知識でしかない。


その最大のネックは、言うまでもなく英語力だ。


その上で、

プレゼン力とネゴシエーション力を身につけなければならない。


日本人はもっと危機感を持たなけれならない。


世界で今何が起きていて、

地球はこれからどのようになっていくのか。

常に頭の中に世界地図を描いて物事を考える癖をつけなければならない。



政治も宗教もすべての根源は経済にあると言っても過言ではない。

なぜなら、

世界の紛争のほとんどが貧困と格差そして腐敗によって引き起こされているからだ。


中国の横暴も、国内を潤すための資源の確保に他ならない。

ナイジェリアの誘拐事件も然り。


豊かであれば、人のものを奪って自分のものにしようなどとは考えないだろう。

まさに「衣食足りて礼節を知る(Well fed, well bred.)」なのだ。



そこで、

「グローバル人材教育アカデミー」を設立することにした。


それに当たって、教授及び生徒を募集する。


昨日の「障害者のカフェ&バー」オープンと合わせて

いずれもNPO法人「インターナショナル・プロジェクト協会」(現在縦覧期間中)の活動の一環だ。


なぜなら、

人材教育、福祉活動(障害者支援)はその事業内容に唱ってあるからである。



こうして日々アイデアが生まれていく。


いずれも一朝一夕にはいかないが、

牛歩の歩みながら確実に実現に向かっている。



ひとりでも多くの人を救えるなら本望である。



多くの人、全ての人は救えなくても、

目の前のひとりの人なら救えるはずだ。



一人ひとりがそう思って活動すれば、

やがては全ての人を救える日が来る。


必ず来る。

そう信じて今日も生きていこう。 

障害者の集えるカフェ&バー

2014年05月18日 | 健康
障害者の人が運営し、

障害者のお客さんがいつでも気楽に立ち寄れる

カフェ&バーを開く計画を進めている。


連日いろんな悩みや問題を抱えた人が来てくださる。


英会話はもちろん、

留学、移住、起業相談を受ける中、


もっと深刻な悩みを抱えている人の多いことに気づかされる。


ほとんどの人がストレスを抱え、心に傷を持っている。

PTSDやウツに陥り、いつしか社会生活からドロップアウトしていく。


もともと純粋で真面目な人が多い。

それだけに自分の将来に不安を抱え、一人悩み自殺を企てる。


仕事もままならない。


それでもなんとかしたいとボクの元を訪れる。


アルコール依存症、ギャンブル依存症という人もいる中、

ボクは一緒に酒を飲む。


禁止するのではない、

「毒をもって毒を制す」という考え方。

fight fire with fire;

set a thief to catch a thief;

fight one evil with another


一緒に飲み、語る。


ダメと言われれば、目を盗んでもやりたくなるのが心情。

やりたいものは思いっきりやらせればいい。


自分でもいけないことはわかっている。

とことんやれば、自ら辞めていく。



人から制止されるのではなく

自ら進んでやらなければ、一度やめてもまた始める危険性がある。


子どもの教育もそうした。

勉強を強制したこともなければ、

留学を無理強いしたこともない。


だから、彼らは塾などを知らないで育った。


自ら勉強し、自らの意思で留学した。

そして、立派に自立している。



障害者の人たちにも同じ気持ちで接する。

ボクがやることは唯一つだ。


彼らを受け止め、認めること。

そして彼らと一緒に歩むこと。


彼らに希望を見出すこと。

彼らにできることを知ってもらうこと。


つまり、彼らが自分の可能性に気づいて、自ら歩みだすことを手助けすることだけだ。


そうすることで、

自分が変わらなければ人生はどうにもならないままであることに気づくだろう。



以下の企画は、

障害者の人が自ら企画したものである。



* フリートークで語ろう


発達障害、高機能自閉症、アスペルガー当事者、ADHDの方、

日頃の悩みや就労についてなど、なんでも自由に語り合いませんか。




6月20日(金曜)午後5時からフリートークで行われる。

支援者や家族の方も参加できる。



彼の言葉にこうある。


「発達障害が壁になるなら、

私たちはそれを受け入れよう。


ハンディがあっても、この命があるだけありがたい。

生きていくこと、それはとても素晴らしいこと。

輝いて、煌(きら)めいて・・・そう私たちは流れ星 ☆彡」



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彼は、障害者の人のカフェ&バー作りに積極的に取り組んでいる。


そこからまた新たな可能性が生まれ出す。


一石を投じたところから、

それは波紋のように広がっていくだろう。



協力者、支援者を募集します。

また関心を持たれた方はご連絡ください。



地球上の全ての人が希望を持って明るく生きていくための

小さな試みです。



【追記】

神様、

私にお与えください


自分に変えられないものを

受け入れる落ち着きを


自分に変えられるものを

変える勇気を



そして

二つのものを

見分ける賢さを

超親日国家 ベトナム

2014年05月17日 | 国際
ベトナムと中国の関係が悪化している。

言わずと知れた南シナ海での領土をめぐる対立だ。


暴動に発展し、中国企業が放火されたりしている。

日本企業もそのとばっちりを受けているらしい。


これはあくまでもとばっちりであり、

ベトナム人が日本企業を狙うわけはない。


ボクにも経験がある。


大学紛争に過激派としてしていたボクは、

ゲバ棒を持ってデモしていた時、

投石を繰り返し、火炎瓶を投げた。


だが攻撃の対象はあくまでも大学であり、機動隊であったにもかかわらず、

興奮して民家のガラスを次々に叩き壊したことがある。


興奮すると見境がなくなるのだ。

そして、スカッとして気持ちが良かった。

これも若さがなせる技だったのかもしれない。


申し訳なかったと思っても後の祭り。

こういう愚行を繰り返していたから民意が離れていったのだ。


そのうち、内ゲバ、リンチ、テロへと過激さがエスカレートしていった時、

ボクも逃げるようにその活動から手を引いた。


その反省もあって、

当時(1970年代)の「ベ平連(ベトナム平和連合)」に加担して

反戦運動に携わることになっていった。


ボクがベトナム関わったのはそれが初めてだった。

だがそれから2008年、JICAのボランティアでベトナムに行くまで、

約35年間、ボクの脳裏から全く消えていた存在だった。


2008年、JICAを機に、

まるで当時をフラッシュバックするかのように

それ以降ボクはベトナムの魅力に取り憑かれていったのだ。


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ベトナムではおもに工業団地が狙われているようだが、

そこには各国の企業が混在しているので

少なからず影響は出るだろう。


流れ弾のようなものだから、注意は必要だが、

日本人であれば普段の生活には危険性はない。


ベトナム人は極めて親日的で、

日本人をリスペクトしてくれる。

(英語ができないことは馬鹿にしているが)


それは今まで日本人が培ってきた長い歴史がそうしているといえよう。



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そこで、

今起きている事情を知るにはベトナムの歴史を紐解かねばならない。



ベトナムの歴史を一言で言うとなれば、

支配と支配からの反抗の歴史と言える。



紀元前111年から、1千年間のあいだ中国により支配され、

その後も元による進行、フランスによる統治、

日本軍と続き1945年の独立宣言までの長い間、

支配とそこから逃れるための戦争の繰り返しの歴史だった。


1945年の日本軍の降伏により、ベトミンが一斉蜂起、

ハノイを占領し、9月2日ホーチミン主席によりベトナムの独立宣言がなされた。


だが、同年フランス軍によるサイゴン占領、

1946年ベトミンとフランス軍の武力衝突がハイフォンで起こり、

アメリカの介入で本格的なベトナム戦争へと入って行く。



1975年4月30日北ベトナム軍のサイゴン占領によりベトナム戦争が終了するまで、

悲惨な泥沼の戦いが続いたことは周知の知るところだ。



だが、これで平和になったわけではない。


ベトナム戦争(1965年 - 1975年)終結直前、

ベトナムの隣国カンボジアでは1975年4月にロン・ノルの親米軍事政権が倒れ、

1976年1月にポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を奪取し、

民主カンプチアの成立を宣言した。


しかし間も無く大量虐殺を伴う恐怖政治を行うようになった。

また、ほぼ同時に成立した統一ベトナムとの間では対立が激化し、

1978年1月に国境紛争によって国交を断絶した。


ベトナムは

カンボジアから亡命していたクメール・ルージュの軍司令官ヘン・サムリンたちを支援するという形で

カンボジアに侵攻し、

1979年1月にプノンペンを攻略、

ヘン・サムリンによる親ベトナムのカンボジア政権を樹立した。


ポル・ポトは密林地帯に逃亡しポル・ポト政権は崩壊した。



その時ポル・ポト政権には中国が後ろ盾となっていた。

またベトナムが中国の反ソ政策に同調しない態度だった事に対応し、

当時、ソ連への敵意が強かった中国(小平と華国鋒)は

ベトナムをソ連の手先と見なし開戦を決断する。



1979年2月17日、中国は「懲罰行為」と称して、

56万の軍をベトナム国境に集結させ威圧し、

雲南と広西からまず10万の陸上軍によりベトナム北部に侵攻した。


この時期、ベトナム軍主力はカンボジアにあり、

北部には正規軍3個師団ほど(約3万人)と民兵しかいなかったが、

この民兵はベトナム戦争において米軍に勝ち

ベトナムを統一した主力であったために、

彼らは実戦経験が豊富であり、

さらにベトナム戦争時の大量のソ連製や中国製の長距離砲を含む各種の武器、弾薬も残っていた。


まさに精鋭の民兵だったのだ。



中国にとって朝鮮戦争以来の大規模な対外作戦となった本戦争は、

ベトナム北部の一時的な制圧という政治目的こそ達成されたものの、

純軍事的には悲惨な結果に終わった。


中国軍は、占領していた省から撤退するにあたり、

非人道的な焦土作戦を繰り返してベトナム領から撤退した。

その後中国政府は内外に向けて戦争勝利を宣伝する。


ここでも嘘で塗り固められた中国の体質が覗える。


だが、皮肉にも

この戦争の後、中国において軍の近代化が最優先の国家目標とされることとなる。

こうして中国は、軍事大国、経済大国へと一気に上り詰めるのである。



中越関係はその後も改善せず、

1979年から1989年にかけて中越国境紛争や赤瓜礁海戦(南シナ海)などが引き起こされ、

敗れたベトナムは、中国にとって有利な条件での国境線画定を余儀なくされた。

結局、中国の支配地域が増すこととなった。


    尖閣もこうなる!100ミリ砲でベトナム領を無理やり奪い取った中国!

   もう一度載せておこう。 見ていない人はぜひ見て欲しい。


冷戦終結後両国関係はおおむね安定しているが、

ベトナムでは自国への侵略戦争として、

中国では一般的に中越戦争を裏切り者

(ベトナムは中国の支援のもとで対南ベトナム・アメリカの戦争を戦った)への侵攻と認識され、

また旧南ベトナムの経済を支配していた華僑への迫害や、

ベトナム難民(ボート・ピープル)が20年に渡って香港の深刻な社会問題となっていたため、

中華圏でのベトナムのイメージは、

中越戦争以降悪いままである。



大陸国境線は2000年代に入って画定したが、

中国の侵攻により占領された西沙諸島および南沙諸島の国境線は画定されていない。



長くなったが、以上が今回の紛争の原因である。